マッタリ風景

散歩写真と戯れ言のブログ

低視聴率

2012年03月20日 | 大河ドラマ





先日、ウェブでニュースを見ていたら、今年のNHK大河ドラマ「平清盛」の視聴率が最悪の状況だという記事が掲載されていました。

今のところ、私は平清盛を初回から見ています。
ただし、チャネル権が全くないので、録画して見ています。
このところ、録画したやつを見ている時間がなかったので、録画した番組が随分と溜まってしまいました。
で、今日は溜まっていた4回分を一挙に片付けました。

平家と言うと、「祇園精舎の鐘の音....」で始まる平家物語の一節が思い浮かびます。
大体にして、平家に関する本は、平家を好意的に扱っていないことが多いですね。
源平合戦は、最終的に源氏が勝者となったので、源氏側からの目線で書かれていますから、やむを得ないでしょう。
私が子供の頃読んだ本もそのような立場から書かれていて、平家=悪者というイメージが刷り込まれています。
その観点からすると、NHKの大河ドラマは、今までの平清盛を違った目線からとらえていると思います。
私は、それが新鮮に感じましたが、刷り込みが結構強いだけに、ドラマとしておもしろく感じないのかもしれません。

しかし、デジタル画像の技術はすごい物だと感じました。
デジタル=クッキリで綺麗という映像ではなくて、敢えてノイズ感やセピア色を強調して、すごく臨場感を感ずる仕上がりだと思います。
多分、アナログの時代だったら、こんな絵作りはできなかったでしょうね。


朝起きて外を見たら、もの凄く驚きました。
激しく雪が降っていて、地面には10センチ近く雪が積もっているんです。
一時的に冬型の気圧配置になったのが原因らしいですが、お彼岸にこれだけの雪とは、今冬を象徴しているようです。
足元が悪いのと、ビデオ鑑賞を片付けるのとで、一日家にこもっていました。



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美味しそうだけど

2009年11月23日 | 大河ドラマ





朝は、青空が見えて、陽射しも射して、これは予報が外れたかなと思わせました。
だけど、午前中に急に雨が降ってきたかと思うと、その後は曇天と雨を繰り返して、薄ら寒い一日となってしまいました、結局予報が当たったようです。

昨晩の放送でNHKの大河ドラマ「天地人」が終わってしまいました。
終わり方がいささかいい加減かなとも感じましたが、まあそんなモノなのでしょう。
「天地人」の放送で、新潟の観光事情(観光客数)はほぼ中越地震前に戻ったそうですが、来年はどうなりますか。
一過性に終わってしまうと、再び観光経済も再びピンチに陥りますからね。

地元に住んでいる者としては「天地人」の放映も楽しかったのですが、年末に放映される「坂の上の雲」も気になります。
若い頃から司馬遼太郎さんの本は折に触れて読んできましたが、中でも「坂の上の雲」は全6巻の大作で読み応えがありました。
先日、久し振りに図書館で「坂の上の雲」を借りたのですが、どの巻も全体的にくたびれていて如何にも多くの人たちに読まれた雰囲気を感じました、それだけ人気があるわけです。
中々映像化が難しそうな感じがしますが、NHKのお手並み拝見です。

画像は昨日、近くの遊歩道で撮影したものです。
風で散ったイチョウの葉っぱが、あちこちに吹き溜まりとなっていました、その葉っぱが初冬の柔らかな日を浴びてイエローな世界を見せていました。
葉っぱに混じって、銀杏も落ちていました、美味しい実ですけど処理が面倒なので、この近くの人は収穫に来ないようです。
そんな銀杏をイチョウの葉っぱをお皿にして盛り付けて見たら、何だか砂糖をまぶしたお菓子に見えて来ました。
美味しそうだからと言って、このまま食べたら大変なことになりますが、それにしても美味しそうに感ずる眺めでした。











