マッタリ風景

散歩写真と戯れ言のブログ

涼しそうな景色

2008年07月27日 | 大河ドラマ

単純に滴を撮影したのですが、以外とオートフォーカスが外してくれるパターンでもあります。




今日は朝から晴天で、しかも気温がグングンと上昇して、とても蒸し暑い状態です。

昨夜は、いささか夜更かしをしてしまって、体が重たくて怠いです。
原因は、昨日図書館で借りてきた本です。
今年のNHK大河ドラマの原作本「天璋院篤姫」の「上巻」が書棚にあったので、ラッキー!!と借りてきました。
借りてきた本を、ついつい夢中で読んでしまって、夜更かし状態になった訳です。
先に「下巻」を読んでしまったので、物語を遡って読むことになりましたが、以外と違和感はありませんでした。
先日、同じ書棚へ「下巻」が3冊置いてあるのを見たので、この図書館へは最低3セット揃っているみたいです。
ただし、今年の原作本なので、これでも足りないようです。
大河ドラマは、原作本へ大幅に脚色してありますから、大筋は合致していてもまるで違う物語を見ている感じですね。

図書館の帰りに、いつもの散歩道を少し歩いて来ました。
ちょうど、雨上がりだったので、見るもの全てが湿っていて、落ち着いた感じを受けます。
木や花にへついた雨の滴は定番の被写体ですが、定番だけに何回撮影しても飽きません。
滴の中に写り込んだ回りの景色を超接写で撮影と行きたかったのですが、手持ちではこれが精一杯です。
これらの画像を見ると涼しそうに感ずるのですが、実際には気温が高かった上に、高い湿気が体にまとわりつく感じで、今日の蒸し暑さに匹敵する気分の悪さだったのではありますが。





扇風機代わりのような、涼しそうな景色ですね。
ただし、実際は重たい湿気が体にまとわりつく状態でした。







ムクゲの花も、雨に遭って開花しようか迷っているように感じます。





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礼節

2008年06月06日 | 大河ドラマ

近所の遊歩道で撮影。
ハハコグサですが、本来は春の七草である御形(ごぎょう)と言う名前の方が有名でしょうか?





新潟市は今日も雨模様だったようです。
ようですと言うのは、今日も研修でほぼ建物の中にいたので、お昼に外へ出た時に地面が濡れていたからです。
梅雨寒と言うわけでは無いでしょうが、このところ少し肌寒い天候が続いています。

井関隆子日記の続きですが、彼女はは井関家へ後妻として入ったため、当主とは血の繋がりはありません。
いわゆる義理の親子と言う関係ですね。
さらに、義理の孫(こんな表現で良いのかは?)、義理の曾孫も同じ屋根の下に生活していたようです。
家族内で義理の関係と言うと、現代人からすると何やらもめ事がありそうな感じがしますが、日記から井関隆子は母親、祖母として尊敬されていた事が推察されます。
まあ、武家の話だけなのかも知れませんが、義理ではあっても親子関係にしっかりした礼節があったわけです。
井関隆子は、屋敷内の離れに隠居して、庭に植えた尾花(ススキ)とお酒をこよなく愛し、孫(将軍家慶小納戸の職を勤めていました)と酒を酌み交わしながら柳営(将軍家)の情報を聞き出しては日記のネタするという、悠々自適の引退生活をおくっていたようです。
いやー、羨ましいですね、私もそんな引退生活を夢見てしまいます。






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真実は

2008年06月05日 | 大河ドラマ

近所の遊歩道で撮影。
後ボケ部分が、いささか目立ちすぎたようです。



今日は、一日研修で建物の中に缶詰状態でした。
で、夕方研修が終わって外に出たら雨模様、確か朝は曇っていたはずなのだけど、途中の天候が分からずに過ごしてしまいました。

今年の大河ドラマの影響で、江戸時代に付いて書かれた本を読み漁っています。
その江戸時代関係で、先日図書館で借りた本がとても面白かったです。
その本は、深沢秋男/著「旗本夫人が見た江戸のたそがれ 井関隆子のエスプリ日記 」と言う本です。

井関隆子と言う女性は幕末を生きた人です。
旗本の姫様として生まれ育ち、一度嫁いで離婚、旗本の井関弥右衛門へ後妻として再婚と言う人生を送りました。
彼女が、晩年に著した「井関隆子日記」が上記の本の底本となっています。
子供(義理とはなりますが)で井関家当主親経が広敷用人となり、十一代将軍家斉の正妻だった広大院の掛となったため、当時の正式記録とは異なった将軍家の出来事が書かれていたりします。
余談ですが広大院は島津家から家斉の御台所として入輿した女性で、篤姫にとっては大叔母に当たる人だそうです。

小説、天璋院篤姫の中でも、夫の将軍家定の実際の亡くなった日と、幕府から公にされた日が異なっている様に書かれています。
家斉が亡くなった時も、井関隆子日記によれば異なっていたことが書かれています。
まあ、天下の将軍が薨去した場合、政治的な対応が必要なので、必然的にそうなってしまうのでしょうね。
そんな歴史的な証言も面白いですが、何よりも彼女のエスプリ=知性を感じさせる文書が素晴らしいと感じました。(ただし、原文はとても私のスキルでは読めません、著者の深沢氏の解釈を通じてではありますが)




実際は、こんな感じで咲いていました。
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たくましさ

2008年05月18日 | 大河ドラマ

豊栄図書館近くで撮影。
とある屋敷の花壇から逃げ出して増えたようで、たくましさを感じます。



今日の新潟市は、朝から恐ろしいほどの強い日射しで、外にいると紫外線をもろにキャッチして、あっと言う間に日焼けしてしまいます。

今日は、こんな状態なのに外で2時間ほど作業をする羽目になってしまいました。
自治会の共同作業なのでやむを得ないのですが、とにかく肉体作業をこなしました。
乾燥しているので意外と汗をかきませんが、猛烈に喉が乾きます。

