ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

Sir Thomas Gresham (1519~1579)

2016年04月10日 | 空木宝剣
ひらひらと 蝶も桜も ひらひらと

桜の白い花びらが、ひらひらと散るその中。
花びらを羽根にしたような白い小さな蝶が、ひらひらと舞っている。
小枝から地表までの花冠の旅。
花鳥風月、季節をたがわずしてやってきては去っていく。
人間社会は悪貨が良貨を駆逐するが、自然界は良花が悪花を駆逐して春爛漫の花と蝶。

風の電話。

2016年04月10日 | 千伝。
昨夜は、NHKBSで映画「リンカーン」を鑑賞。

南北戦争終了間際、黒人の奴隷制度を認める南軍を破り、例え北軍が勝利したとしても、約150年前の絶対白人優先社会のアメリカでは「奴隷制制度廃止」の下院を通過せずと見通したリンカーン・・その苦悩、憲法改正に至るまでの舞台裏を見事に描いていました。

役者陣も素晴らしかったです。

そのあと、NHK教育でETV特集「エヴァの長い旅」を観ました。

幼い頃に、その後「アンネの日記」を残したアンネ・フランクと一緒に遊び、同い年だった「エバァ」という女性・・事情があって、のちにアンネと義姉妹になります。

そして、自分の娘とともにアウシュビッツを訪ねていく人生の長い旅・・85歳を過ぎたエヴァが、どうしても語れなかったアウシュビッツでの事実を娘に語りかけるシーンは胸を打ちました。

・・泣けて、なかなか眠れなかった。

法の前では、すべての人間は平等のはずです。

法がなければ、人間の自由は無いのに等しいのかもしれません。

今朝は、ちょっと朝の遅い散歩に出かけました。

・・桜も散り始めています。



駅近くまで行くと・・だんだんと大賑わいでした。



ランナー姿の方々が、走り回っていました。





春の恒例のマラソン大会です。

走れる自由・・いいね!

この頃、世界一貧しい大統領と言われたムヒカ氏の言葉に、心が豊かに成ります。

パナマ文書報道による世界の富裕層連中の税逃れに、心が貧しく映ります。

3.11から、はや一か月・・あの日、NHK特集で「風の電話」という番組がありました。

もう会えない身内の者へ、独り公衆電話ボックスに置いてある黒電話から、淡々と語りかけるのです。

生きている証、生き残る意味・・人間の運命というのは、平等ではありません。

だからこそ、自由という言葉の重みが、心に大きく圧し掛かります。

風の電話に乗せて、今日も歩けたことに感謝です。

山桜色。

2016年04月04日 | 百伝。
今日は、雨の月曜日でした。

散歩中止・・涙雨でした。

退院して、いまだ静養中ですが・・生きていると、いつ時、何が不安になるか分かりません。

右脇腹に拳半分ぐらいの「しこり」を発見、CT検査・・結果は大事に至らなくてよかったです。

今日は、久しぶりに車を運転・・隣町の鯖江までテスト・ドライブをしてきました。



もう、このまま老後生活へと隠居も考えましたが、ぼちぼちと仕事できる日常生活の完全復帰を図っています。

・・4月になると、入社式、入学式の時季です。

鯖江の西山公園の桜が、美しいです。



新しい門出に立つ若者をみていると・・もうちょっと前向きに生きてみようかという気持ちになります。

今日は、英語教育に関わるニュースが2,3あったかな・・東京工業大学の入学式で学長が英語でスピーチしたとか?

一般的なサラリーマンを辞めて、10年以上が経ちました。

前の勤務先はドイツの外資系企業、半年に一度、海外関係・技術部署の社員/管理職に対してTOEICの試験を課せて、1番から10番までの成績の良いスコアの順番に名前が掲示板に貼られてしまうのです。

勿論、成績順に金一封の賞金、当時は皆勤賞も含めての世界一周旅行チケット、日本の行きたい希望地宿泊旅行付きチケットのプレゼントもありました。

・・何か社会に役立ったのかな?

いやはや何というか滑稽でした。

他にも、中国語やドイツ語も勉強できる環境・機会も与えていただきました。

全く身についてもいませんが、今では感謝しています。

給与収入も申し分なく、あの頃に戻りたいというノスタルジーもありますが、今の今は、現在の自由気ままな生活の方がいいかな?

福井県勝山市出身の元バレーボール日本代表の三屋裕子さんが、いいことを話されていました。

「健康でないと、お金も使えない。ドライブもできない」

「毎日、牛乳を飲む人よりも、毎日、牛乳を運ぶ人の方が健康だ」

若者よ・・人生の楽しみは、病的な勉強よりも健康的な勉強学問です。



そうそう、子供の時分、昨日4月3日は、百島では「山登りの日」でした。

来年も、満開の桜咲く花を見たいものです。

独楽 愛宕坂。

2016年04月03日 | 福伝。
今朝は、朝早くから歩きました。

愛宕坂から足羽神社まで上がりました。



途中、江戸時代末期の歌人橘曙覧が暮らしていた「黄金舎(こがねのや)」の跡に橘曙覧文学記念館があります。





今の時季、夜に来ると、こんな具合に灯りの回路になっています。





この辺りは、福井市の新しい観光ルートとして注目されている散策コースです。





足羽神社の境内に参ると、樹齢350年の枝垂桜が満開に咲き誇っていました。





橘曙覧の「楽しみは~」で始まる独楽吟は、心が晴れ晴れとなります。

今日も、いい朝でした。

Fukui Happiness !

