ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

貧乏神の贈り物

2008年06月06日 | 千伝。
福井県、若狭地方に三方町という所があります。
そこに伝わる貧乏神の昔話です。

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むかしむかし、三方という村に、働いても働いても楽にならず、増えるのは子供ばかり・・そりゃ大変貧乏なお百姓さんが暮らしていたそうです。

もう冬も越せない切羽詰ったある日、夜逃げをすることに決めました。

その当日の夜中、納屋の前を通ると、見知らぬ男が、何かゴソゴソしていました。

「お前は、誰じゃ?」
「わしゃ、貧乏神じゃ」
「貧乏神? こんなところで何をしとるのじゃ?」
「この家のもんが逃げ出すちゅうで、わしもついて出かけるので、ほれ・・こうして草鞋(わらじ)を編んでいるんじゃ」

・・おどろいたのは、そのお百姓さんでした。

「そうか・・ついてくる。貧乏神がついている。だから、ずっと貧乏なんだぁ~。なるほど」

お百姓さんは、がっかりして、夜逃げをして出てゆく気もなくなりました。

次の朝、貧乏神は、草鞋を用意して待っていましたが、いつまでも待っても誰も出て来ません。

次の日も、次の日も・・
一日、また一日・・貧乏神は、せっせと草鞋作りに励みました。

そして、いつのまにやら軒先に草鞋が、どっさりと貯まってゆきました。
こうなると、村の者がくるようになって、「草鞋をわけてくれ」と言います。

貧乏神は、気前がよいのです。
「さぁ、どれでも持っていきなされ」

と、どんどん草鞋をわけてやるのです。

それを見た貧しいお百姓さんは、いいことを思いつきました。
「そうじゃ、この草鞋を売ればいいんじゃ」と。

さっそく、お百姓さんは村へ、町へと、売りに行ったのでした。

草鞋は、よく売れました。
でも、暮らしは、いっこうに楽になりません。

「やっぱり、貧乏神が居るかぎり、暮らしは楽にならねぇってことか・・」とため息がでます。

そこで、お百姓さんは、一計を案じました。

草鞋を売った、わずかな残り金で、ありったけの酒やごちそうを用意して、貧乏神をもてなしました。

「さぁさぁ、貧乏神さま、きょうは遠慮のうやってください。貧乏神さまが、作った草鞋が売れて暮らしも楽になりました。さぁ、いっしょに祝ってください」

貧乏神は、すすめられるままに、食べたり飲んだり・・。

「酔った。酔った。すっかりごちそうになってしもうて・・。暮らし向きがようなると、貧乏神のわしは、もう、この家にはおれん・・」

腹いっぱいになった貧乏神は、こう言うと出て行きました。


お百姓夫婦は、大喜びです。

「出っていった。わしらも、これから暮らしも楽になるぞ。はっはっはっ・・」

ところがです。

真夜中に便所に起きると、納屋のまえに、出ていたはずの貧乏神が居りました。

「ま、まだ、居たのか・・」

貧乏神は、お百姓さんを見ると、うれしそうにニッコリします。

「この家が、大好きなんじゃ・・」

そうして、それからも、毎日毎日、貧乏神は、草鞋作りに精を出しました。

草鞋を作るには、藁がいる。
藁を作るには、米のなる稲がいる。

貧乏神の草鞋作りのために、前よりもいっそう働かなければなりませんでした。

そして、貧乏神がいるかぎり、暮らしは、あまり楽にはなりませんでした。

でも気がついてみると・・

もう夜逃げなんぞは、しなくてもよい暮らしになっていました。

<おわり>

けちな財無小

2008年06月06日 | 千伝。

「李下に冠をたださず 瓜田(かでん)に履(くつ)を入れず」の格言を財務省の輩は、テストのためだけの、うわの空で学んだのだろう。

「論語読みの論語知らず」とはまさにこのことに尽きる。

タクシー代まで身銭を切れない頭では民を養う知恵はなし。

先日、深夜の東京で会った友人は、貧乏学生だった若い頃、「俺は、貧乏だけど、ケチだと思われる方がいやだから、無理しても金を出す」とよく言っていた。

彼は、国家公務員を辞めて、今、とある投資機関の代表を務めている。

ケチが、倹約という言葉に代わると、美徳になる。

Life is a drama and not a progress.

むしゅむしゅ~ぐうぐう・・ちょっと風邪気味です。