知床で大変な遭難事故が発生しました、亡くなられた方に心から哀悼の意を表します。
行方不明の方が早く見つかるように祈念いたします。
以前、このブログにアップしたことがありますが、はるか昔私も同じようなコースで知床の観光をしたことがあります。
それは、1982年8月1日(日曜日)のことでした、当時仕事で札幌に住んでいて、夏の休暇を利用して道東と道北の一周旅行中でした。
前日は網走市に宿泊して、午前中に知床五湖を観光した後、午後はウトロ港を出発して知床岬へ向かう観光船の船上にいました。
当時のメモによると往復4時間の行程で、船はライラックという船名で200トンくらいだったみたいです。
写真に写っている船がそれです、知床岬から帰った後に撮影したようです。
当時具は、北海道の観光シーズン真っ盛りとは言え、当時は知床観光船に乗船する人はそんなに多くなかったようで、満席ではありませんでした。
ちなみに観光船は事前予約をできなくて、当日発売の乗船券を買った人の早いもの勝ちでした。
今回遭難した船と比較すれば、20トン弱と200トンですから、私が乗船した船は大きかったわけです。
だから、同じような観光コースとはいえ、そんなに沿岸へ近づくことはなくて(できなくて)、淡々と知床半島の沖をクルーズしたと記憶しています。
知床半島の海岸は全て断崖ばかり、所々にへばりつくように家があり、それは鮭漁用の小屋だと案内を聞いたようです。
小屋のある海岸には、点々と浮きが浮かんでいました、漁船が小さく写っている写真ですが、よく見るとオレンジ色の浮きが見えます。
山が半分吹き飛ばされたような写真は、硫黄山を撮影したのだと思います。
写真に写っている滝は、多分カシュニの滝です、今回の遭難が発生したと言われている場所です。
知床岬へ到着したら、岬には灯台と小さな建物があっただけでした、だから余り感激はしなかったみたいです。
行きは真面目に景色を楽しんでいましたが、帰りは飽きてしまったようで船上で爆睡していたようです。
旅行も行程の半分を経過して、疲れた溜まっていたのでしょうね。
私が乗船したライラックですが、ウィキペディアによると1994年10月に退役したようです。
その後は、フィリピンへ売却されたという情報をウェブ上で発見しましたが、本当なのかは不明です。
ちなみに、ウィキペディアに掲載されているライラックの写真と私が撮影した写真は本当によく似ています。
多分、埠頭が運行していた観光会社の専用エリアで、撮影したポイントが同じだったのでしょうね。
きっかけが遭難事故で思い出した話なので、いささか心境が複雑です。
今日は、冷たい空気が入り込んで、空模様は大快晴だったのですが、寒さを感じました。
青空をバックにした、ケヤキの青葉が本当に綺麗でした。