イースター島は南米西岸とニュージーランドとの間の南米側3分の1の辺り、南緯は27度の亜熱帯にあります。面積は170平方キロ、19キロ四方の正方形を1本の左下がり対角線で分けたその上側のような形で存在し、最高海抜は510メートル。東西最寄りの陸地、島へ人力で行くには十数日もかかるという、文字通り絶海の孤島です。最初の居住者のあとは、大航海時代のヨーロッパ人が来るまでは来訪者なしと推定されています。この島、丸裸で、木は皆無。テコもなく、ロープも作れず、石器文明でどうやって山から石を切り出して運び、立てたんでしょうか。宇宙人がやったなどと語った人さえいました。実は、昔は巨大な椰子、バナナなど、島中森だったということが分かりました。そして、こんな残酷な歴史が明らかになってきたのでした。
紀元1200年ごろ、はるか西の島から鶏(とネズミ)だけを連れて石器文化のポリネシア人が流れ着いてきた。島の鳥や魚、農業で食べていったが、人口が増え、鳥も食べ尽くして、海は遠浅ではないので小さい船での漁業は困難を極め、その結果農地開墾を極端にまで進めたせいで木も最後の1本まで切り尽くしてしまった。1700年代にヨーロッパ人が来るまでは外来者の形跡は全くないから、外の援助も頼めず、脱出はほとんど死を意味した島でのことだ。1600年代にはもう、凄惨な争い・部族間戦争である。食糧不足から人肉食含みもあり、人口が急速に「調整」されていった。人骨を砕いて骨髄まで食べた跡があるのである。そして、相手を最も侮辱するためのこんな凄まじい常套句まで残っている。「おれの歯の間にはおまえの母親の肉がはさまっている」。1774年に来訪した探検家、イギリス人のクック船長は島民たちをこう記述している。「小柄、痩身、おどおどしていて、みすぼらしい」と。ポリネシア人って巨大という印象が強いのに、モアイとは似ても似つかぬ住民たちとなっていたらしい。現在の調査研究では、当時の人口は最盛期の30%に減っていたとも、推定された。
他方、山の石切場には製作中の物、海辺への道には運搬中の物など、数百のモアイがうち捨てられている。製作中の物には最高20メートル、最大270トンなどというものまである。「俺の今度のは凄いぞ。どうだ参ったか」と、こんな首長の声が聞こえてきそうだ。戦争では相手アモイの首の折り合いもやった。
あの巨大な石像の背後にこんな歴史があるなんてまったく想像できませんでした。僅かな人口で無数の石像を作り、運び、立てました。その労働を命令された者はその分食物の生産関連労働をせずに、食べるだけ。この事実は島の環境・生活崩壊を早めたに違いないのです。石像を運ぶコロやテコなど、この苦役のために使われた木材ももの凄い量だったはずでしょうし。はてさて、人間ってすごく愚かだと慨嘆するのか、あれだけの文化を残したのだとブラックジョーク風に苦笑いするしかないのだろうか。
どうです?何か金正日北朝鮮とテポドンみたいじゃないですか。えっ?脱北の方がイースター島脱出よりはサバイバルの確率が高い?北は外国からの援助もなんとか期待できる?
では、イースター島をこの地球の未来の比喩にしてみませんか?逃げ場はないし、アフリカではルワンダ、ブルンジなどで食物、農地を巡る凄まじい殺し合いの地獄絵が既に続いています。親子までもがあちこちで殺し合っている(この本の全16章のうち第10章にそれが書いてありますので、いつかまた報告します)。中国、インドネシア、ブラジルなどなどでは丸坊主山、砂漠などが年々急増していますしね。モアイは、大国の核兵器や軍隊の象徴としましょうか。日本は200で4番目に大きいモアイを、遠慮がちに家の中に隠して持っているというところでしょう。人が食物のために殺しあいを強いられているイースター島であれば、モアイなど遠慮がちに置く方がまだましですよねー?例え自分の命がなくなっても。この本読んでて、僕は本気でそう思いました。