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再び

2009年02月06日 | 大河ドラマ





朝は、今にも降りだしそうな空模様で、通勤時には少しだけ雪が舞っていました。
でも、その後は天候が回復して青空が広がりました、帰宅時に空を見上げたら月明かりと星が綺麗に見える空です。
日中は、今の時期としては気温は高めですが、朝夕はやっぱり冷え込みます、凛とした感じですね。

天地人絡みで、とあるところから小雑誌をいただきました。
これは、NHK新潟放送局が作った小雑誌のようですが、一般に配布しているのかどうかは分かりません。
でも、結構ページ数が多いので、私の感じでは不特定多数の人へ配っていないのではないかと感じます。
中身は、天地人の配役、そして天地人の舞台となっている城址について結構詳細に説明されています。
ただし、舞台になっている場所は新潟県内のみを記載していますから、新潟放送局が独自に作った感じですね。
とすると、もう一つの大きな舞台、山形県もNHK山形放送局が同じような小雑誌を作っている可能性もあります、作っていたら見てみたいものです。











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お宝?

2009年01月31日 | 大河ドラマ







天候は朝から雨模様で、その雨が一日降り続きました、この時期に雨なのですから暖かいのでしょう。
でも、大寒温度は何か薄ら寒い感じがします。

新潟県はインフルエンザ警報が発令されたそうです、で、出来る限り外出は控えて家の中に篭っています。(実は、雨なので出たくないだけなのですが)

大河ドラマ「天地人」は好調な滑り出しのようです、特に新潟県は天地人の一つの舞台ですから、盛り上がっていますね。
そんな証拠を一つ。
画像の雑誌は、JR東日本がPR用に新幹線の各座席に無料配布している「トランヴェール」という雑誌です。
1月号の特集は天地人の主人公、直江兼続公です。
この雑誌、私も新幹線に乗ると、時間潰しに読むのですが、持ち帰り自由にも関わらず、殆ど持ち帰ったことはありません。
先日、子供が鉄ちゃん旅行で新幹線に乗車した時、この雑誌を持ち帰ってきました、何でも凄く人気なんだとか。
子供の話なので、話半分に聞いたのですが、会社の同僚とその話題になった時に、彼が新幹線に乗った時も品切れ状況だったそうです。
画像の雑誌は、この話をした同僚からもらったものです、彼はよく新幹線に乗るので持ち帰って欲しいと頼まれるんだそうです。
彼が持っていた手持ちから分けてもらったのですが、明日から2月になるのでもう入手できません、もしかして「お宝」でしょうか?
夕方「開運! なんでも鑑定団」と言う番組を見ながら、そんな他愛も無いことを思ってしまいました。
(この雑誌が人気なのは、上越新幹線だけなのかもしれませんが)
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懐かしさ

2009年01月18日 | 大河ドラマ





午前中は薄晴れ、ごごからは薄曇り、冬型が緩んでいて過ごしやすい天候でした。
晴れていたので、午後から福島潟へカメラを持ってと思ったのですが、雲がないので今一歩と思っていた曇ってきてしまって、結局出そびれてしまった感じです。

午後からは薄曇りだったので、花の撮影には良い環境でしたので、遊歩道に咲いている山茶花に相手をしてもらいました。
山茶花は次々に開花するのですが、比較的花びらが痛む率が大きいみたいで、格好が良くて痛んでいない花を探すのは意外と面倒ですね。
散り始めると、花びらがパラパラと落ちて、地面を紅色に覆ってくれます。
遊歩道へ散った山茶花は、昨年の秋に散ったイチョウの葉っぱと混じってしまって、紅一色とはなっていません。
まあ、それはそれで違う風情は感ずるのですが。

いよいよ今年のNHK大河ドラマ「天地人」が始まりました。
オープニングの画面を見ていたら、懐かしい景色が沢山出てきて、NHKさん結構地元で撮影をしているんだなと感じました。
朝日(あるいは夕陽かも)が当たった棚田は、多分松之山の棚田かなと思いましたし、主人公が立っている険しい頂は、多分八海山の頂上ではないかと思います。
第二回目で、雪の中を子役の景勝役が同じく子役の兼続を背負って歩いてる背景に見える山は坂戸山(坂戸城)そのものですね。
子役達の素晴らしい演技に感動しましたが、何よりも阿部寛さん演ずる上杉謙信公は、本物の謙信公じゃないかと思うほどハマリ役ですね。
出だしは上々の滑り出しと感じました、一年間どんな展開があるのか、楽しみです。



















