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孫基禎が生きた神聖天皇主権大日本帝国政府による植民地支配下の朝鮮:メディアは主権者国民に伝えきれているだろうか?

2024-10-08 18:58:29 | 朝鮮問題

※下記は2020年6月20日放送の「映像の世紀」『オリンピック・激動の祭典』を見た際に、2018年5月31日に投稿した内容を思い出し、改めて投稿したものです。

 2018年5月4日の朝日新聞記事「憲法を考える 揺れる価値2」が、1936年8月1日~16日に、ヒトラーが開催したベルリン・オリンピックマラソン優勝者・孫基禎の記事を載せていた。日本の新聞の取り上げ方、彼の悲しみ、彼や朝鮮メディアに対する特別高等警察(特高)の対応など。しかし、このような内容では読者は当時の神聖天皇主権大日本帝国政府朝鮮総督府(総督は天皇直属の地位と権力を有した)による朝鮮民族を奴隷化自由を奪う過酷な植民地支配を想像し理解する事はできないであろう。植民地支配の実像を知る者の多くがすでにこの世を去った今日、大人たちも多くが間違いなく、特に若者たちにはとっては確実に。朝日新聞はそのような意識状況を把握した上で、伝えたい事を適確に受け取ってもらえるように、内容に検討を重ね、試行錯誤の上、より良い手法で記事を書くよう心がけるべきであろう。それほどに今日の国民の意識状況が変貌している事に敏感であるべきであろう。

 ベルリン・オリンピックのマラソンでは1位が孫基禎であるが、3位にも南昇龍が入っていた事も知っておこう。同年8月10日の朝日新聞の見出しは、日本のオリンピック初参加が1912年第5回ストックホルム大会であった事から「マラソン24年の宿願成る」や、「世界に誇れ孫選手 見事1着 日章旗輝く」「南選手も堂々3着」とした。しかし、朝鮮民族の新聞『東亜日報』8月25日夕刊は、孫選手の白いシャツの胸の「日の丸」を消した写真を掲載して発行した(日章旗抹消事件)。朝鮮総督府(1936年8月5日~42年5月28日は南次郎陸軍大将が総督、第7代)はこれに対し、反日的であるとして無期停刊(翌年6月2日解除)の処分とした。写真修正した画家李象範、運動部責任者李吉用、社会部長、写真部長、社長宋鎮禹ら11名を逮捕し、40日間警察に勾留尋問した。そして、李吉用ら5名には「今後言論機関に一切関与しない」という誓約書を書かせて言論機関から追放し、宋鎮禹ら3名には辞任させた。同様の写真を掲載した『朝鮮中央日報』は自ら停刊して謹慎したが、1937年11月に発刊停止とした。また、『朝鮮日報』は1936年秋、本社2階の講堂で、「高等普通学校体育教師たちに対する報告」と題して、孫選手の歓迎会を開催した。ソウル市内の体育教師たち40名が集まったが、孫選手には朝鮮語(ハングル)で話す事を許さず、日本語で話させた

 1936年8月、朝鮮総督になった陸軍大将・南次郎は、朝鮮民族に対し、国家神道による皇国臣民化(民族性抹殺、日本人への同化)政策を推し進め、思想統制の強化や民族運動を弾圧した。新聞・雑誌の用語は、日本を「内地」、日本語を「国語」、日本軍を「我が軍」「皇軍」の使用を強制した。1940年8月10日には『朝鮮日報』『東亜日報』を廃刊処分にした上で、『防共朝鮮』『思想報国』などを出版した。

 皇国臣民化政策の内容は、①1村1神社計画を推進し神社参拝強要(家庭に神棚を作らせ、天照大神のお札を買わせ毎朝礼拝、キリスト教徒の投獄と教会閉鎖などの弾圧と懐柔も)、日の丸掲揚、皇居遥拝、「君が代」斉唱の強要、②「皇国臣民の誓詞」(1937年10月制定、「私共は大日本帝国の臣民であります」「私共は心を合せて天皇陛下に忠義を尽くします」「私共は忍苦鍛錬して立派な強い国民となります」などの内容)斉唱の強要、③第3次朝鮮教育令改正(1938年3月)し、「内鮮共学」として日本と同じ教科書、同じ教育方針などを規定し、朝鮮語(ハングル)を廃止して日本語の常用を強要、④国民精神総動員朝鮮連盟の発足(1938年7月、皇国臣民化政策推進組織、基礎単位として愛国班を編成させ、物資を配給するとともに防共防諜の相互監視をさせた)、⑤創氏改名(1940年2月11日)強要、⑥徴兵制実施(1944年。1938年4月陸軍特別志願兵令施行。43年7月海軍特別志願兵令公布。44年国民徴用令強制連行。44年8月女子挺身隊勤労令公布)などが主なものであり、朝鮮民族の土地を奪い、を奪ったうえに、人の体と心を奪い奴隷化し、神聖天皇主権大日本帝国政府によるアジア太平洋戦争を遂行するために強化されていったのである。

 しかし、皇国臣民化政策に対する抵抗は続けられた。その代表例の一つを紹介しよう。それは「朝鮮語学会」の活動である。「学会」は1932年機関紙『ハングル』創刊、33年「ハングル綴字法統一案」発表、36年標準語の査定完成、36年4月から「朝鮮語辞典」編纂を開始した。しかし、1942年夏、一女高生の日記に「日本語を使い処罰された」とあった事をきっかけに、総督府は「治安維持法」違反として、同校教員を検挙し、10月にはハングルを抹殺するため、「学会」が独立運動をしたとでっち上げて解散し、李克魯、崔鉉培、李煕昇らの言語学者ら33名を逮捕投獄した。李允宰、韓澄の2人は拷問と栄養失調で獄死した。これを「朝鮮語学会事件」という。

 神聖天皇主権大日本帝国政府が、「東亜の盟主」を任じ「アジアの解放」を主張した「大東亜戦争」なるものは、朝鮮に対する植民地支配をみれば、それがいかに欺瞞に満ちたものであるかが分かる。そして、この忌まわしい残虐な歴史は、民衆が支持をせず、それを黙許する姿勢を見せていなければ起こり得なかったであろう。今日の安倍自公政権下のメディアの記事はそこから学ぶべき事を読者に的確に伝えきれているだろうか。

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