■さだめのように川は流れる / 杏真理子 (日本コロムビア)
一度は書いておきたいのが、杏真理子という歌手です。
もちろん、残念ながらブレイク出来ませんでしたので、知る人ぞ知るの存在かもしれませんが、局地的には作詞家の阿久悠のお気に入りだつたという逸話もありますから、その実力は相当なものだったはずです。
掲載したシングル盤は、おそらくは彼女のデビュー作になるのでしょうか、A面収録の「さだめのように川は流れる」は、その曲タイトルからして、阿久悠の綴った歌詞にはヘヴイな人生模様が滲んでおり、加えて作曲:彩木雅夫案と編曲:馬飼野俊一が企図したのは、ブルージーな演歌バラードという、如何にも発売された昭和46(1971)年の洋楽系歌謡曲かと思います。
しかし杏真理子の歌声と節回しにはソウルフルというよりも、泥臭い情念の拭いきれないような深みが感じられるんですから、リアルタイムのラジオからは頻繁に流れていた記憶も鮮明ながら、大きなヒットにはならなかったという結果は当然かもしれません……。
そこには一緒に口ずさめるようなキャッチーなフレーズが無いという事もありましょう。
ただし、それが杏真理子の「らしさ」である部分も否定出来ないんですよ。
ちなみに彼女は東北出身の日米ハーフ、クラブ歌手としての活動後にメジャーなレコードデビューを果たしただけあって、マスコミを含めた業界関係者や評論家の先生方からのウケも良かったそうですが、やはりディープな印象が先入観としての陰湿さに繋がっていたとしたら、それは強い思い込みでした。
ご存じのとおり、同時期には似た様な歌でヒットを飛ばしていた北原ミレイが売れていたのですから、杏真理子だって!?!
あぁ、世の中は残酷です。
結局彼女はフェードアウト気味に日本の芸能界を去り、渡米しての新しい道を歩んでいたのですが、当地で事件に巻き込まれ、二十代半ばでこの世を去っています。
ということで、冒頭で「書いておきたい」と述べたのは、サイケおやじが先輩に連れられて、所謂ナイトクラブという場所へ最初に足を踏み入れた昭和49(1974)年のその日、店には杏真理子が出演していたんですねぇ~♪
何を歌っていたのかは当時のメモにも残していませんが、彼女が幾分薄いスポットライトの中に登場した佇まいは、しっかりと覚えています。
正直、軽い気持ちでは聴けない歌手かもしれませんが、数枚のシングルとLPを1枚残している杏真理子の音源は集成されるべきと、強く思っているのでした。