2021年6月5日朝日新聞「そよかぜ」が「日韓の信頼にじむ一枚の絵」と題する記事を載せていた。
日本が大韓帝国を大日本帝国に併合し地域名「朝鮮」として植民地支配していた時代、京城帝国大学教授であった藤塚隣氏が京城(現ソウル)滞在時に集めた、李氏朝鮮時代の書芸家、金正喜(号は秋史、1786~1856)氏の資料2700点余り(現在大韓民国国宝の「歳寒図」など)を、隣氏の息子の明直氏が死の直前の2006年に、秋史氏が住んだ京畿道果川市の文化院に寄贈していた事などが泉千春氏の調査で明らかになった事を紹介していた。末尾は、泉氏の「『歳寒図』も日本から奪い返したと言われているが、これは信頼に基づいて実現した物語です」という言葉で結んでいた。
この記事を読んで思い出した事がある。それは、韓国併合から100年目の2010年、時の民主党政権が特定の図書を大韓民国に「引き渡す」と宣言し、同年11月の「図書に関する日本国政府と大韓民国政府との間の協定」(日韓図書協定)に基づいて、2011年に『儀軌』類81部167冊を大韓民国政府に戻した事である。
1910年から47年まで、神聖天皇主権大日本帝国政府は、「王族」と「公族」という身分を新しく作った。それは1910年の韓国併合の際、穏便に併合を実現するためにあらゆる手段を取って朝鮮人を懐柔しようとしたが、その一つとして、明治天皇が大韓帝国皇室のために詔書を出し創設した身分であった。
高宗太皇帝、純宗皇帝、皇太子李垠など大韓帝国皇室の嫡流は「王族」として順に「李太王」「李王」「二代李王」とし、皇帝の弟にあたる義王李堈や太皇帝の兄にあたる興王李きなどの傍系は「公族」とした。そして、宮内省が「王公族実録」を編修する際に『儀軌』が必要不可欠となって東京宮内省に移管し、「帝室図書」として宮内省が保管し、その後朝鮮に返還する事はなかったのである。戦後宮内庁が保管を引き継いでいたという経緯があったのである。
ちなみに、『儀軌』についてであるが、朝鮮王朝では国家行事や王室の祭礼、葬儀、婚礼などに関し、儀式の仕方や道具の種類、収支決算などをその都度『○○儀軌』という名称で編纂してきた。その部数は数千に及ぶ膨大なものであり、現在ではそれらを総称して『朝鮮王朝儀軌』と呼び、2007年に記憶遺産となっている。
(2021年6月15日投稿)