■涙のバースデイ・パーティ / Lesley Gore (Mercury / フィリップス)
オールデイズファンやヒット曲マニアならば、知らぬ人も無いはずのレスリー・ゴーアは、衣料品会社の社長令嬢として、十代前半からジャズを歌っていたところをマーキュリーレコードにスカウトされ、当時は同社の副社長だったクインシー・ジョーンズに預けられてのデビューだったことは、良く知られています。
しかし、ここで流石だったのがクインシー・ジョーンズのプロデュース!
既に時代はR&Rから引き継がれた白人ポップスの全盛期という1963年だったことから、あえてジャズ歌手として扱わなかったのは大正解でしょう。
このデビュー曲「涙のバースデイ・パーティ / It's My Party」は、クインシー・ジョーンズが用意した夥しいデモテープの中から、レスリー・ゴーア本人が真っ先に選んだというエビーソードがあるほど、胸キュンのメロディと歌詞がジャストミートの名曲だと思います。
こうして1963年6月にはチャートのトップに輝く大ヒットになり、リアルタイムで17歳の高校生だった彼女は一躍、アイドルとして人気絶頂! しかも歌が上手いんですよねぇ~♪
さて、しかしサイケおやじは、この「涙のバースデイ・パーティ」を別の観点から聴いていました。
それは曲メロが、実にジョン・レノンっぽい事!
ご存じのように、「涙のバースデイ・パーティ」は我国でもリアルタイムでヒットしたばかりか、所謂カパーポップスの人気曲として昭和40年代中頃まで歌われていましたから、ビートルズの人気が急上昇した時期にも、決して忘れられていなかったです。
そして同じ頃に洋楽ポップスとビートルズを聴き始めていたサイケおやじは、「涙のバースデイ・パーティ」とビートルズの楽曲に共通する味わいを、漠然とではありますが、感じるようになりました。
というか、実はビートルズが初期に演じていたカパー曲にしても、少年時代のサイケおやじはオリジナルとの区別も意識的には出来なかったわけですし、レノン&マッカートニーが書いたとされる名曲群が、本当はジョンとポールのどちらかがメインになって作られたという真相も、当時は明らかにされていませんでした。
今日ではリードを歌っている方が作者の曲という位置付けも、まあ、それなりに出来るようになりましたが、それにしても「涙のバースデイ・パーティ」は如何にもジョン・レノンの作風だと思い当たったのは1970年代も後半に入ってからです。
ここからは全くの個人的な妄想と自論なんですが、ビートルズがリバプールでの下積み時代には、アメリカ産のヒット曲を聴き、コピーしていた事は歴史的な事実です。それは黒人R&Bと白人ポップスが同じ土俵で扱われていた結果として、初期に残された音源から編まれたアルバムに記録されています。
ところがアメリカの現実は、黒人ミュージシャンのテレビ出演も極めて稀であり、エルビス・プレスリーは徴兵除隊後は歌う映画スタアになり、バディ・ホリーは天国へ……。そして芸能界はレコード産業が優先したアイドル時代だったのです。
つまりビートルズが好んでいたリトル・リチャードやチャック・ベリー等々の黒人歌手は一般白人社会では相手にされておらず、一方、職業作家の書いた楽曲を言われたとおりに歌う白人アイドルが売れていたんですねぇ。
レスリー・ゴーアも、当然ながら、その路線でブレイクしたひとりというわけです。
しかし海の彼方のリバプールのビートルズには、そんな事は知る由もなかったんじゃないでしょうか?
黒人R&Bと白人ポップスが一緒に流行っていると思い込んでいれば、そのふたつの要素をミックスさせたオリジナル曲を作ってしまうのも、ムペなるかな!?
結局、この「涙のバースデイ・パーティ」をジョン・レノンが歌っている様を想像するのも、決して難くないと思うのはサイケおやじだけでしょうか。
ちなみに「涙のバースデイ・パーティ」を書いたのは、H.Wiener、W.Gold、J.Gluck とクレジットされているとおり、その曲調はユダヤ人モードに基づくジャズスタンダード系のコード進行とロックビートに乗り易い歌詞の語呂が素晴らしいメロディに結実しています。
しかもクインシー・ジョーンズのプロデュースが、当時最先端のモータウンサウンドや所謂ノーザンピートの良いとこ取り♪♪~♪ 強いリズム的な興奮が失恋の痛手を歌う胸キュンヒットの要素を完全に満たしているのです。
う~ん、こうした典型的なアメリカンポップスは侮れない普遍性がありますねぇ~♪ 本当に何時、如何なる時に聞いても、ワクワクするトキメキが素敵♪♪~♪
そしてジョンやポールが、そんなヒット曲を聴きながら、ギターでコードを探したり、あるいはビートの組み立てを実践したりする情景は、なかなか微笑ましいです。まさに歴史はこうして作られていったのでしょう、
ということで、ビートルズっぽい味わいは、何もビートルズ以降の歌手やバンドにだけ求められるものでは無いというのが、本日の結論です。
洋楽の楽しみは尽きません。