■プラック・サンド・ビーチ / 加山雄三とザ・ランチャーズ (東芝)
この明朗快活にエレキを持ってニッコリする加山雄三のジャケ写からは、とても「エレキは不良」なんていう当時の大人達の認識なんて、大間違いだったことが証明されていますよね♪♪~♪
A面の「ブラック・サンド・ビーチ」は、ご存じ、加山雄三主演の大ヒット映画「エレキの若大将(東宝)」の挿入曲として、「夜空の星」や「君といつまでも」と並ぶ、実に強い印象を残したオリジナルのインスト演奏ですが、劇中では「勝ち抜きエレキ合戦」の最初の舞台で披露されていました。
もちろん、このシングル盤に収録のテイクはスタジオ録音の別バージョンで、クレジットにもあるとおり、加山雄三が当時一緒に音楽をクリエイトしていた盟友のランチャーズがバックですから、その息の合った完成度はリアルタイムでもピカイチ! 現在でも全く色褪せていない、まさにロックと昭和のグルーヴが封じ込められた永遠の名演だと思います。
ちなみにランチャーズと言えば、今日でもGS定番曲としての「真冬の帰り道」が、あまりにも有名な大ヒットになっていますが、それは独立後の話で、元々は昭和36(1961)年頃、加山雄三が俳優仲間を集めて結成したのが、その始まりだと言われていますし、演目はカントリーやハワイアン、ロカビリーだったとか!?
しかし我国でエレキブームが本格化した昭和40(1965)年頃になると、当然ながら加山雄三もベンチャーズやビートルズのコピーを楽しむようになり、加えて卓越した作曲能力からオリジナルも生み出しつつあったセッションが活性化! そこにはブルージーンズに在籍し、後にワイルドワンズを結成する加瀬邦彦や、加山雄三の従兄弟だった喜多島瑛&修も参加していたようです。
そして昭和40(1965)年12月、「エレキの若大将」の公開大ヒットと共に発売されたレコードの中の1枚が、この「ブラック・サンド・ビーチ」というわけですが、実はバックのランチャーズについては、ちょっと複雑な事情があるようです。
というのも、この時点でのランチャーズは前述の喜多島瑛&修が入っており、特に喜多島修のギタリストとしての腕前、そしてサウンドクリエイターとしての才能には、流石の加山雄三も脱帽していたらしいのですが、なんとこの時の喜多島修は高校生! ということはランチャーズに入った当初には中学生だったのですから、真に仰天!
ですから当然、加山雄三と一緒の芸能活動やステージでのライプに参加することは許可されず、それゆえに「ブラック・サンド・ビーチ」のレコーディングに、どの程度の貢献があったかは知る由もありません。なにしろ「エレキは不良」でしたからねぇ……。
ちなみに昭和41(1966)年頃の加山雄三がテレビ出演やステージで共演していたランチャーズは、当時の映像やレコードのジャケ写等々から類推して、堤光生(g)、岩崎道夫(b)、喜多島瑛(ds) が一応のレギュラーだったようですし、レコーディングセッションにも助っ人が参加していたと思われますが、しかし、それにしても「ブラック・サンド・ビーチ」は最高です。
エレキギターならではのキンキラ煌めくイントロのフレーズから重くドライヴするコード弾きのリフ、そして低音域を活かした曲メロのキャッチーなノリ、さらに高音域でのオカズや躍動的なリズムギターのグルーヴ感♪♪~♪ ベースやドラムスの迫力あるビートも素晴らしいと思います。
実はサイケおやじがエレキギターを本格的に弾き始めたのは高校入学前の春休みからで、それは叔父さんが婚約者の弟さんから調達して私にプレゼントしてくれたグヤトーンのLG350Tという、これは実際にGSのプロギタリストも使っていた、つまりちょいとした高級機でした。ただしアンプは安物を改造して出力を増した???でしたが、やはり嬉しくて、オマケに付いていた教則本を見ながら連日、意味不明のフレーズを弾いては悦に入っていましたですね。
そしてその教則本に掲載されていた中のひとつに、この「ブラック・サンド・ビーチ」があったのですから、必死でコードの押さえ方やリードのメロディを練習したのですが、やはりレコードに合わせて弾くのは至難の技……。
さらに当時はGSブームが去り、若者の間では歌謡フォークが人気を集めていましたから、ギターにしてもアコースティックが主流になっていた頃に、あえてエレキの練習をしているサイケおやじは、やっぱり若い時からオールドウェイヴだったんですねぇ。全く、今更ながら、自嘲するばかりです。
また、この曲はベンチャーズや寺内タケシのバージョンでも名演が残されていますが、特に寺内タケシが演じる低音弦を使ったリードの凄さは、完全に曲のキモを掴みきった証明として、そのドライヴ感はオリジナルバージョンとは一味ちがう楽しみが満喫出来ますよ。一方、ベンチャーズのバージョンはリズムギターがド迫力♪♪~♪
というように、曲そのものの完成度が既にして高いんですねぇ~♪ 流石は弾厚作=加山雄三!
