17日の「保守系」さんのコメント『貴方の戦争体験は・・』の中でのいくつかのご指摘について、わたしの意見を述べさせていただきます。「コメント」で述べるべきかどうか迷いましたが、敢てこの場をお借りします。
1 わたしがあの中で申し上げた実験は、それ自体がわたしの「空襲体験」です(別の機会に投稿したいと思っていますが)。“日本軍なら機関銃で撃ち殺すことはないと思います”とのことですが、アジアの各地で無抵抗の人々を殺戮したという証言はいっぱい出ています。
写真付きの証言も出ていますし、いくつかの本も所持しています。
2 確かに都会から離れたところでは、十分とは言えないものの、食料があったようですね。
でもその中身はどうだったでしょうか。妻とわたしの体験はまるで違います。妻の方は“中身はひどかったがなんとか食べられた。”と言います。なんとうらやましいことか。
茶碗に1杯の「くず湯」、それも甘味は全くなし、これだけで夕方まで過ごすという体験をされたことがありますか?
空腹を満たすには、水をがぶがぶ飲むこと、それとも、近くの畑へ忍び込んで痩せた胡瓜を盗み、追いかけられて必死に逃げること、腹が減るのでなるべく動かないようにすること、こんな話をいまの子に話しても想像出来ないようですね。蛇なんぞ見つけたら、逃げるどころか懸命に追いかけました。
道路の両側を自転車が通れるくらいだけの幅を残して畑にしたこと、そこにカボチャやサツマイモを植えたこと、肥やし(人糞)を運ぶ途中に紐が切れて頭から被ったこと、出来たカボチャなどを口にしても、当時でも「まずいっ」と思ったこと、などなど、いろいろありましたよ。今でもカボチャを口にすることに抵抗感があります。
栄養失調になるとどんな体付きになると思われますか?写真などが残されていますが、腹がパンパンに膨れ上がるのですよ。まるで蛙です。わたしも蛙でした。
山口判事の話はお聞きになっていますね。あれが現実です。
3 開戦について、海軍三羽烏のひとりで最後の海軍大将の「山本 成美」が戦後に、当時を回想して述べたそうですが(この本は持っていません。あれば、ぜひ読みたいです)、海軍最後の会議も賛否両論、喧々諤々の会議になったそうです。でも、最終的には、そこにいた将軍の一言だったそうです。海軍の神様とも呼ばれ、絶対的な権威を持っていたこの人には誰も口を挟むことも出来なかったそうです。その将軍の名前は「東郷 平八郎」です。彼の言葉がなかったら、回避出来たかも知れないとのことです。
アメリカとの海軍力の違い、「山本 五十六」の反対はそんな程度のものではなく、アメリカと日本との「経済力」のあまりにも大きな違いから、無理だと判断した、だから、開戦にあたって彼が言った言葉、“半年間は暴れ回ることが出来る”(正確ではありませんが)、これは、《緒戦は相手の力を削ぐことが出来ても、あの経済力では、いずれは何倍もの力で圧倒される》、ということ、そのことを海軍次官の時に自分の目で見てきているからと言われているのです。《半年以後は保障出来ない》と言っていたのです。
4 報道陣や、それに煽られた国民にも責任があるとも思われるような表現ですが、戦争に反対するものを徹底的に弾圧し、それを国民にいやというほど見せ付ける、そんなことをしたら、いったい何が残りますか。
これも「山本 成美」の回想と言われていますが、“あの時、共産党が自由に活動出来ていたら、この戦争を回避することが出来ただろう”と。
