OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

ヴィレッジ西四番通りのディランとスーズ

2011-01-25 16:41:18 | Singer Song Writer

■風に吹かれて / Bob Dylan (Columbia / ソニー)

芸能界の全てを包括する空前のフォークブームだった昭和40年代後半の日本において、ボブ・ディランはフォークの神様!?!

そんな認識が強要されていた時期がありました。

確かにボブ・ディランは偉大なソングライターであり、優れたボーカリストでもあり、また意味不明な言葉の羅列を決してそれだけでは終わらせない哲学者ではありますが、天の邪鬼なサイケおやじにとっては、「フォークの」という部分が面白くありませんでした。

だってボブ・ディランはロケンロールの偉人でもあり、またブルースマンでもありますからねぇ……。

しかし「神様」という部分は、何を主張しているんだか分からない歌をリスナーに納得させてしまう、その超越的力量に感嘆するばかりですから、認めざるを得ないのでしょうか。

そんなこんなに拘泥していた時期が若き日のサイケおやじには確かにあったわけですが、ちょうど日本のフォークブームと歩調を合わせたかのようにボブ・ディランが例の「バングラ・デシ・コンサート」に出演したり、また「グレイテストヒット第二集」を出して積極的に動き出した事もあって、ラジオの洋楽番組では特集放送も流されるほどでした。

で、そんな企画の中で知ったボブ・ディランの人間味こそ、サイケおやじが共感出来る部分であって、例えば本日掲載したシングル盤のジャケットは、歴史的名盤となったセカンドアルバム「フリーホィーリン」からのデザイン転用ではありますが、そこに写るボブ・ディランと当時の恋人だったスーズ・ロトロのエピソードも、そのひとつです。

それは1961年の夏頃だったと言われていますが、当時は絵の勉強をしていたスーズ・ロトロは母と姉との三人暮らしでありながら、ひょんな事から出かけたショウに出演していたボブ・ディランと親しくなり、瞬く間に恋に落ちた2人は同棲生活を始めるのですが……。

現実的には当時のボブ・ディランには仕事があまり無く、一方のスーズ・ロトロも家族と共に母の故郷であったイタリアに戻る予定だったのですから、周囲が愛し合う2人に無理解な感情を露わにしていたのは想像に易いでしょう。

こうした経緯は前述したラジオの特集番組からの受け売りに、サイケおやじが例の如く独断と偏見を交えながら綴っている事をお断りして続きを書かせていただければ、とにかくボブ・ディランは相当に気分はロンリーで、しかも甘えん坊な人だったらしく、傍らにスーズ・ロトロが常に居てくれないと、眠ることも出来なかったとか!?

しかし、そういう我儘が一緒に生活する男女にとって疎ましいやっかいになるのは世の中の理でしょう。

ついにスーズ・ロトロは自らの絵の才能を伸ばす道を選び、再婚した母親と義父に伴われてイタリアに去ってしまったのですから、ボブ・ディランの心は乱れまくり、その前段として自分を避け始めた彼女に対しては、なんとストーカー紛いの行為に及ぶという、これは「天才」とか「神様」なんていう称号とは著しく遊離した行動でしょう。

そしてイタリアに渡航してしまったスーズ・ロトロに会いたい一心だったと言われていますが、1963年の初頭、運良く舞い込んだイギリスでの仕事のついでにイタリアに立ち寄るのですが……。

なんと、その数日前に彼女はニューヨークへ出発しての擦違い!

その強烈な空振りの中でボブ・ディランが作った歌が「北国の少女」だという逸話は、あまりにも出来過ぎでしょねぇ。

しかし、そんなこんながあって後、2人はニューヨークで再びの同棲生活に入るのですが、この頃には自立心が旺盛になっていたスーズ・ロトロに対し、嫉妬心の塊のようなボブ・ディラン!? 彼女が働く事も勉強する事も、とにかく外へ出る事さえも許さなかったというのですから、もはや愛情を超越した異常心理としか思えません。

ですからスーズ・ロトロもボブ・ディランを愛していながら、ついにニューヨークを去る事になりますが、ちょうど同じ頃、ボブ・ディランがセカンドアルバムとして発表した前述の「フリーホィーリン」が爆発的な評判にっ!

もちろんジャケットに写る恋人の2人が話題になった事も、当然が必然でした。

そして成り行きから再びヨリを戻したスーズ・ロトロではありますが、既に時代の寵児となっていたボブ・ディランには、あらゆる面で女に不自由する状況など無縁であり、特に同時期、「フォークの女王」として人気絶頂になっていたジョーン・バエズとの関係は、もはや抜き差しならぬものだったようです。

つまり勘ぐれば、ボブ・ディランはスーズ・ロトロが自分の傍に居なかった時期、ジョーン・バエズと仕事以外の感情で接した末に、所謂デキていたというわけですから、後年の「フォークの神様」も、若い頃はいろんな煩悩に苛まれていたのかっ!?!

そのあたりの状況は当時の芸能マスコミでも派手に扱われていたそうですが、現実問題としてボブ・ディランとジョーン・バエズの結婚なんてものは、決して有り得る話ではなく、またスーズ・ロトロとの関係も完全に破局したのは言うまでもないでしょう。

ということで、幸せの絶頂を記録したジャケ写のアルバムが売れまくっていた頃、当の本人達はドロドロの愛憎劇を繰り広げていたという、実にスキャンダラスな裏話があるんですから、ボブ・ディランには極めて人間的な親近感を覚えてしまうサイケおやじです。

そういえばボブ・ディランは、同等に歴史的な傑作アルバムとされる1965年の「ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム」のジャケ写にも、後に正妻となるサラ・ラウンズという女性を登場させているほど、そういう事に関しては赤裸々に拘る人だったんでしょうか?

そのあたりも所謂ディラン学では様々に研究されているようですが、そこまでは知る必要がないと思うのがサイケおやじの本音であり、ただ、ディランは神様よりは人間が似合うと、不遜にも思うだけです。

さて、そこで気になるボブ・ディランとスーズ・ロトロの恋人写真が撮影された場所ですが、「グリニッジ・ヴィレッジの西四番通り」というのが定説になっています。

そしてサイケおやじは1981年に初めてニューヨークへ行った時、思わずその場所に赴いたのですが、もちろん腕にぶらさがってくれるような愛しい女性は存在するわけもなく、一時でも幸せだったボブ・ディランを羨ましく思うだけでした。

最後になりましたが、掲載したシングル盤はボブ・ディランの代表的なヒット曲をカップリグした再発物ですが、今から20年近くも前、某中古屋で発見した瞬間から買う運命にあったと自分に言い聞かせ、ゲットしたものです。

まあ、それほどジャケ写のインパクトが強いというか、悪い予感も幸せのひとつという事なのかもしれません。

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