ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

百球肩。

2020年09月30日 | 千伝。
昨日のNHK テレビ番組「ファミリー・ヒストリー」の主人公は、江川卓さん。

かなり驚いたのは、江川さんの祖父(母方)が福井県大野出身であった事。

江川さんと言えば、高校時代から怪物投手と騒がれて、巨人入団の際、日本中を騒がせた1978(昭和53)年11月の「空白の一日」の当事者でしょう。

番組の終わりで、江川さんは、「小林さんには迷惑をかけた」と、しんみりと述べていました。

我々世代以上の日本人ならば、強烈な出来事として思い出に残っているはずです。

あの空白の一日の事件で、巨人から阪神へ電撃トレードされたのが、巨人のエースとして活躍していた小林繁投手。

その後、阪神に入団した小林さんは、悲劇のヒーローとして大活躍。

しかし、1983年には現役引退 通算139勝。

現役引退後も、小林さんは、ルックスも良し、弁舌も爽やか、野球解説者、タレントとしても人気を博し、事業家としても活躍します。

悲劇という災いが転じて、福と成す・・・そんな小林さんの人生に映りました。

ところが、小林さんが政界進出に失敗、バブル崩壊で事業も失敗、大きな借金を背負います。

新しい職探しをしなければなりません。

その時、阪神時代の同僚、川藤幸三さん(福井県出身)が、福井県あわら市にあるゴルフ場の支配人を職を紹介したとのこと。

以降、小林繁さんの生活拠点は、福井となります。

しかし、2003年、小林さんは、自己破産。

ゴルフ場の支配人も辞めることになりました。

その後も福井を生活拠点にして、日本ハムの二軍投手コーチ、地元オール福井少年チームのコーチを務めました。

東京での日本ハムの催しに出席した翌日の2010年1月17日、福井市の自宅で背中の痛みを訴え、救急車で搬送、急性心不全で急死、享年57歳でした。合掌。

それから5年後、2015年の春の選抜では、小林さんが教えた野球少年は、敦賀気比高の選手として、北陸初の全国優勝を果たしました。

因みに、小林さんが福井に移住したのは、小林さんの母方が、福井出身だったと聞きました。

江川卓さん、小林繁さん、共にルーツが福井であった事を、お互い知っていたのかな?

江川さんが、現役引退したのが、1987年 135勝。

お二人共に、31歳、32歳で引退しています。

一生懸命に投げやり遂げた野球人生。

一所懸命に投げすぎて百球肩。

空白の地ではないけど、福井から観た記録よりも記憶に残る野球ドラマでした。