その意味ではB面に収録された「ヴァイオレット・スカイ」が、本当に摩訶不思議な演奏で、そのプログレとサイケデリックを無意識の内にインストで先取りしたようなムードは、私の稚拙な文章力では表現不能ですから、機会があれば、ぜひともお楽しみいただきとうございます。
ということで、エレキを本格的に手にした十代のサイケおやじは、今でも「ブラック・サンド・ビーチ」を聴くと、指が勝手に動くのを自覚するほどです。本当に若い頃の吸収力って凄いと思いますねぇ、シミジミと……。
この「ブラック・サンド・ビーチ」は和製ギターインストでは不滅の名曲、これを超える曲は40数年待てども出現せず、と言ってもいいかもしれません。“ベンチャーズのエレキ”の味わいに限りなく近づいた金字塔と言っては言い過ぎでしょうか? この曲が若大将の国民的人気の要因のひとつであったことは間違いないと思います。
エレキブームの最中、雨後の竹の子のごとくアマチュアバンドが誕生しましたが、彼らはいくら練習を重ねてもあの“ベンチャーズのエレキ”の音が出せずに断念したのではと推察しています。
喜多島修は当時高校生でしたか…。
あの白馬(ルンナ)に乗った人ですよね。
コメント、感謝です。
この「ブラック・サンド・ビーチ」は加山雄三がベンチャーズと共演する前提で書いたという説もあるようです。どうやらテレビで共演したらしいのですが、私は見ていません。う~ん、残念……。
サウンド作りでは、当時の日本ではギターのライトゲージが知られていなかったと思いますよ。プロのギタリストはジャズ出身者が多くて、巻き弦が主流だったのかもしれません。
そしてライトゲージが日本に入ってきたのも、ベンチャーズの大ブレイク以降じゃないでしょうか。
それと喜多嶋修はご指摘のとおり、人気絶頂だった内藤洋子をさらっていったんですよね。本当に天才は何をしてもいいのか!? と憤りを感じた者が多かったのでは?
決して笑えない気分ですが(苦笑)。
今 動画で 加山雄三 僕の妹に ウィズ松田聖子を 見ています。僕の妹に時どき カラオケします。ぶっちゃけた話し 海その愛を よくカラオケするかなぁ.続いて 動画で エレキの若大将 映画予告を 見ています
音楽同好会(名前検討中 加山雄三を語る会
歴史的 世界的 美男を探す会(名前検討中
若い頃 堀の深い顔というか ラテン系というか カッコいいですね。
若大将 かっこいい 歳の取り方ですね。
いつまでも 若いですね。髪は黒々していますね。スーパースターの人生。
コメントありがとうございます。
全く若大将は永遠ですよねぇ~♪
歌もギターも素晴らしいですが、なによりも佇まいにナチュラルな品性と粋が感じられます。
しかし若大将だって、これまでの人生に苦節が相当にある事はご存じのとおりで、それがまた味わいになっているのかもしれません。
映画「エレキの若大将」は個人的生涯のベスト100に入れているほど、好きです。
これからもよろしくお願い致します。
1.十番街の殺人 ’65
2.ベンチャーズ・メドレー ’65
3.キャラバンのドラムソロ後半~ ’65
4.ダイヤモンド・ヘッド ’65
5.ブラックサンド・ビーチ(加山雄三&ランチャーズ) ’65
6.キャラバン ’65
7.ドライビング・ギター(ベンチャーズ&ランチャーズ) ’66
8.密の味 ’66
9.ナポレオン・ソロ ’66
10.君といつまでも(ベンチャーズ&加山雄三) ’66
11.ウォーク・ドント・ラン ’72
12.ダイヤモンド・ヘッド ’72
13.回転木馬(ベンチャーズ&牧葉ユミ) ’72
14.もうすぐ故郷(ベンチャーズ&林 美果) ’72
15.ゴッドファーザー(ノーキー・エドワーズ) ’72
当時テレビ出演時のライブ音源をテープレコーダー(マイク)で録音したそうです。(そのテープを戴きました)
5曲目は正しくTVで共演した時の音源です。レコード化される前の云わばデモンストレーション的な貴重な音です。
演奏楽曲
A面
①蒼い星くず
②君といつまでも
B面
①恋は紅いバラ
②夜空の星
演奏メンバー
ギター 加山雄三
ギター 喜多島 修
ベース 岩崎道夫
堤 光生
ドラムス 喜多島 瑛
このような武人で録音したんでしょうね~♪
正式シングル盤ではなくソノシート盤です。