大河ドラマ「篤姫」の舞台は江戸時代です。
そんな事もあって、このところ図書館で借りてくる本の中に、江戸時代関係の本が必ず一冊は混じるようになっています。
先日借りてきた本は「対談 杉浦日向子の江戸塾」です。(※著者の杉浦日向子さんは、既に鬼籍に入られています。)
対談形式で、江戸時代の庶民、それも江戸に住まう女性の事が上手く書かれています。
都市としての江戸は、大名の家来が単身赴任する町であり、庶民が地方から働き口を求めて移入して来る町なので、恐ろしく男の人口が多かったようです。
その男女比率のアンバランスが、江戸に独自の倫理観と言うか、文化を作らせたと感じました。
江戸の女性と言うのは、本当にたくましいと思います。

しかし、この本を読んでみると、自分が受け継いだ倫理観など、明治以後の浅い歴史しか持っていないことに愕然とします。




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吹き替え

2008年05月17日 | 大河ドラマ

豊栄図書館近くの稲荷神社で撮影。
葉っぱの色が、若葉から大人の葉っぱの色になってきた感じです。



昨夜は、夜半になって急に雨が落ちてきて、結構まとまった雨が降りました。
今朝はどうなるかと心配しましたが、朝から快晴で日中は強い日射しが降り注いでいました。
このところ乾燥注意報が出ているので、何をしなくても直ぐに喉の渇きを覚えてしまいます。

午後から、NHKの大河ドラマ「篤姫」の再放送を見ました。
この前の日曜日に同じ内容を見ているのですが、もう一度見たことになります。
何でかと言えば、先週の放映で小松帯刀と大久保利通が小松屋敷で話をしている場面で、ちょっとした間違った内容が放映されたからです。
その場面で、大久保利通が「駿河の国、下田......」と喋っていましたが、この内容は間違いですよね。
時代劇は、場合により時代考証と違っていても仕方ないのですが、さすがに地名の間違いはいただけません。
この間違いに対して随分とNHKへご注進に及んだ人が多かったようで、再放送時には訂正して放映することになったようです。
で、その場面を見るためだけに、もう一度「篤姫」を見てしまったのですが、間違いなく「伊豆の国、下田......」と吹き替えられていました。
暇人の戯言でした.......





道端の道草を撮影していたら、猫さんに出くわしました。
反射的にカメラを向けたら「上手く撮れよ」とでも言っているようにこちらをにらんでいましたが、シャッターを切ったら、あっと言う間に消えてしまいました。
猫撮りを楽しむ人が多いようですが、どうも動物(特に人間は)撮りは苦手です。
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お下がり

2008年05月13日 | 大河ドラマ

昨日の写真と同じ場所で撮影。
どなたかが、丹誠込めて育てているようでした。
紫の色は、デジタルカメラでは鬼門みたいで、見た目の色になってくれません。




今日の新潟市は、台風の影響なのか東よりの風が強く吹いて、空の色が何か異常に澄んでいました。
学校の近くを通ったら、グランドを吹き渡る強い風で砂塵が巻き上がられて、一瞬視界が遮られる程なのです。
この風で、開花した花々がダメージを受けて、しおれていました。

篤姫続きで、この前の放映で朝ご飯の場面がありました。
その場面では、焼き魚(確か鯛だったかと)がおかずで付いていました。
お付きの奥女中が、焼き魚をむしって篤姫に差し上げていましたが、篤姫がほんの一箸付けると「お代わりを」と言って次の焼き魚が登場していました。
これも、図書館から借りてきた本によると、時代考証的にはこの内容で間違いは無いのだそうです。
一説によると、御台様の食事は同じ物を十人前作って、焼き魚などは表面のほんの一部をむしるだけで、お代わりになるのだそうです。
それで、まだまだ食べられる焼き魚の行方が気になったのですが、笑ってしまうような方法で始末されるんです。
いわゆる「お下がり」として、奥女中へ下げ渡されて、彼女らのお食事になってしまうらしいです。
と言うことは、奥女中達は御台様と同じ食事を、無料で食していたということですね。


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江戸時代

2008年05月12日 | 大河ドラマ

近所の公園で撮影。
フラワーポットへ、色々な花を大事に育てている方がいるようです。




このところ、NHKの大河ドラマ「篤姫」毎週欠かさず見てしまっています。
昨夜は「大奥入城」でした。

ドラマを見つつ、最近図書館で江戸時代の本(小説ではなく江戸時代の歴史)を借りるようになって、ドラマと本を比較しつつ見てしまっています。

ドラマなので、当然時代考証からすると絶対にあり得ない場面も多々ありますし、間違いなさそうと頷く場面もあります。

篤姫が朝起床する場面で勝手に起きあがってはいけないと言われて寝直していましたが、私が読んだ本でも、おおむねその様に説明されていました。
御台様は、食べるときに箸を動かす以外は、何もしなくて良いように奥女中が全てお世話をするのだそうです。
そのお世話の中には、お風呂も、トイレも含まれているそうですから、ビックリしますね。

本の受け売りですが、江戸後期の大奥が使う年間経費は二十万両だったそうです。
ドラマの中で、薩摩藩の参勤交代経費が一回一万両かかったと説明していました。
一万両を現在の価値に直すと、ドラマの中ではおおむね五億円と説明していました。
だから、二十万両×五億円=!!!!!!!!!!ですね。
当時の幕府の収入からすれば、飛んでも無い費用を大奥で使っていたわけで、何時の時代も女性関係にはお金がかかるものだと感心するやら、あきれるやら。




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