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終戦(敗戦)直後の皇族の宗教(国家神道)儀式に見る価値観は今も継承され、これからも

2024-09-05 20:46:13 | 皇室

 昭和天皇は、アジア太平洋戦争中には、国家神道が祀る神々に「戦勝祈願」の「祈り」を皇居の三殿(宮中三殿)において捧げ続けていた事は周知の事実である。

 その昭和天皇は終戦(敗戦)直後の11月12日には、国家神道の神々を祀る伊勢神宮、神武天皇陵、明治天皇陵にそれぞれ「終戦(敗戦)奉告」のために参拝していた。

 また、12月3日には、皇族男子を呼び、「歴代天皇に親しく自分がお参りして終戦(敗戦)のご奉告をしたいのであるが、今の状態ではできない。みなで自分の代わりに御陵に参拝(敗戦のご奉告)してほしい」と命じた。それにより、12月初旬には、7人の皇族が手分けして全陵(治定は明治期伊藤博文の命により実施されたものでほとんどは信憑性はない)を参拝(敗戦のご奉告)したという。たとえば、高松宮は京都・月輪陵など40数陵、閑院宮は奈良・聖武天皇陵など15陵、朝香宮は大阪・応神天皇陵など16陵というようにである。

 なぜ、昭和天皇や皇族がこのような動きをしたのだろうか。その答えは「終戦(敗戦)の詔勅」のなかに明確に述べられていた。昭和天皇が国民に命じた事は、「忍び難きを忍」んで降伏し「国体(天皇制国家体制)を護持し得」た事を喜び、今後いよいよ「誓って国体の精華を発揚」する事、であったからである。

 この事はまた、国民の犠牲の苦痛も、日本の侵略が与えた隣国の苦難も、天皇制維持(護持)の一点以外のすべては問題とされていなかったという事でもあった。そして、平成の天皇も、新たな天皇も、その皇嗣子も、この昭和天皇の「終戦(敗戦)の詔勅」に込めた意志を実現する事を使命としていると考えてよいのである。

 彼らが、国民に対して、昭和天皇の「終戦(敗戦)の詔勅」を「撤回する」との意志表明をした事がないし、自己の考えを論理的に表明した事がないからである。

(2019年12月10日投稿)

 


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