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終わってしまった

2008年12月15日 | 大河ドラマ





朝は快晴でした、気持ちの良い青空が午前中続いてくれました。
だけど、午後から雲って何とか夕方まで曇りベースで経緯しましたけど、夜になって小雨です。
今日は、このところに比較すると気温が低めで、朝夕の風を顔に受けると結構寒さを感じました。

朝の青空を背景に、何となく南洋風の景色を無理やり作って見ました、でも空の色に強烈な南洋のパワーを感じさせないので、何となく寒々していますね。
少し濃い色の空も撮影して見ましたけど、これまた冬の晴れ間と言った感じがありありです。

昨日、NHKの大河ドラマ篤姫が最終回、正月からせっせと見続けて一年、久し振りに大河ドラマを通しでみました。
今までの大河ドラマと毛色が違っていて、面白かったと言うのが一年を見た感想です。
楽しみが終わってしまったのですが、来年の大河ドラマは越後が舞台の「天地人」です、これまた見逃せません。
越後が舞台になった大河ドラマは「天と地と」以来です、どちらも上杉謙信が関係していると言う共通点がありますが、作者が違うのに題名が似ているのが面白いですね。











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炬燵開き

2008年11月20日 | 大河ドラマ

朝、通る小道の様子です。
10cm弱の積雪でした、夕方も同じような状態でした。





受け売りですが、江戸時代に「炬燵開き」なる行事があったそうです。
武家は、旧暦十月の初亥の日(最初の亥の日)、町屋は、二番目の亥の日(12日後)だったそうです。
まあ、寒くなったから暖房器具(当時は炬燵)を使い始める日をわざわざ決めていたわけです、現代のように寒くなったら好きな時に暖房のスイッチを入れるなんて事はなかったようですね。

旧暦の十月は現代の十一月に当たります、で当家でも昨夜炬燵開きをしました。
昨夜は、遅くなってから雪が激しく降り始めて、気温がさらに下がりました。
電気カーペットを既に使っていたのですが、とてもそんな程度では我慢できなくて、急遽炬燵開きをしたわけです。
今は、炬燵をたてる家庭が少なくなったそうですが、雪国育ちの私は炬燵無しでは冬は過ごせません。
実家で生活していたときは、家族一人が一つの炬燵を所有していました、冬に炬燵は欠かせません。
下手に部屋全体を暖房するよりも、足元だけを暖めた方が暖かさを実感できますし、局地的な暖房なので効率的でもあります。

今朝外を見たら、真っ白でした、道路には10cm弱の雪が積もっていました。
朝は、少しだけ日が射して、瞬間広がった青空がとても綺麗でした、そしてそんな光線が綺麗なドラマを見せてもくれました。
日中は、雨と風で天候が悪化してしまって、寒いだけでした。







積もった雪に、イチョウの葉っぱが落葉して、朝日が一瞬照らした状態です。
とても、印象的な瞬間でした。






ほぼ丸坊主になった欅の梢越しに、冬の空が印象的でした。





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オチ

2008年09月08日 | 大河ドラマ

今日の夕陽です。
秋は、条件に恵まれれば、思いもよらない絶景の夕陽を見ることができます。




今日の新潟市は快晴でした、まだまだそれなりに残暑を感じて、昼間は結構日射しは強いです。
ただし、湿気が随分と少なくなったようで、爽やかな感じもします。
と書いていたら、急に通り雨がやってきて、一瞬豪雨、その後は何事もなかったかのように虫の音が聞こえています。
やっぱり、大気の状態が不安定なのでしょうね。