5 情報を隠し、統制する。ミッドウエイ開戦の時のアメリカと日本の情報の決定的な違いということについて紹介した本(雑誌)があります。「アサヒグラフ」か「毎日グラフ」かのどちらかだったと思いますが、本の入った部屋を探そうとしたものの、段ボールが天井まで積んだままの部屋なので見つけるのは無理でした。
あの戦いでアメリカは空母ヨークタウンを沈められましたが、その全てを公開しています。国民からは厳しい批判も出ていますが、それらを受け入れながら、以後の作戦に取り入れたと言われています。
一方、日本はどうだったか。「事実」を徹底的に隠した、それだけでなく「虚偽」の報道をさせた。ミッドウエイ島へ上陸させる予定の「一木支隊」をそのままガダルカナル島に送り込んだ。彼らの口から「事実」を話されることを恐れた、とも言われていますね。
これ以後の{大本営発表」が「うそ発表」の連続であったこともよく知られていますね。東京の防御が不可能であることを軍部はとっくに知っていた。だったらどうして避難させなかったか。移動の際の混乱は当然あるでしょう。しかし、少なからぬ都民の命を救うことが出来たはずです。
NHK特集の「東京大空襲」をご覧になったことがありますか?まだでしたら、DVDでも出ています(NHK出版)。
空襲警報が発令されたのは、爆撃が始まってからであった、なぜか?DVDをご覧になれば、この謎についてしっかり教えてくれます。いかに国民の命を軽んじていたかが見事に証明されます。
ストライキの場合、労働者が命を奪われることはないでしょう。一方は戦争です。殺し合いなのです。比較出来るものではないと思いますね。
戦時中、イギリスには「コヴェントリー」という特別な意味を持つ単語がありました。「残虐行為」という意味です。「コヴェントリー」はもともと都市の名前です。どうしてそんな意味に使われたか。
ナチスドイツによる無差別爆撃のために死者が5千人も出たことから、これを非難する意味で使われたのです。
では、ひと晩に10万人もの死者が出た「東京」にはどんな意味を付けたらよいでしょうか?
まだまだありますが、“言い出したら止まらないのがあなたの悪い癖!”とよく妻に言われます。今回はここまで・・・。
(追伸)
1 「保守系」さんから「転向」を奨められました。現代風「特高警察」というところでしょうか。
近く投稿する予定の『父の遺言』をお読み戴くことを願っています。
2 それにしても、「改憲論」のみなさんには耳障りなニュースが多すぎますね。夕べから今朝にかけての「昭和天皇発言」などもその1つ。
3 安倍晋三氏が著書を出版したとのこと。どうせ総裁選へ向けてのゴーストライターの作品でしょうが、内容紹介の記事を読んで、笑い出してしまいました。
1 わたしがあの中で申し上げた実験は、それ自体がわたしの「空襲体験」です(別の機会に投稿したいと思っていますが)。“日本軍なら機関銃で撃ち殺すことはないと思います”とのことですが、アジアの各地で無抵抗の人々を殺戮したという証言はいっぱい出ています。
写真付きの証言も出ていますし、いくつかの本も所持しています。
2 確かに都会から離れたところでは、十分とは言えないものの、食料があったようですね。
でもその中身はどうだったでしょうか。妻とわたしの体験はまるで違います。妻の方は“中身はひどかったがなんとか食べられた。”と言います。なんとうらやましいことか。
茶碗に1杯の「くず湯」、それも甘味は全くなし、これだけで夕方まで過ごすという体験をされたことがありますか?
