五輪パラ大会組織会長であった森喜朗氏による女性差別発言のベースとなっている意識は、敗戦で滅亡した神聖天皇主権大日本帝国の近衛文麿政府による「国民精神総動員政策」における動員女性に対する意識と同じものである。つまり、森氏は、戦前の意識をそのまま強固に持ち続けているという事であり、今回の女性に対する差別意識もその一つなのである。
第1次近衛文麿政府は、盧溝橋事件直後から国民精神総動員運動を開始し、女性の動員を促進した。政府が1937年10月に設立した国民精神総動員中央連盟には愛国婦人会・大日本国防婦人会・大日本連合婦人会・大日本女子青年団などの4大官製団体を参加させ運動の主な推進力とした。しかし、その女性動員の実態とはどのようなものであったかをみると、たとえば、
横山則子「大日本国防婦人会研究 潮止村分会の事例」『八潮市史研究』6号によると、埼玉県潮止村(現八潮市)での国防婦人会の結成(1937年8月)では、婦人会の役員は、村の在郷軍人会の指導者によってあらかじめ一方的に決定されており、発会式は上部組織から送られてきた『国防婦人会式次第の一例』にのっとって挙行されている。また、そこには司会者や分会長の発言はもとより拍手のタイミングにいたるまでもが、あらかじめ決められていたのである。
ロバート・J・スミス、エラ・ルーリィ・ウィスウェル著、河村望・斎藤尚文訳『須恵村の女たち』によると、熊本県須恵村における婦人会の発会式(1935年)では、「女たちは(婦人会の発会式において)校長の演説を聞くために集められた。その後、男の教師が、婦人会の決議を婦人たちに読みあげた。彼が『私たちは台所を清潔にきちんとします』という文を読んだ時、私はあまりの馬鹿々々しさにあきれてしまった。婦人の組織が、国家主義的目的のために、男たちによって結成され、発展させられていったのだ。……私は、この組織のいかなる総会においても、女が演説をしたのを聞いた事がない。あらゆる組織づくり、あらゆる決議、あらゆる取り決めが男性によってなされる。女はただ、命令を遂行するだけである」と述べているのである。
これこそが、森氏の女性差別発言のベースに根付く意識であろう。
(2021年2月13日投稿)