■夜が明けたら c/w かもめ / 浅川マキ (東芝)
想い出の場所ってのは、誰にでもあると思います。
例えば本日掲載の浅川マキが、昭和44(1970)年に出したシングル盤スリープに写る「蠍座」は、当時の新宿にあった所謂アングラ芝居を多く上演する小劇場でした。そして当然ながら、あまり報われることの少なかったであろう、そうした青春の情熱が集まっていた場所でもありました。
実はサイケおやじは、この「蠍座」があった建物の表の顔だった「新宿文化」という映画館に通い続けた若き日があり、そこでは昭和40年代初頭から活動を開始したATG(アート・シアター・ギルド)による、決して商業的ではありませんが、しぶとくて鋭いフィルムの数々が上映されていたのです。
しかも場所的に伊勢丹デパートの前ということは、フォーク集会やアングラ芝居のもうひとつの本拠地(?)でもあった花園神社とか、あるいはゴールデン街が近くにありましたから、スノッブな文化人やヒッピーと呼ばれた自由人も多く徘徊していたという、なかなか怪しげな地域だったのです。
で、肝心の「蠍座」なんですが、そんな経緯から存在だけは知っていたものの、当時は入る勇気も状況もありませんでした。ただ、そんな昭和49(1974)年のある日、例によってサイケおやじはエロ映画でも鑑賞するべく「蠍座」の近くを歩いていた時、全く意味不明の些細な事からチンピラに因縁をつけられ、少しばかりボコボコにされました。
もちろん正直に言えば、サイケおやじは腕っ節も強くないし、さらに言い訳としては入れてもらっていたバンドのライプが近かった事もあり、とにかく指に怪我をしないよう、ポケットに両手を入れたまんまで無抵抗だった所為もあるんですが、それにしても誰も助けてくれなかったのは理解出来る事でもありました。
道路に倒されてケリを入れられている状態で、なんとサイケおやじは周囲を通り過ぎたり、黙って眺めている人達を納得しながら観察する、妙な余裕があったんですよねぇ。
特に件の「蠍座」前に集まっていたアクの強い数人の美女達は、多分そこへ出演する女優さんだろうか……?
なぁ~んて、今でも怖いほど、それを記憶しているのです。
まあ、幸いにして大した怪我もなく、あちこちは痛かったものの、チンピラが去った後は自力で起き上がれるほどでしたから、それも納得出来るのですが、そんな事なんて世の中には珍しくもないでしょう。
こうして時が流れました。
そして昭和55(1980)年になって友人に連れて行かれた飲み屋の壁に貼られていたのが、このジャケ写であり、なんでも店のママが当時はアングラ芝居の女優として、その「蠍座」にも出演した事があるとか!?
青春の思い出よ♪♪~♪
と、柔らかな微笑みで話してくれた彼女の深い目の色は、本当に素敵でした。
もちろん「夜が明けたら」と「かもめ」が入ったレコードそのものが鳴らされたのは、言うまでもありません。
こうして、その店に時折は通う事になったサイケおやじは、ついに昨年、建物の老朽化を契機として廃業するママに頼み込んで、前述した壁に貼られたジャケットとレコードを譲り受けたのですが、掲載したとおり、上手く剥がすことが出来なかったのは悔しくもあり、また当然の帰結として、逆に良かったと思うほどです。
さて、肝心の浅川マキの歌なんですが、それはジャズ歌謡というか、ちょいとジャンルを超越した魅力があると思います。
例えば「夜が明けたら」は本人の自作によるアンニュイなムードが横溢した名曲で、4ビートに依存したグルーヴとフルートの彩りが、モロにジャズを感じさせてくれます。さらに蓮っ葉な節回しに女の純情を滲ませるボーカルの表現力は素晴らしいですねぇ~♪
また「かもめ」は変拍子のモダンジャズビートで演じられる歌謡曲メロディが秀逸で、一篇の下世話な物語が繰り広げられる、まさに浅川マキをバックアップしていた寺山修司の「らしさ」が全開したコラポレーションの結晶♪♪~♪
両曲とも、その頃に作られたテレビドラマや映画に使われた事も度々でしたから、誰もが一度は耳にしたことがあるかと思いますが、中でも円谷プロ制作の「恐怖劇場アンバランス」で昭和48(1973)年に放送の第7話「夜が明けたら」は、そのタイトルがズバリですから、浅川マキ本人も出演した傑作になっています。
そして物語の内容も、新宿の雑踏で乱暴されながら、周囲の無関心で不条理な悲劇が……、という展開が、前述したサイケおやじの被害体験と重なっているのも親近感があります。ただし、そこにあった刹那の結末には当然ながら無関係なわけですが、現在ではDVD化もされておりますから、ぜひとも皆様にはご覧いただきとうございます。
ということで、たった1枚のレコードにも、それぞれの思い出が募るというのが、本日の結論です。
特に我国ではシングル盤であってもピクチャースリーブが当然でしたから、その幸せは格別でしょう。
ちなみにジャケ写にあるとおり、リアルタイムの「蠍座」には浅川マキも出演することが多かったようですし、この「夜が明けたら」も、そこでのライプレコーディングを基本に作られていると言われています、
う~ん、それにしても浅川マキの歌は日本語がメインの所為もあり、如何にも昭和40~50年代の都市の猥雑と悲哀が滲んできますねぇ~♪ 何時聴いても、惹きこまれてしまいますよ、本当に!
そして今となっては、一度も浅川マキのライプに接する事が出来なかった自分が恨めしく思えのるでした。
僕はビ-トルズ解散の年に生まれたので、旧き佳き
昭和の佇まいを堪能するには、ちょっと遅かったですね。子供過ぎてあまり良く覚えてないんですね。(なので、岡田奈々ちゃんの記憶もないんです(泣)
)今でも「傷だらけの天使」や、あの頃のドラマをTVで録画しては、建物や街並み、当時の人達を目を食い入るようにして観たりしていますよ。
昭和40年代は、僕の憧れの時代なので、サイケおやじさんにちょっとジェラシーですよ!o(^o^)o
このジャケのお店をリアルタイムで観たなんて、
イイな~(^з^)-☆ 僕って変ですかね(笑)。
コメント、ありがとうございます。
だいたい自分の好みや感性は十代を過ごした昭和40年代に形成され、それ以来、ほとんど進歩していません。
そういう自覚があるんで、貴兄のご共感には感謝あるのみです。
ちなみにその頃の新宿は映画やテレビドラマのロケが頻繁にありまして、その場の警備や交通誘導は任侠団体の仕事だったんですが、本職よりも役者の方が「らしかった」という真実(笑)も、ご報告させていただきます。
心が弱ってくると、ジャズと浅川マキを思い出すクセがある寝ネコです。
「蠍座、どうなったんだろ?」と検索したら、ここにたどり着きました。
浅川マキのライブ、蠍座で見ました。
ああ、あの頃のマキ、
まだ若かったのに、シラっとしてて、
でも、どっか優しくて・・
あの低い声が好きです。
「夜が明けたら~」が心の中でリフレインする(:_;)
でも、このポスター、嬉しいです。ありがとう。
コメント、ありがとうございます。
私は浅川マキのライブステージに接することが出来なかったのを不覚と心得ています。
いゃ~、貴兄が心底羨ましいですよ。
仰るとおり、あの頃の空気感は大切にしたいですねぇ~♪
私は弱気になると、「こんな風に過ぎて行くのなら」を口ずさんでしまいます。