2016年04月03日 | 福伝。
春の花が咲き誇ります。

今週末も歩きました。

菜の花通りです。



今回は、福井大仏も上機嫌でした。





足羽川沿いを歩くと、大勢の車と観光客が「お花見、桜見物」を楽しんでいました。







夜桜です。





2年後の平成30年のNHKの大河ドラマの主人公は、由利公正となりますように!



幸せな福井生活です。



Symmetry

2016年04月03日 | 空木宝剣
新芽採り 昼間と夜と シンメトリー

「桜伐る馬鹿梅伐らぬ馬鹿」の例あり。
虫を嫌って剪定し過ぎると、満開の賑やかさを失って、さみしい花見となる。
馬鹿と鋏は適材適所。
粗末に扱ってよい命などある筈もない。
その昔「お笑い三人組」のハっちゃん役の、江戸や猫八さんは、昭和20年8月6日、兵隊として宇品港にいて原爆の悲惨さを体験。
涙ながらに述懐するさまは、子供ながらに、あの面白いハっちゃんがと違和感を覚えたことがある。
その息子の、二代目江戸や猫八さんが胃癌、66才で他界。
ひょっとしたら、被爆2世だったかも知れない。
ホー法華経と、同じ世代が飛んで行った。
散る桜、残る桜も散る桜。
花の命は寂しきことのみ多かりきか。


南北朝時代。

2016年04月03日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)
日本史の中で、最も稀有な時代といえば、鎌倉時代から室町時代へと推移する間の「南北朝時代」だと考えます。

何しろ、日本国に御二人の天皇が即位して、年号さえも二つ存在していたのです。

・・日本史のタブーとさえ言われています。

近代の明治になる頃には、北朝側の室町幕府を開いた足利尊氏が悪党になって、敗れた南朝側の後醍醐天皇に従った楠木正成や新田義貞が祭神扱いになっています。

現在の今でさえ、どちらが正統性があるのか謎だらけです。

ただ、その御蔭で興隆したのが瀬戸内海の水軍でした。

平家を滅ぼしたあとの源氏の鎌倉幕府は、瀬戸内海の水軍を徹底的に弾圧しました。

それほど、瀬戸内海の島々は、古代の時代から豊かでした。

その瀬戸内海の水軍の再興隆にチャンスがまわってきたのは、蒙古襲来の元寇の危機でした。

舟造り、舟操り、兵士としても、瀬戸内海の水軍が大動員されます。

その時、登場したのが前期の村上水軍です。

もともと、村上氏の祖となるのは「多田氏」です。

系図・・複雑迷路です。

その後、時代が過ぎて「南北朝時代」に信濃村上氏から師清という南朝側の人物が瀬戸内海にやってきます。

後期の村上水軍の祖となる人物です。

そして、後世に知られる能島村上、因島村上、来島村上の村上水軍三家の登場です。

考えてみれば、芸予諸島の海道を制覇・確保すれば、日本の大動脈だった瀬戸内海の航路を封鎖もしく管理できます。

軍事力というよりも「通行税」という売り上げによる経済力は、抜群の効果をもたらしました。

それも、南北朝時代の動乱、室町時代の末期の戦国時代だからこそ、村上水軍は大躍進したのです。

水軍というよりも、海賊という呼び方がいいのかもしれません。

はじめは、伊予守護職の河野家の配下、そして南朝側だった村上水軍も、室町幕府体制が確立したのちは、非常に複雑な動きになっています。

瀬戸内海のほとんどの島々が、村上水軍の拠点配下となります。

嘉吉の乱(1441)には、能島村上は、播磨守護赤松満祐の本拠地、播州白旗城攻めに参加しています。

百島の祖となる赤松一党は、どのような理由・方法で桃島へ逃げたのか?

・・話を戻します。

因島村上からの分家だった「百島村上水軍」は、本家を凌ぐほどの強大になりました。

それは、そうです。

鞆の浦と尾道、因島に行き交う舟に悉く、通行税を徴収すればよいのです。

百島村上水軍は、お隣りの田島村上水軍と組んで、因島の大浜に上陸して本家の因島村上水軍に攻撃を仕掛けたという内紛の歴史も残っています。

下剋上です・・しかし、敗北。

でも、百島村上水軍を再興されています。

当主の村上高吉は、なかなかの才覚人であり、村上水軍全体の重要な歴史を口述で残しているようです。

百島の曹洞宗西林寺に眠っています。

さて、豊臣秀吉が天下を制して「海賊停止令」を発して、各々の村上水軍の運命は分かれ消滅してゆきます。

その後の徳川幕府の260年間・・瀬戸内海の島々の経済力の豊かさは、漁業農業だけの貧しい島々に変って行きました。

南北朝時代が無ければ、瀬戸内海の村上水軍の成り立ち、興隆は歴史上に残らなかったのです。