ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

正気と狂気の間

2008年12月04日 | 千伝。
昨晩は、高速道路を使って隣町で開催された研修「嚥下障害の対応」に参加して来ました。

毎月一回、このような研修会に参加するのですが、来年は、どうしようかなぁと思案中です。

昨晩の研修会は、ちょっとウトウトと半分寝入ってしまいました。
反省です。

寝ている間に、ちょっと現かに夢を見てしまいました。

その夢の話です。

病院で夜勤をしている夢でした。

いろんな光景を目にします。

認知症(老人ボケ)や統合失調症(精神分裂症)の患者がいます。

その病院には、貧困層出身の患者さんが多いです。

総刺青をしたヤクザが、生活保護を受けながら脳梗塞で倒れて、やせ細ってあの世へまっしぐら。

真夜中に、言うことを聞かない患者さんや老人の頭を、巡回しながら新聞紙を丸めて叩いて周る看護師も現れてきました。

精神分裂症や認知症の患者との会話も非常に興味深いものがあります。

若い頃の記憶を鮮明に憶えていて、ポロポロと隠し事もせずに告白します。

例えば、ある患者さんは、自分の仕事は、バーで男にビールを飲ませて、そのあとお客さんとホテルへ行っていたこと。

自分が売春婦をしていたことを堂々と告白するのです。
当時の相手の住所や名前まで憶えています。

「おとうさんは、土方で金も入れてくれんし、喰っていくのに苦労したんや」

「若い頃は、スタイルも良かったし顔もよかったし歯もあったし、店で私が一番人気だった」

「あんたのこと好きや。ここでは、あんたは、まともな人や」と精神分裂症の老婆が、小生に語りかけます。

どうして、この病院に入ったのかと聞くと、「精神分裂症になったからだ」だと・・。

しかし、朝食後、5分もたたないうち「めし食わせて」と訴えます。

さらに5分後、「ごはん持ってきて。ごはん持って来て。・・・」延々と同じことを繰り返して言います。

気分が悪いと、自分のオムツを外してしまいます。

・・こういう話を深刻にとらえる人間は、人生を狂気として捉えるのでしょうか?

・・こういう話を笑い飛ばせる人間は、人生を正気として捉えるのでしょうか?

「畳が腐るほど勉強するよりも、まず散歩する方がずっと良い」という事があります。

今日は、ちょっと大事な現(うつつ)か夢(ゆめ)を書き残して置きたくなりました。
(多謝)


門のかなた

2008年12月01日 | 千伝。
師走一日。 

今日は、映画「おくりびと」を観て参りました。
納棺師という仕事・・こういう仕事があるのかという驚きと、小生でも多分出来るだろうという自負と、もう1年早くこの映画を観ていたら父の旅立ちをもっと巧く見送ることができたのになぁ・・という感想です。

観客からも、すすり泣きが聞こえるほど、いい映画でした。
小生も何度か涙腺が緩んで、つい泣いてしまいました。

映画の主人公は東京でチェロの奏者をしていましたが、オーケストラが解散して故郷の山形に戻ります。
そこで偶然見つけた仕事が、「旅のお手伝いする」をする仕事でした。

遺族や友人や恋女房からも、遺体(死体)を扱う仕事は穢らしい仕事と蔑まれて、普通の仕事に就くことを薦められます。
でも普通の仕事って、何だろう?

普通に生きている我々は、肉も魚も・・その遺体を美味しく食べて生きているのです。

気品高い仕事か、馬鹿臭い仕事か、穢らしい仕事か・・すべての仕事は、当人の仕事に対する心構えと姿勢から区別されるのではないのでしょうか。

その意味を考えさせられました。

映画の中で、「死は、誰もが通る門だ」という台詞がありました。

その通りです。

それにしても、山形の風景は、美しいです。
山々は、神々しく・・長閑な風景は、落ち着きがあります。

山形県出身の作家藤沢周平原作の映画「たそがれ清兵衛」や「武士の一分」の舞台も同じくです。

加えて、モンテディオ山形のJ1リーグ昇格おめでとうございます。
門のかなたに神々しい山々(モンテディオ)が聳えるようです。