ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

u and/or i に行くぞ❗

2021年04月24日 | 百伝。

百島の泊地区には、中小路とか、脇小路とか名付けられた細い迷路のような集落があります。

誰が名付けたのかは、今になっては知る由もありません。

百島の福田や本村地区が、京や播磨の関西方面からの文化移入の影響があるならば、泊地区は間違いなく九州、それもとりわけ豊後の国(大分県)との交流がありました。

子供の頃、豊後からお嫁に来たというおばさんたちも多かった記憶があるのです。

母が60歳代の頃、体調が良くなく、父も連れ添って別府市の中村病院に1ヶ月間ほど入院療養した事がありました。

最近、戸籍謄本から僕ら息子さえ知らない母の人生の軌跡を追いかけています。

母が、昭和初期の子供の頃に別府市郊外にある速見郡日出町(ひじまち)に暮らしていたようです。(昔は別府も速見郡)。

それから数年後には、広島の被服厰で学徒動員として働いていて、原爆の悲惨さと遭遇。

この間の母の境遇、経緯がよく分かりません。

母の父、渡邊金与勢さんが、戦前に別府でお世話になったのが別府の中村先生だという人物で、どうしても中村病院で診て欲しかったようです。

母は、昔暮らした別府、日出町での時代が懐かしかったのかな?

母に会いたい❗

因みに、先生の息子さんかな?戦後、別府の中村病院から分院した大分の中村病院の創立者の故中村裕氏が、戦後、日本の障害者スポーツの父、バラリンピックの父と呼ばれている人物です。

調べると、もうひとつ、速見郡日出町には、大分焼酎二階堂、東京の多摩サンリオピュロランドの姉妹ランドのハーモニーランドがあります。

時々、キティちゃんが、日出町の町長になるらしいです。

スーパーボランティアの尾畠さんも暮らす日出町です。

コロナが収束したあと、必ず豊後の国、日出町に行くぞ❗

豊後(Bungo)と備後(Bingo)は、一文字違い。