2018年10月29日、高円宮家の三女絢子さんと守屋慧さんが明治神宮で結婚式を挙げた。つまり、神前結婚式を挙げたという事である。守屋さんが一般的な衣装であるのに対して、絢子さんの「おすべらかし」の髪型や衣装には異様さを感じない人はいなかったであろう。
ところで、庶民における神前結婚とはどのような関係があるのだろうか。ほとんど知られていないが、知っておいた方が物事を考え行動するうえでより良い判断ができるので紹介しておこう。
日本では元来、結婚式は宗教とは関りを持たないものであった。しかし、キリスト教の影響により、明治中期には仏前結婚式が創り出された。そして、神前結婚式も神聖大日本帝国政府が国教神道体制を創り上げるなかで、皇太子(大正天皇)の結婚式に備えて1899年、「皇室婚嫁令」を制定し、この時初めて「神前結婚の儀礼」を創ったのである。そして、1900年5月、皇太子の結婚式を宮中三殿の賢所(天照大神を祀る)大前で挙げたのである。その後、宮中の神前結婚の儀礼は1910年に「皇室親族令」の附式第一編「婚嫁の式」を制定し確定したのである。
1900年には、神宮奉斎会の東京大神宮(1890年明治天皇の意志により、皇室の先祖とみなす天照大神を祭神とする伊勢神宮の遥拝殿として建設)により、で、宮中の神前結婚式をまね、『古事記』の神話に基づく神前結婚の形式を創り、初めて神前結婚式を挙げた。これがその後簡略化されて民間に普及したのである。古い歴史を持つと思われているが、そうではなく国家神道時代の政府主導の産物なのである。
明治神宮(1920年、明治天皇と昭憲皇太后)について。元来、日本には天皇や皇族を神として神社に祀る伝統はなかった。しかし、神聖天皇主権大日本帝国政府は、支配を正当化する国家神道(天皇教)の根幹である天皇皇族崇拝を国民に植え付けるために天皇皇族を祭神とする今日有名な多くの神社を創った。吉野神宮(1881年、南朝関係)、橿原神宮(1890年、神武天皇)、宮崎神宮(1885年、神武天皇)、平安神宮(1895年、桓武天皇)などである。それらの神社の中の一つで最大の規模を持つのが明治神宮である。明治神宮を天皇皇后、首都東京の守護神としたのである。また、造営に際し国民に対して労働奉仕や献金・献木を促す事により、天皇崇拝と神聖天皇主権大日本帝国政府に対する忠誠心を教化する場としたのである。
※明治神宮については、別稿(カテゴリー、スポーツ)「明治150年記念を冠する福井国体は戦前回帰の憲法違反。明治神宮と神宮外苑競技場の建設目的は天皇崇拝と天皇制国家への忠誠心(国家神道)の普及」(2017年11月11日投稿)も参照してください。
(2018年11月3日投稿)