「学徒出陣」とは、神聖天皇主権大日本帝国東条英機内閣が、1943(昭和18)年10月2日公布、即日施行した「在学徴集延期臨時特例」(勅令第755号)に基づく「徴集猶予措置停止」に伴い、理工系・教員養成系以外の学生・生徒を兵員として戦争に参加(陸軍ー入営、海軍ー入団)させた事をいう。
同年10月21日には明治神宮外苑競技場において「出陣学徒壮行会」を実施。同年10月25日から11月5日まで、1943年度の「臨時徴兵検査」を、出陣学徒の本籍地において実施し、11月15日に陸軍海軍別の入営入団を本人に通知した。陸軍は12月1日に部隊に入営させ、海軍は12月9、10日に本籍地の所属する4つの海兵団(横須賀のち武山、呉のち大竹、佐世保のち相浦、舞鶴)に入団させた。
ところで政府は、「学徒出陣」開始までの学徒には、すでに「在学・修行年限短縮」の措置を実施していた。1941(昭和16)年10月16日には、「大学学部等の在学年限又は修業年限の臨時短縮に関する件」(勅令924号)を交付し、大学学部の在学年限、大学予科、高等学校高等科、専門学校、実業専門学校の修業年限を1941年度以降「当分の内」それぞれ6カ月以内短縮する事とした。この措置は、「下級幹部の教育養成を行って軍の要員充員上遺憾なきを期し、人的資源の最高度の活用による軍需の充足並びに生産の増強のため」とし、趣旨は、「学生生徒の修学期間を短縮して成るべく速やかに卒業生を世に送り、各般の緊急なる要望に応じ夫々の部署に就かしむる事は、正しく現下の国家的要請に沿う所以である。国の危局に臨んで学生生徒が常時よりも速やかに学窓を出て実務に就き、或は召されて兵役に服し、以て天業を翼賛し奉る事は、一朝事あらば直ちに立つの覚悟を平素から堅持して居る学生生徒の本懐を充たすものである」(文部省計画室『大学学部等の在学年限又は修業年限の臨時短縮に関する件』)とした。以降「臨時短縮」の措置は文部省令により毎年度規定し、大学(修業年限3年)卒業は「繰り上げ卒業」措置とした。1941年度は3カ月(卒業12月)、1942年度から1945年まではそれぞれ6カ月(卒業9月)短縮した。
(2023年10月22日投稿)