■孤独なランナー / Jackson Browne (Asylum / ワーナーパイオニア)
子供の頃から好んで洋楽を聴いていると、言葉の意味の分からない歌なんて、ど~して面白いの?
なぁ~んて、度々言われてきました。
うむ、それは確かに一理ある現実だとは思います。
しかし、それでも洋楽に興味を失わないのは、楽曲そのもののメロディとリズムに歌詞の言葉が上手く乗っかっているからであって、それじゃ~、ボブ・ディランみたいな字余り系の歌はどうかと言えば、それを聞かせてくれる声の説得力かもしれないと……。
もちろん後に知ったことではありますが、ボブ・ディランと同じ英語圏で生活するリスナーにしても、その歌詞の内容は意味不明な単語や語句の使い方があって、とてもストレートには分からないものが多いとか!?!
そういえばボブ・ディランの書いた歌詞を専門に研究する学問が既に成立していたり、本人をノーベル文学賞に推す動きさえあるというのですから、我々が真相を知らずとも、聴いて良い気持になっている事は悪い道理もありません。
その意味では我国の歌謡曲だって、大人の世界の歌を子供が耳で覚えて、それなりに歌っている事だって、実は同様なんですよねぇ~~♪
さて、そこで本日の主役たるジャクソン・ブラウンなんですが、このウエストコーストロックの人気シンガーソングライターにしても、日本人がどれだけ本人の書いた歌詞の中身に共感して、その楽曲を聴いているかは不明じゃ~ないでしょうか。
少なくともサイケおやじは、ジャクソン・ブラウンが好きではありますが、相当にシリアスだったり、ネクラだったり、時には絶望的とも言える歌詞については、英語をちっとは解せるようになっていても、決して素直に共感して聞けるものではありませんでした。
ところが同時に本人が書いたメロディにそれが乗せられると、その語感の気持良さというか、全体のビート感も含めて、我々日本人にだって、実に好ましいウエストコーストロックになっているんですねぇ~♪
極言すれば、それが成し遂げられていたからこそ、我国でも人気が出たんだと思うばかりです。
中でも本日ご紹介の「孤独のランナー / Running On Empty」は、1977年に出た同名アルバムからのシングルカット曲なんですが、とにかく初っ端から潔いほどのロックフィーリングがジャクソン・ブラウンにしてはシンプルな単語の使い方で綴られた歌詞と相性バッチリ!
ちなみに参加ミュージシャンは盟友のデヴィッド・リンドレー(g,etc)、お馴染みセクションのダニー・コーチマー(g)、グレイグ・ダーギ(key)、リーランド・スクラー(b)、ラス・カンケル(ds) の4人、そしてダグ・ヘイウッド(vo)、ローズマリー・バトラー(vo)がコーラス隊で入ったライプレコーディングが基本だそうですから、その場がひとつになった空気感の良さも魅力でした。
そしてさらにシビれさせられるのが、バンドのグイノリピートで浮き上がるようなデヴィッド・リンドレーのスライドソロで、これは厳密にはラップスティールという膝の上で弾く変形ギターみたいなものらしいですが、それにしてもイケてますねぇ~♪
結局、歌詞の中身が分からなくとも、充分にウケてしまう要素が、この歌と演奏にはたっぷりという事だと思います。
ということで、書いているうちにオチが見えなくなってしまいましたが、ジャクソン・ブラウンの歌には、所謂洋楽の醍醐味! みたいなものが基本的に備わっているでしょう。
そりゃ~、確かに歌われている中身が即座に理解出来れば、もっと様々な感情の起伏を味わえるんでしょうが、逆に言えばそれが無理でも楽しめるのが、文字通り「音楽」の真相のひとつなのかもしれません。
その意味で原曲タイトル「Running On Empty」を「孤独のランナー」とした邦題の味わいも、流石と思うばかりです。