I had read three books before watch Poirot's video.
「読んでから見た」
「あれっ、こんなタイトルの本はあったなか」
若い頃、推理小説にハマっていた時期があって、当然アガサ・クリスティーのポワロも愛読していました。
だけど、ポワロシリーズの全てを読破した訳ではありません。
先日、豊栄図書館の本棚を見ていたら、こんなタイトルの本はあったなかと感じました。
その本は、アガサ・クリスティー著「ポワロとグリーンショアの阿房宮」(Hercule Poirot and the Greenshore Folly)というタイトルでした。
ポワロシリーズを読破した訳ではありませんが、シリーズの全タイトルは何となく分かります。
でも、このタイトルは今まで見たことがないなと感じたんです。
それで、取り敢えず借りて来ました、解説欄を読んだら何とこの本はポワロ物の新刊でした。
作者が鬼籍に入ってそれなりの期間か経過して、いまさら何で新刊という疑問が浮かびました。
解説欄を読んだら、この本は作者が教会へ寄付をするために書いた中編小説だと説明されていました。
しかも、この本結果的に出版社に出版を断られてしまったとのことです。
理由は、中編というのは出版社にとって、扱いづらいのだそうです。
それで出版を諦めて、教会への寄付のために新たに書かれたのが「グリーンショウ氏の阿房宮」(Greenshaw's Folly)とのことです。
でも、こちらはポワロ物ではなくて、ミス・マープル物です。
そして、結果的に出版されなかった「ポワロとグリーンショアの阿房宮」は、その後ポワロ物の長編として「死者のあやまち」(Dead Man's Folly)として出版されました。
そのために、本来一番最初に出版される予定だった「ポワロとグリーンショアの阿房宮」が作者の死後に出版されたわけです。
こんな経緯を知ったので、「ポワロとグリーンショアの阿房宮」を読み終えたあと、「グリーンショウ氏の阿房宮」と「死者のあやまち」を借りて読みました。
ちなみに、「グリーンショウ氏の阿房宮」は「黄色いアイリス」という短編集に収められています。
ポワロ物とミス・マープル物は、タイトルが似ていますが、ストーリーは全く異なります。
「ポワロとグリーンショアの阿房宮」は、結果的に「死者のあやまち」の低本になったために、内容はどちらを先に読んでも違和感なしでした。
昨日、NHKのBSでTV版ポワロで「死者のあやまち」が放映されました。
今回は、事前に3冊の本を読んでから、番組を見ることになりました。
当然ですが、ストーリーの中で発生した殺人事件の結末は本もTV版も同じです。
ただ、TV版はドラマ仕立にするためと、90分の番組に仕上げるために、それなりの改変は改変するのは外のTV版でも同じですが、TV版「死者のあやまち」は、本のストーリーに沿っていたと思います。
ネタバレ気味になりますが、一人二役のストーリーは、映像化する場合に扱いが面倒だろうなと感じました。
本を読んで頭の中で思い浮かべる場合は、一人二役も違和感はないのですが、映像化する場合の一人二役は一発バレの恐れがありますからね。
余談ですが、「グリーンショウ氏の阿房宮」のビデオも見たことがあるのですが、こちらはストーリーが大幅に変更されていました。
本の中身では、とても90分の番組には仕上げられないなとは感じましたので、仕方ないのかもしれません。
お約束事ですが、殺人方法と結末は変更なしでしたが。
「死者のあやまち」はTV版ポワロで最後に撮影された上に、撮影地がアガサ・クリスティーの別荘であるグリーンウェイハイスというのが印象的でした。
別荘は広大な庭園の中にある白い瀟洒な建物でした、とても綺麗な風景でした。
本の構想を練ったり、書いたりするには打って付けの環境です。
しかし、世界的なミステリー作家となれば、こんな凄い別荘を持てるほど儲かるんだと、少しよこしまな考えをしちゃいました。
現在、グリーンウェイハウスはナショナルトラストの所有となっていて、見学ができるとWeb情報にありました。
もし、チャンスがあれば、訪れて見たいものですが、無理かな。
3冊のタイトル全てに「Folly」の単語が入っていますが、「愚かなこと、愚かさ」という意味と、「実用性のない装飾的な建物」(死者のあやまちのキャプチャー画面に描かれている建物)という両方の意味で使われているようです。
一番上の写真は、今日の空模様です。
曇天ベースで、時として吹雪となり、時として青空が広がり、忙しい天候でした。
共通していたのは、とても寒いことです。