今日の夕陽はとても綺麗でした、空が澄んでいたようでオレンジ色が一段と冴えていた感じがします。
またまた、いつものパターンで撮影しましたが、夕陽のオレンジを強調するために、いささかデジカメの機能を駆使(大したことではないですが)して撮影してみました。
夕陽の反対側は、雄大な雲がわき上がって、ビル街との対比が絵になりました。

昨日の大河ドラマ篤姫は「薩摩か徳川か」のタイトルで放送されていました。
実家の島津家が軍勢を引き連れて上京、それに対する幕府側の狼狽、主人公天璋院篤姫は実家と大奥の板挟みでまさしく四面楚歌状態。
思いあまった篤姫が、薩摩から輿入れの時持ってきた思いでの品を庭で焼き捨てていました。
で、島津斉淋が持たせた桜島を描かせた掛け軸まで火に投げ込もうとします。
オイオイ、確かその掛け軸は徳川宗家に現存している篤姫遺愛の品じゃん、どうやって助かったことにするのよ。
篤姫が火の中に掛け軸を投げ込もうとした瞬間、将軍家茂が駆け寄ってきて救い上げると言うオチでした。
史実はこの様なことがあったのかどうか何も伝わっていないはずですが、ドラマの落としどころとしては、思わず「上手い」と思ってしまいましたよ。
平成20年の世に現存している実際の掛け軸を、上手に使った演出でした。






こちらは、夕陽が沈む方向と反対側の様子。
雄大な雲とビル街の対比が絵になっていた感じです。





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本命

2008年09月03日 | 大河ドラマ

江戸城本丸大手門です。
かつては、大名などが登城のため通ったのでしょうね。





昨夜は蒸し暑くて、ぐっすりと眠れない夜でした。
今朝は午前中は青空が広がって快晴、午後からは曇り。
夕方前に、予報通り雨が落ちてきました。

しつこく江戸城散歩です。
先日、江戸城(皇居)散策をした本命は、皇居東御苑を散策することでした。
ご存じのとおり、東御苑は江戸城の本丸、二の丸、三の丸の跡を一般開放した公園といえます。
大河ドラマ「篤姫」のファンとしては、かつて篤姫も暮らした江戸城本丸の大奥跡地を見てみたかったのです。
で、宮内庁のWebで確認したら、何と月曜日と金曜日は定休日なのですね。
私が訪れた8月29日は「金曜日」なので、当然休みなんです。
でも、あきらめ切れないので皇居外苑を散策したあと、東御苑の入り口となっている江戸城本丸大手門まで行ってみました。
大手門と言うとお城の正面玄関見たいなモノですから、立派だろうと想像してしまうのですが、それは軍事施設としてのお城ですから、やっぱり以外と質素な枡形門だったりします。
大手門へ続く土橋はしっかりと通せんぼされていて、月曜日と金曜日は入れませんの悲しい看板が立てられていました。
もっとも、入園可能な曜日であったとしても、思いは達せられなかったかも知れません。
後で調べたら、東御苑全体を散策するには最低でも1時間30分は必要と書かれていたWebもありました。
さすがに天下の徳川将軍家の居城だけのことはあります、広大ですね。
散策は、次の機会に楽しみに取っておくことにしました。









こちらは桔梗門です。
皇居内へ出入りする門なので、とても警備が厳重でした。
車が入るときに、車の下回りを鏡を使って確認していましたよ。






こちらは坂下門です。
こちらも警備が厳重で、とてもこれ以上近づいて撮影できる雰囲気ではありませんでした。
なにせ、双眼鏡を使って監視していましたからね。
坂下門外の変の舞台でもあります。
しかし、何で江戸城の門なのに、簡単に襲撃できるのでしょうか?
多分、高麗門は取っ払ってしまったのでしょうね。





