福井地方、昨日の午前中に震度5弱の地震があり、午後には、1時間の降水量55ミリの大雨。
ちょっと、自然災害による死というものが、掠り寄ってきたような気がしました。
人間は病気になると、二通りの選択があるのが現代社会だそうです。
自然の成り行きに任せるか、医療に完全管理を任せるか、という二通りの選択。
しかし、医療管理制度という考えは、かなり古くから存在していたらしいです。
民を丈夫に元気にしないと、病弱者ばかりだと強い兵隊、軍隊が成り立ちません。
それでは、他国との戦さに負けてしまうという怖れもあったようです。
富国強兵の原点?・・・そこに幸福はあるのか? 人間愛はあるのか?
昨日の地震と大雨で、すっかり忘れていた「ある真夏の夜に見た夢」を思い出しました。
ある日、高齢の僧の方々の介護をしないかという誘いを受けて、出かけて参りました。
そこは、仏様が創ったような極楽浄土、桃源郷、天国のような場所で、言葉では言い表せない広い美しい場所でした。
喩えが脆弱極まりますが、石山寺の境内にある広い庭園が、比叡山あるいは高野山いっぱい、それとも吉野山、もしくは百島全体に埋め尽くしているような世界です。
高齢の僧の皆さんのお住まいの場所が遠くて、歩くと・・・その間、あちらこちらから、お経、お題目が聞こえてきます。
南無阿弥陀仏。
南無妙法蓮華経。
南無観世音菩薩。
どれも、心安らかに、心穏やかに、何かから救われる気持ちになれます。
途中には、少林寺拳法まがいの訓練をしている僧の集団もいました。
護摩祈祷でしょうか?・・・黙々と煙りが上がり、熱い焚き火のような匂いが漂っています。
その隣には、滝修行でしょうか?・・・落ちる冷たい滝水に打たれている方もいます。
気にかかるのは、手と指を曲げての形の表現で「印」という仕草をする僧。
真言・マントラ?
密教の呪詛なのでしょうか?・・・手を合わせる合掌だけでは物足りないのかな?
一体全体、仏様の智慧、民の煩悩、心を清めるための最善は何だろう?
その最善のテーマをハレルヤ、紹介するかのようなテーマパークの様相でした。
やっと辿り着いた、僕がお世話する高齢の僧は、かつては名僧だったとのことです。
今は、両手も両足もなく、幽霊のように宙に浮かんでいました。
身が宙に浮かんでいると、無死無老、そこで歳が止まるそうです。
心が宙に浮かんでいると、小乗大乗、自由自在になるそうです。
そして、そんな夢見た仏の世界を俗世に伝えるのが、高齢の僧へのお世話だそうです。
ある日見た一夜の夢も、今日一日も、二度と戻らない。
「明日を思い煩うな」ということは、自分自身と仲良くしなさいという意味なのでしょう。
自分を介護すること。
南無阿弥陀仏。
南無妙法蓮華経。
南無観世音菩薩。
ハレルヤ。
明日は、口を動かす、手を動かす、足を動かす、愉快な一日。
ちょっと、自然災害による死というものが、掠り寄ってきたような気がしました。
人間は病気になると、二通りの選択があるのが現代社会だそうです。
自然の成り行きに任せるか、医療に完全管理を任せるか、という二通りの選択。
しかし、医療管理制度という考えは、かなり古くから存在していたらしいです。
民を丈夫に元気にしないと、病弱者ばかりだと強い兵隊、軍隊が成り立ちません。
それでは、他国との戦さに負けてしまうという怖れもあったようです。
富国強兵の原点?・・・そこに幸福はあるのか? 人間愛はあるのか?
昨日の地震と大雨で、すっかり忘れていた「ある真夏の夜に見た夢」を思い出しました。
ある日、高齢の僧の方々の介護をしないかという誘いを受けて、出かけて参りました。
そこは、仏様が創ったような極楽浄土、桃源郷、天国のような場所で、言葉では言い表せない広い美しい場所でした。
喩えが脆弱極まりますが、石山寺の境内にある広い庭園が、比叡山あるいは高野山いっぱい、それとも吉野山、もしくは百島全体に埋め尽くしているような世界です。
高齢の僧の皆さんのお住まいの場所が遠くて、歩くと・・・その間、あちらこちらから、お経、お題目が聞こえてきます。
南無阿弥陀仏。
南無妙法蓮華経。
南無観世音菩薩。
どれも、心安らかに、心穏やかに、何かから救われる気持ちになれます。
途中には、少林寺拳法まがいの訓練をしている僧の集団もいました。
護摩祈祷でしょうか?・・・黙々と煙りが上がり、熱い焚き火のような匂いが漂っています。
その隣には、滝修行でしょうか?・・・落ちる冷たい滝水に打たれている方もいます。
気にかかるのは、手と指を曲げての形の表現で「印」という仕草をする僧。
真言・マントラ?
密教の呪詛なのでしょうか?・・・手を合わせる合掌だけでは物足りないのかな?
一体全体、仏様の智慧、民の煩悩、心を清めるための最善は何だろう?
その最善のテーマをハレルヤ、紹介するかのようなテーマパークの様相でした。
やっと辿り着いた、僕がお世話する高齢の僧は、かつては名僧だったとのことです。
今は、両手も両足もなく、幽霊のように宙に浮かんでいました。
身が宙に浮かんでいると、無死無老、そこで歳が止まるそうです。
心が宙に浮かんでいると、小乗大乗、自由自在になるそうです。
そして、そんな夢見た仏の世界を俗世に伝えるのが、高齢の僧へのお世話だそうです。
ある日見た一夜の夢も、今日一日も、二度と戻らない。
「明日を思い煩うな」ということは、自分自身と仲良くしなさいという意味なのでしょう。
自分を介護すること。
南無阿弥陀仏。
南無妙法蓮華経。
南無観世音菩薩。
ハレルヤ。
明日は、口を動かす、手を動かす、足を動かす、愉快な一日。