■青い果実 c/w 貝殻の夏 / ザ・ワイルド・ワンズ (東芝)
元ワイルド・ワンズの渡辺茂樹の訃報に接しました。
享年63歳、まさに早すぎる逝去には、毎度の事ながら、諸行無常を感じるばかりです。
故人が芸能界の表舞台に登場したのは昭和43(1968)年の新春、人気GSのワイルド・ワンズにキーボード&ボーカル担当の新メンバーとして加入した時なんですが、リアルタイムの高校生で、アイドル系のルックスも目立ちましたからねぇ~。
忽ち人気者となって、GSブームを牽引するポイントゲッターという感もありました。
しかも、確か音大付属の高校に在学していた所為もあるんでしょうが、なかなかに音楽的なセンスも良かったんじゃ~ないでしょうか?
でなければ、キャリアを積んでいたワイルド・ワンズに弱冠16歳で入れるわけもありません。
さて、そこで本日掲載のシングル盤は昭和43(1968)年秋に発売された1枚なんですが、ジャケ写からも一目瞭然、渡辺秀樹がグループの中央に構えるショットを用いたばかりか、A面曲「青い果実」のリードボーカルを先輩の植田芳暁と分け合う企画がニクイばかりでしょう。
しかも故人のオルガンがイントロから楽曲全篇をリードするアレンジも秀逸なんですねぇ~♪
それは山上路夫の綴った歌詞は言わずもがな、加瀬邦彦がちょっぴりマイナーモードで書いたメロディーが所謂ソフトロック系の歌謡曲に仕上がった好結果と無関係ではないでしょう。
極言すれば、ワイルド・ワンズの音楽的新展開を披露した傑作として、ヒットしたのも当然が必然と思います。
しかし一方、B面収録の「貝殻の夏」は同じ作家コンビが書いた従来路線のサマーソングという、如何にもワイルド・ワンズの「らしさ」が全開の好トラックなんですが、常に保守的なサイケおやじの感覚からしても、当時はどこかしら時代遅れに聞こえたんですよねぇ……。
う~ん、今にして思えば、この頃からGSのブームは下り坂に入っていたという証なんでしょうか?
逆に言えば、アイドル歌謡の予告編っぽい「青い果実」をA面に据えたのは大正解という他はありません。
それでもワイルド・ワンズ時代の渡辺茂樹はアイドル性ばかりが優先しての人気であり、音楽性云々はGSメンバーの常として、ほとんど一般には評価されていませんでした。
実はサイケおやじが故人の凄さに接したのも、昭和50年代になってからで、主に渡辺プロ関係の歌手やアイドルのバックをやっていた頃の事です。幸運にも某アイドルのステージリハーサルを見学出来た時、その場のヘッドアレンジの上手さには、流石プロだと痛感させられましたですねぇ~~。
元ワイルド・ワンズの!?
というキャリアにハッとさせられたのも、その時でありました。
うむ、こういう才人がいたからこそ、やはり昭和歌謡曲は素晴らしかったわけです。
繰り返しますが、あまりにも早い人生の終焉に合掌、衷心よりご冥福をお祈り致します。