空腹を満たすには、水をがぶがぶ飲むこと、それとも、近くの畑へ忍び込んで痩せた胡瓜を盗み、追いかけられて必死に逃げること、腹が減るのでなるべく動かないようにすること、こんな話をいまの子に話しても想像出来ないようですね。蛇なんぞ見つけたら、逃げるどころか懸命に追いかけました。
道路の両側を自転車が通れるくらいだけの幅を残して畑にしたこと、そこにカボチャやサツマイモを植えたこと、肥やし(人糞)を運ぶ途中に紐が切れて頭から被ったこと、出来たカボチャなどを口にしても、当時でも「まずいっ」と思ったこと、などなど、いろいろありましたよ。今でもカボチャを口にすることに抵抗感があります。
栄養失調になるとどんな体付きになると思われますか?写真などが残されていますが、腹がパンパンに膨れ上がるのですよ。まるで蛙です。わたしも蛙でした。
山口判事の話はお聞きになっていますね。あれが現実です。
3 開戦について、海軍三羽烏のひとりで最後の海軍大将の「山本 成美」が戦後に、当時を回想して述べたそうですが(この本は持っていません。あれば、ぜひ読みたいです)、海軍最後の会議も賛否両論、喧々諤々の会議になったそうです。でも、最終的には、そこにいた将軍の一言だったそうです。海軍の神様とも呼ばれ、絶対的な権威を持っていたこの人には誰も口を挟むことも出来なかったそうです。その将軍の名前は「東郷 平八郎」です。彼の言葉がなかったら、回避出来たかも知れないとのことです。
アメリカとの海軍力の違い、「山本 五十六」の反対はそんな程度のものではなく、アメリカと日本との「経済力」のあまりにも大きな違いから、無理だと判断した、だから、開戦にあたって彼が言った言葉、“半年間は暴れ回ることが出来る”(正確ではありませんが)、これは、《緒戦は相手の力を削ぐことが出来ても、あの経済力では、いずれは何倍もの力で圧倒される》、ということ、そのことを海軍次官の時に自分の目で見てきているからと言われているのです。《半年以後は保障出来ない》と言っていたのです。
4 報道陣や、それに煽られた国民にも責任があるとも思われるような表現ですが、戦争に反対するものを徹底的に弾圧し、それを国民にいやというほど見せ付ける、そんなことをしたら、いったい何が残りますか。
これも「山本 成美」の回想と言われていますが、“あの時、共産党が自由に活動出来ていたら、この戦争を回避することが出来ただろう”と。
5 情報を隠し、統制する。ミッドウエイ開戦の時のアメリカと日本の情報の決定的な違いということについて紹介した本(雑誌)があります。「アサヒグラフ」か「毎日グラフ」かのどちらかだったと思いますが、本の入った部屋を探そうとしたものの、段ボールが天井まで積んだままの部屋なので見つけるのは無理でした。
あの戦いでアメリカは空母ヨークタウンを沈められましたが、その全てを公開しています。国民からは厳しい批判も出ていますが、それらを受け入れながら、以後の作戦に取り入れたと言われています。
一方、日本はどうだったか。「事実」を徹底的に隠した、それだけでなく「虚偽」の報道をさせた。ミッドウエイ島へ上陸させる予定の「一木支隊」をそのままガダルカナル島に送り込んだ。彼らの口から「事実」を話されることを恐れた、とも言われていますね。
これ以後の{大本営発表」が「うそ発表」の連続であったこともよく知られていますね。東京の防御が不可能であることを軍部はとっくに知っていた。だったらどうして避難させなかったか。移動の際の混乱は当然あるでしょう。しかし、少なからぬ都民の命を救うことが出来たはずです。
NHK特集の「東京大空襲」をご覧になったことがありますか?まだでしたら、DVDでも出ています(NHK出版)。
空襲警報が発令されたのは、爆撃が始まってからであった、なぜか?DVDをご覧になれば、この謎についてしっかり教えてくれます。いかに国民の命を軽んじていたかが見事に証明されます。
ストライキの場合、労働者が命を奪われることはないでしょう。一方は戦争です。殺し合いなのです。比較出来るものではないと思いますね。
戦時中、イギリスには「コヴェントリー」という特別な意味を持つ単語がありました。「残虐行為」という意味です。「コヴェントリー」はもともと都市の名前です。どうしてそんな意味に使われたか。
ナチスドイツによる無差別爆撃のために死者が5千人も出たことから、これを非難する意味で使われたのです。
では、ひと晩に10万人もの死者が出た「東京」にはどんな意味を付けたらよいでしょうか?
まだまだありますが、“言い出したら止まらないのがあなたの悪い癖!”とよく妻に言われます。今回はここまで・・・。
(追伸)
1 「保守系」さんから「転向」を奨められました。現代風「特高警察」というところでしょうか。
近く投稿する予定の『父の遺言』をお読み戴くことを願っています。
2 それにしても、「改憲論」のみなさんには耳障りなニュースが多すぎますね。夕べから今朝にかけての「昭和天皇発言」などもその1つ。
3 安倍晋三氏が著書を出版したとのこと。どうせ総裁選へ向けてのゴーストライターの作品でしょうが、内容紹介の記事を読んで、笑い出してしまいました。