大災害発生からニュースの全てが悪夢のような事象の連続ですねぇ……。
被災された皆様の胸中苦渋を思えば、無事でいる自分に何か出来る事はないか!?
そう思わざるをえません。
実はサイケおやじの母の叔父さん一家が宮城県で消息不明になっていて、電話が繋がらないだけだったら、何とかなると言い聞かせるばかり……。
また仕事関係先とも連絡不能の所が幾つかあります。
そして思い出すのが阪神淡路大震災……。
告白すると、その時にサイケおやじは危うく難を逃れています。
それはあの惨劇の前日、関西に出張したサイケおやじは、予定よりも早く仕事が終了したので、学生時代からお世話になっていた神戸在住の先輩を訪ねました。
もちろん、翌朝の大地震なんて、全く想像もしていませんから、先輩とご家族から暖かい歓待を受け、その時の良い雰囲気は、今もって忘れていません。なんと先輩の奥様から今夜は泊って、ゆっくりして欲しいと言われていたほどなんですが、基本的に仕事に厳しい先輩からは、余裕が出来たら早く戻って、出張仕事を纏めるように命令されたのです。
つまりサイケおやじは、それで夜行バスに乗り、神戸を後にしたのですから、翌朝の悲劇には、もう、絶句です。
しかも先輩のご一家はモロに被災して、結局、生存出来たのは当時小学生だったお嬢様ひとりでした。
あぁ、サイケおやじは完全に死に損なったのです。
もし先輩の言うことを聞かず、その夜に泊っていたら、今、こうしている事は決してなかったでしょう。
なにか非常に責任を痛感しましたですねぇ……。
そこで自分に何か出来る事のひとつとして、まずはお金を工面して、生き残った彼女に渡そうと思い、女性ボーカル物のレコードを6百枚ほど処分しました。
ちなみに当時のサイケおやじは、セクシージャケット物も含めて、女性ボーカルの天国と地獄を彷徨していたのですが、なんとか足を洗えたのも、それがきっかけでした。
またレコードを手放す事については、知り合いのコレクター氏に事情を相談し、海外の某ディラーに委託扱いながら先払いという、なかなかの物分かりの良さに助けられましたですね。
ということで、これはサイケおやじの悲しい話のひとつにすぎませんが、今回の大災害でも、なにか出来れば……。
そう、心から思っています。