■初めてのデートc/wわたしの祈り / 小山ルミ (日本ビクター)
サイケおやじの世代では、ハーフ系美人女優や歌手には、きっとノー文句でシビレる皆様が大勢いらっしゃるに違いない!?! と、私は決めつけてしまうんですが、中でも小山ルミは昭和40年代の我国芸能界では特に忘れられないひとりでした。
私が彼女を意識したのは、何時だったのか……?
それは多分、若者向けのモーニングショウとして人気があった「ヤング720(TBS)」のマスコットガールとして登場した昭和42(1967)年頃が最初だったと思います。当時の彼女は確か中学生だったと思うのですが、ハーフ特有の目立つ容姿、キュートな笑顔が、とにかく愛くるしい限りでしたねぇ~♪
そのプロフィールについては当時も今も、例えば中学では女番長=スケバンだったとか、札付きの不良少女だったとか、様々に言われてきましたが、芸能界に入ってからは、自らの魅力を一途に活かす熱心さが、同時代のデビュー組の中では飛びぬけていたそうです。
ちなみに彼女は昭和27(1952)年生まれで、父親はアイルランド系、母親は日本人というハーフで、テレビでのデビューは昭和42(1967)年、大勢のセクシーアイドルを誕生させた伝説のテレビ番組「ビートポップス(フジテレビ)」のゴーゴーガールだったそうですが、私の記憶では、それほどはっきりしません。
しかし前述の「ヤング720」では翌年秋に司会へと昇格し、また女優業や歌手活動も活発化していくのです。
そして本日ご紹介のシングル盤こそが、小山ルミの歌手デビュー作♪♪~♪
A面は如何にも昭和43(1968)年という、乙女心のせつなさを歌った歌謡ポップスの決定版♪ ちょいと演歌色も強いのですが、キメのストリングスアレンジとサビのメロディ、さらに小山ルミの素直にして一生懸命な歌唱が、ハッとするほど良い感じですねぇ~♪
また意図的にエコーを強めたサウンド作りや強いビートを演出するエレキベースの存在感も、歌謡曲全盛時代を証明していると思いますし、聴くほどに小山ルミの歌いっぷりが、意想外の黒っぽさを表出しています。
それはB面収録の「わたしの祈り」で尚更に顕著というか、実はこれこそ、和製R&B歌謡の隠れ名曲にして、完全に私好みの名唱なんですねぇ~♪
初っ端からジャズロックな低音ピアノ、それに寄り添う重いピートのエレキベースとエグイ音色のエレキギター低音弦奏法、さらに黒いテナーサックスにピシっとキメまくりのドラムスで作られるイントロ♪♪~♪
もう、これだけで歓喜悶絶のところへ、王道歌謡路線を強く意識したマイナー調の曲メロを、まるでトランシーバーでも通したような「ひしゃげた」声質で、小山ルミがグサッと歌ってくれるんですから、たまりません。
全世界の歌謡曲ファンには、絶対のマストアイテムになること、請け合いの名演だと思います。
しかし、これほどのレコードを作りながら、この2曲はほとんどヒットしていません。
それは決して彼女の歌がダメだったわけではなく、小山ルミというタレントが女優としては映画やドラマに、またバラエティやCMにも絶え間無く出演し続けていた、まさに売れっ子すぎる事情によるものでしょう。つまり歌手活動に専念する時間がなかったのです。
ちなみに当時の彼女が出演した映画は多数ありますが、拙サイト「サイケおやじ館」でもご紹介した渡哲也の主演作「大幹部 / 殴り込み(昭和44年8月・日活・舛田利雄監督)」が、個人的には強い印象となっています。
そうした状況の中、昭和44年頃にはグループサウンズのボーカリストとして、一歩進んだロックバンドのような活動も計画されていたようですが、現実にはテレビやスクリーンでの仕事が優先され、あるいは加藤茶との恋愛問題から様々なスキャンダルで世間を騒がせています。ちなみにこの時期、彼女の妹分として結成され、デビューしたのが、あの高村ルナが在籍していたゴールデンハーフでした。
ということで、歌手としての小山ルミが本格的にブレイクしたのは昭和46(1971)年に出した「さすらいのギター」のウルトラ大ヒット♪ これは厳密には違いますが、所謂ベンチャーズ歌謡の亜種としてウケまくったのです。
そしてこの頃にはセクシー歌謡路線のトップスタアとなり、抜群の人気を集めています。なにしろレコードジャケットはミニスカ、セミヌード、水着、ホットパンツ等々が大サービスされ、ライブステージはもちろんの事、テレビでもキワドイ衣装で歌い、踊っていましたから、お茶の間は気まずい雰囲気に満たされることも度々でしたねぇ~♪
ご存じのように小山ルミは以降もヒット曲を連発しながら、本格的なミュージカル等々、さらなる飛躍を求めて昭和49(1974)年4月に渡米、日本の芸能界から去っていきました……。そして翌年にはロスに在住していた宝飾デザイナーと結婚、引退しています。
しかしそうなっても、いや、それだからこそ、私は本日ご紹介のデビュー盤が決して忘れられないのです。
今となっては小山ルミがセクシーアイドルなのか、はたまた歌手として記憶されているのか否か、定かではありません。しかし残された音源、楽曲は全てが粒揃い! 近年は復刻も進んでいるようですが、願わくばコンプリートのボックス物を熱望しています。
「ビートポップス」でのゴーゴーガールはよく覚えていますが、それが何年頃であったとか、「ヤング720」の司会をやっていた(相方はたしか小柳徹?)のがいつ頃だったとか、個人的な記憶としては時系列的に整然としないのですね。
しかし、全然ヒットした記憶はありませんねぇ。そのせいか分かりませんがこの盤は中古屋でもいまだ見かけたことありません。B面のほうがグッときます。
デビューは「日本ビクター」だったんですね。
コメント感謝です。
「ヤング720」の司会は確か、週2回、やっていたと記憶しています。
「ビートポップス」のゴーゴーガールは派手な美女が多すぎて、私には小山ルミの印象が薄いのですが……。
当時はハーフの芸能人が、もてはやされた最初の時期だったと思います。山本リンダも、この頃でしたよね。
岡崎友紀が1953年7月31日だから、殆ど同じじゃないか。
どうも私の頃と話が平行しているなあ、と思いました。
ところが、当時は全然意識外でしたね。
やはり岡崎友紀でした。
でも今になると、とんでもない存在というのが、ありありとわかります。
この人の歌を聴いていると、もう魅力がそこいらじゅうにあふれかえっていて、一度はまったら抜け出すのは無理です。
こんな魅力のある人はいません。
変わってるなあ、小山ルミ。
「グット、我慢して」を聴いてご覧なさい。悪い意味で立ち上がれないくらいのダメージをくらいます。私が思うに史上最低の曲です。
「 さすらいのギター」は本当に良い曲で、この両面を持っているのが、小山ルミです。
本当にわからない、カメレオンみたいだ。
コメント感謝です。
小山ルミはソロデビューする以前、テレビの歌番組等々でゴーゴーガールをやってましたよ♪
その繋がりで、似たような仕事もやっていたんじゃ~ないでしょうか。
小山ルミの節回しはフェロモン系と清純派の使い分けが上手く、それが個性のひとつだったと思っています。
コメント感謝です。
もちろん現代のアイドルとは、背負ってるものがちがうんじゃ~ないでしょうか。
彼女の場合は、周囲が自分に何を求めているか?
そのあたりの自覚がしっかりあったんだと思っています。