2019年7月17日の新聞に、来年夏に予定されている「東京五輪・パラリンピック」のために、国旗と国歌を通じて国際理解を深めようという目的で、前回1964年の東京五輪で国旗を担当したという吹浦忠正氏とソプラノ歌手である新藤昌子氏が「世界の国旗国歌コンサート」を開くために合唱団員を募集しているという記事が載っていた。
しかし、両氏はその前にオリンピック憲章を正しく理解するべきである。憲章では1984年のオリンピックから、国旗・国歌の文字を使う事を止め、参加選手は各国のオリンピック委員会(NOC)の旗と歌を使用する事と決めているからである。それは、1980年にアメリカ政府がソ連のアフガニスタン侵略への抵抗や批判の意味を込めて、モスクワ五輪への参加を中止した事があったが、それをきっかけにIOC(国際オリンピック委員会)がオリンピック憲章第1章オリンピック・ムーブメント6オリンピック競技大会1に定める「オリンピック競技大会は、個人の個人種目または団体種目でも選手間の競争であり、国家間の競技ではない」とするオリンピック本来の精神に立ち戻る事にしたためである。同憲章第4章国内オリンピック委員会(NOC)31.NOCの旗、エンブレム、讃歌に定める旗と歌は「NOCが……採用する旗・讃歌」と定めている。
また、オリンピック憲章70.表彰式の規則70付属細則1-表彰式、にも、「優勝者の所属する選手団の旗がセントラル・ポールに掲揚され、……。優勝者の所属する選手団の歌(短縮したもの)が演奏される間は、メダル受賞者たちは旗の方向を向くものとする。」と定めている。
しかし、両氏はおそらく、この重要な決定を知らないのではなく知っていながら、このような規則を覚えている知っている人は少ないと見込を立て、上記のようなイベントを実施しようとしたのであろう。極めて狡猾である。
また、彼らは「国旗と国歌を通じて国際理解を深めよう」と、「国際理解」について極めて独善的に簡単に深められるようにアピールしている。しかし、「国際理解」はそのような単純で簡単にできる事ではない。つまり、単に国旗を知りと国歌を歌う事だけで国際理解ができるものではない。国際理解は、あらゆる異文化(自分を取り巻くすべての人々の文化)を知り尊重し対等に接し、そこから学びながら共に生きるための知恵や能力を身につけ自分自身を変革する事であるから。
彼らはおそらく、それを分かっていながら、故意に隠して、募集に応じた合唱団員に「国際理解」を深める事ができたと思わせる事とそのような中身のないカッコだけのコンサートイベントをする事が目的なのである。そして、「君が代」を合唱させる事を最重要の目的としているのであろう。
主権者国民は、NOCが、いつ、どこで、誰が、NOCの旗と歌を決定したのかについて疑問を持ち明らかにしておくべきである。主権者国民がまったく知らないところで決定し、承認を得る手続きさえも経ず、現在も、1980年以前からの、旗としては「日の丸」、歌としては「君が代」を使用し続けている事の問題に気づくべきである。
また、公益財団法人・日本オリンピック委員会のHPは、オリンピック憲章に関して、規則59付属細則までしか公表していない事も糾すべきである。
さらにこの「旗と歌」に関連して、東京都の学校教育において、主権者都民保護者が看過できないもっと重大な問題が起きており、都教育委員会を提訴し訴訟中である事を紹介し、この問題が安倍自公政権と結託したいかに組織的で根深い企て(陰謀といっても良い)であり、国民の人権を抑圧し否定する恐ろしいものであるかを知ってもらいたい。
都教委は2016年3月31日、2020年東京五輪に向け、自己の作成した「五輪読本」などを、税金約1億6400万円を使って都内の国公私立すべての小学校(4年生以上)・中学校・高等学校の児童生徒に配布し、年間35時間の五輪授業を強制義務化した。しかしそれは、五輪憲章について故意に自己に都合よく書き換えた「虚偽」の内容であり、都教委はそれを児童生徒に刷り込む事を目論んでいる事が明確である。
小学校用の65ページでは「表彰式の国旗けいようでは、国歌が流されます。」としており、中学校用の89ページの表彰式の写真の説明では「中央に1位、向かって左側に2位、右側に3位の国旗が掲揚され、1位の国の国歌が演奏される。国歌が演奏されるときには、敬意を表し、起立して脱帽する。」と記載されているのであるが、上記が正しい内容なのである。
東京都教委の行為は、オリンピック憲章に背反している事はもちろんであるが、憲法違反でもあり、子どもの権利条約にも反している。ただちに、五輪授業自体を止めるべきである。安倍自公政府・文科相の姿勢が元凶である。
(2019年7月20日投稿)