昨日のパラリンピック開会式、前半はオリンピック開会式の二番煎じかなぁ、と残念な想いで観ていました。
入場行進、家内が少々関わった某国の選手団も入場、開会式後半からは、かなり盛り上がりました。
ボランティアの皆さんがかぶった帽子の上にタケコプーター、翼をイメージしているのでしょう。
ドラえもんのどこでもドアなのかなぁ?
松原ミキさんの「真夜中のドア」が、約40年の歳月を越えて世界でヒット、stay with me の時代なのでしょう。
森高千里さんが、「私がおばさんになっても🎵」と老後の心配を歌っていたのも、扉の向こう側の世界。
それ以前には、ビートルズのポール・マッカートニーも10代か20代の若い時に「私が64歳の時」という未来の老後世界を歌っていました。
ビートルズが歌ったYesterday・・昨日は輝いていたのに、失敗、失恋、天災、人災、今日は悲惨な事態になる、何が起こるのか分からないのが運命。
誰もが、扉の向こう側の世界を知りたいのでしょう。
アフガニスタン情勢、空港に押し寄せて国外脱出を図る人々の群れ、逃げようとする彼らはアフガニスタンの富裕層なのかな?
誰もが、扉の向こう側の世界を知らないのでしょう。
海外との人脈も金もない大勢の貧困層は、逃げた富裕層を恨み、アフガニスタンの地に残るしかない格差という対立社会の運命に翻弄されます。
バラリンピック開会式、参加者は、障がい者の中でも選ばれたアスリート、あの何百万円もするような車椅子、高価な器具を、日常生活の中での一般人は到底買える代物ではありません。
工藤会会長に死刑判決。
北九州市役所に勤めている知人が、「北九州市は工藤会という存在で暴力の街という風評被害を受けているけど、日常は平和で長閑な所ですから、遊びに来てください」と言ってたのを思い出しました。
でも、あの会長の大豪邸をテレビで観る限りは、奇異な感じがします。
中国では、未来への希望を失った寝そべり族という若者が増えているというニュース。
年初めに「お金に賞味期限を❗」という言葉を掲げていたけど、コロナ禍と身内の不幸で、すっかりと忘れていました。
扉の向こうは、幸せな未来が待っていると、信じましょう。
そして、最後には、何もかも、そう何もかも、若さもお金も、その不幸とも、オサラバ。
この世に置いていけるのは、「虹を架けるような想い」だけかなぁ。
心は、架かる虹の上を歩きましょう。
通行無料です。