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歴史の舞台

2008年08月31日 | 大河ドラマ

桜田門(高麗門)の石垣。
この門を通る大名を眺め続けて来た歴史証人に感じました。





大気の不安定な状態が少しは緩和されたのか、今日は朝から青空が見えていました。

皇居外苑散策の続きです。
徳川幕府の統治は約264年もつづきましたから、江戸城自体が歴史の舞台と言えます。
江戸城の中でも、私が一番歴史の舞台と感ずるのは、桜田門です。
江戸末期の大老、井伊直弼がこの桜田門の近くで暗殺された事件「桜田門外の変」は必ず日本史の教科書に登場します。
それほど有名な桜田門の実物を今まで見たことがありませんでしたので、皇居正門を見学したあと、桜田門まで足を延ばしてみました。

以下の内容は殆ど受け売りです。
江戸城の殆どの城門は枡形門と言う構造になっています。。
枡形門を上空から見ると、四角の空間となっていて、二つの門を通ってその空間を通過するようになっています。
だから、枡形には必ず二つの門が存在することになりますので、桜田門も二つの門があります。

外側に面した門は高麗門、内側の門は渡櫓門と呼ばれますが、一般的には内側の渡櫓門が立派な作りなので、写真にも紹介されて私たちの城門のイメージを作ったように感じます。
下部一番目の写真が外側の高麗門の様子ですが、天下の江戸城にしてはそんなに大きな門に感じません、門の目的が敵の侵入を防ぐ為なので当たり前と言えば当たり前の作りなのですけどね。
二番目の写真が高麗門を枡形側から眺めた様子です、三番目の写真は高麗門外側から枡形内部を眺めた様子です。
四番目の写真は枡形から渡櫓門を眺めた様子です、この門を通過してかつては西の丸下(現在の皇居外苑)と呼ばれるエリアへ入ることができます。
五番目の写真は、皇居外苑側(江戸城内部側)から渡櫓門を眺めた様子です、この写真が結構はびこっていて桜田門のイメージを作っているのではないでしょうか。

六番目の写真は、高麗門を背にして眺めた様子です。
正面の建物はご存じ警視庁の建物です、刑事小説の世界では桜田門と言えば警視庁のことを表しますね。
実際の桜田門外の変は、画像の右奥側が舞台だそうです。
しかし、江戸城の直ぐ近くでこんな大事件が発生するとは警備上考えられないのですが、当時は大老の行列を襲う等と言うことは想定外だったと書かれた本を読みました。
公儀(幕府)の威光(権力)を持ってすれば、江戸城の近くで大名行列に対して狼藉を働く輩など存在しないと考えていたようです。
大体、大名行列の見学は一種の定番コースになっていたようですから、幕末を除けば本当に平和な時代だったのだと思います。
だから、井伊直弼の暗殺は公儀の威光をさらに失墜させた大事件だったと言えるわけです。
警視庁の建物を眺めながら、東京の治安を守る要である警視庁のお膝元で、こんな歴史上の大事件が発生したのも、何か皮肉めいたものを感じました。


で、皇居正門(西の丸大手門)の件です。
江戸城の門は枡形門が基本となっていますが、石橋の先に見える皇居正門は渡櫓門様式ですよね。
とあるWebで得た情報ですが、江戸時代は枡形門の様式だったのが、明治期になって高麗門を撤去して、渡櫓門を正門にしたのだそうです。
まあ、高麗門よりは渡櫓門の方が押し出しが立派ですから、現在の用途からすればこれで良いのだと思います。
現在の皇居の門は、高麗門を撤去してしまった門がいくつか存在するようです。








桜田門(高麗門)正面。






枡形内部から高麗門を眺める。






高麗門正面から枡形内部を眺める。






枡形内部から渡櫓門を眺める。
押し出しは、渡櫓門の方が立派に見えますね。






渡櫓門を皇居外苑側から眺める。






高麗門を背にした眺め。
正面は、ご存じ警視庁です。






桜田門案内板を撮影してトリミングしました。
門が枡形(四角の空間)になっている様子が良く分かります。
現在位置表示の右側が内側の門にあたる渡櫓門、横向きに描かれているのが外側の門にあたる高麗門です。



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