OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

ザンジバル・ナイトでバブルの夢に導かれ

2019-12-02 19:16:38 | Fusion
ザンジバル・ナイト / マリーン (CBSソニー)
 
我が国の歌謡曲は汎用性の高い音楽、平たく言えば雑食性だと思えば、昔っから外タレに持ちネタヒットの日本語バージョンを吹き込ませたり、あるいは出稼ぎで日本芸能界のスタアなった歌手やグループは少なくありませんが、もうひとつ、昭和40年代末頃になると、ど~せ外タレを使うなら、意図的に世界に通用する和製洋楽を制作する動きも活性化し、例えばスリー・ディグリーズの「Midnight Train / ミッドナイト・トレイン」や英語バージョンも堂々と存在する「にがい涙」は忘れられないところでしょう。

で、昭和58(1983)年に発売された本日掲載のシングル盤も、そうした流れがあってこその企画かもしれず、歌っているマリーンはフイリピンからやって来たジャズシンガーでありながら、最初はアイドル系歌手のマリリンと名乗っていたもののヒットに恵まれず、ついに時代の流行であったフュージョン系AOR路線に転じてのブレイクとなったのが、ここに収録のA面曲「ザンジバル・ナイト」でした。

それは主に深夜に流れていた某宝石店のテレビCMで使われていたんですが、そのサウンドの鋭角的先進性と原初的ワイルドっぽさが滲むボーカルの対比が実にカッコイィ~~~わけでして、おまけに歌っているマリーンのルックスが公になってみれば、如何にもフィリピーナの美女の典型みたいな佇まいがジャストミート ♪♪~♪

しかも前述した楽曲が作詞:リンダ・ヘンリック&作編曲:笹路正徳による完全なる本物志向と申しましょうか、マリーンの英語がネイティブな発音ですから、その自然な感性は洋楽最先端で企図されたサウンドには決して負けず、だからこそ笹路正徳(key)、土方隆行(g)、渡辺モリオ(b)、山木秀夫(ds) という、当時の日本では最高の強力フュージョンバンドだったマライヤのリズムセクションも本領発揮!

これを果たしてレゲエという云うには、あまりにも尖がったロッキンソウルであり、それでいて一般的な洋楽ファンの心を鷲掴みにするキャッチーさは天下一品でしたねぇ~~♪

ただし、これがテレビの歌番組等々に出演するほどの大衆ヒットではないところに、逆の意味で価値があったと思います。

そこんところが、つまりは洋楽ファンには嬉しく、またこれを足掛かりにフュージョンやジャズの世界に興味を抱かれた皆様も多いはずと推察する次第ですが、いかがなものでしょう。

ところが、ガチガチのジャズファン、殊更ジャズ喫茶に集う様なジャズ者からはマリーンが局地的かもしれませんが、疎んじられていた雰囲気も……。

その一因となったのが、日本で作られた映画「キャバレー(角川)」の中でジャズシンガー役を演じたり、ミエミエのウケ狙いという演目ばっかり歌ったりするもんですから、セクシーなルックスも裏目に出ていた感が確かにありました。

サイケおやじにしても、その場の空気から、マリーンが好きだとは言えない事さえあったんですから、いやはやなんとも……。

そりゃ~確かに、サイケおやじも彼女の全てを許容するほどのファンではありませんし、レコードもこのシングル盤の他にLPを、それも中古で2枚持っている程度ですから、分かった様な話は出来ないわけですが、それはそれとして、やっぱり「ザンジバル・ナイト」はカッコイィ~~~♪

それとバックの演奏パートを完璧に作り出しているマライヤの面々の凄腕は、同バンドが出している数枚のアルバムを聴けば、益々震えが来る事は必至ですから、機会がございましたら、お楽しみ下さいませ。

ということで、思い起こせば、ちょうどこの「ザンジバル・ナイト」が深夜のテレビCMで流れていた頃から、バブルがジンワリと始まりつつあった様な感じでしょうか、今となっては二度と有り得ない狂騒を懐かしむのも憚れるほどで、あんな時代はねぇ……。

ザンジバル諸島って、その頃でもなけりゃ~、知るはずもない楽園なのかもしれません。
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