It is lost lagoon.
「消えた潟」
「へー、凄い資料だ」
この前の日曜日に訪れた「関屋分水資料館」でのことです。
新潟には、かつて「潟」と名のつく湖(沼)が沢山ありました。
でも、現在では福島潟、鳥屋野潟、佐潟など、大きく数を減らしました。
その原因は、潟を埋め立てて、新田を作るためだったと聞きました。
以前、新潟市民大学で「福島潟学」という講座に通ったことがあります。
その講座の講師は、新潟大学名誉教授の大熊孝氏でした。
講座の中で、新田開発で消えてしまった潟があるが、今復活させないかと運動しているという発言を聞きました。
消えてしまった潟は「鎧潟」という名前です。
ここは、江戸時代から干拓が進められて、1967年に全面干拓となり、潟が新田に変わって消滅しました。
「関屋分水資料館」で配布されているパンフレットを見ていたら、とある地図が目に入りました。
それが、今日アップした下の3枚です。
地図の右側に水色に印刷されたところが、鎧潟を示しています。
地図は、上から順番に、明治44年、昭和27年、昭和47年ですが、昭和47年の地図では鎧潟が地図上から消えてしまっています。
昭和47年は1972年ですから、干拓が終了した後に測量した事になります。
当時は食料増産でやむを得ない事情もあったでしょうが、今も鎧潟が残っていれば新潟を代表する潟の一つとして、自然遺産になったのではと感じています。
大熊さんが言っていたように、もし復活したとしたら、凄いことだと思います。
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