私はこのブログに参加して、どうも明治前後から日露戦争位までの日本の歴史への批判はないように感じてきました。しかし、日韓合併あたりから、あの大東亜・太平洋戦争になってくると俄然、守るさん、へそ曲がりさんの論調は、あの戦争への批判が厳しくなります。そしてついには、とりわけ憲法の九条を廃止するのではなく守るという主張に転じてきます。
新憲法の前文に「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我らの安全と生存を保持しようと決意した・・・」など、平和を愛する国がいくつあったのでしょうか?戦争がどれどほどあったのでしょうか。もう勘定しなくてもいいですよね。
そして北朝鮮があり、覇権国家たらんとする中華思想のシナという国がこの日本にミサイルまで向けている。この憲法前文と現実の乖離はどう説明したらいいのでしょうか。
しかもあの九条の内容は、国家の自衛権はあるという解釈ですが、あれを素直に読めば、軍隊の保持はありえないのです。ですから守るさんにもあの九条を守るならば、やはり運動は、今の自衛隊の解散を主張すべきですし、再度日米安全保障条約の破棄運動をすべきだと言ってきました。
しかしそうではない。あの九条を守るという、戦争の惨禍を語るという、一体何の運動なんだろうと思うのです。
日本は、少なくともあの明治維新という戦死者の少ない内乱で偉業をなしとげ、西欧列強の植民地化から防御しました。その後、やっと亜細亜初の立派な憲法やその他の法律を立法化して、三権分立の憲法も作り、あの不平等条約の改正に努力しましたが、しかしあの条約改正が出来る最大の要因は、日清戦争に勝ち、日露戦争に勝利したのが最大の要因です。その為にどれほどの犠牲者を出したことでしょうか。
当時の白人国家というか列強は結局、ここまでしないと普通の国家として認めないというのが現実でなんです。
こうした国家にしても黄色人への差別意識もあり、私達の両親やその親達は、残念な気持であったろうと思います。しかもこのあたりから黄渦論もでるようになり、日本の文明や経済成長・軍事力への警戒が強まっていくわけですが・・。
歴史とは、自らが当時を想像してみることでもあるのですが、少なくとも、ここまでの所で、日本が独立を保つ方法が上記の政策以外にあったのでしょうか。
しかも韓国併合も何も喜んでやったわkではありません。韓国の地勢的な位置や韓国内の対立と混乱によって、日本が出ざるを得なかったわけです。ですから、この併合について国際的に批判されるものでもありませんでした。続続・・・。
新憲法の前文に「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我らの安全と生存を保持しようと決意した・・・」など、平和を愛する国がいくつあったのでしょうか?戦争がどれどほどあったのでしょうか。もう勘定しなくてもいいですよね。
そして北朝鮮があり、覇権国家たらんとする中華思想のシナという国がこの日本にミサイルまで向けている。この憲法前文と現実の乖離はどう説明したらいいのでしょうか。
しかもあの九条の内容は、国家の自衛権はあるという解釈ですが、あれを素直に読めば、軍隊の保持はありえないのです。ですから守るさんにもあの九条を守るならば、やはり運動は、今の自衛隊の解散を主張すべきですし、再度日米安全保障条約の破棄運動をすべきだと言ってきました。
しかしそうではない。あの九条を守るという、戦争の惨禍を語るという、一体何の運動なんだろうと思うのです。
日本は、少なくともあの明治維新という戦死者の少ない内乱で偉業をなしとげ、西欧列強の植民地化から防御しました。その後、やっと亜細亜初の立派な憲法やその他の法律を立法化して、三権分立の憲法も作り、あの不平等条約の改正に努力しましたが、しかしあの条約改正が出来る最大の要因は、日清戦争に勝ち、日露戦争に勝利したのが最大の要因です。その為にどれほどの犠牲者を出したことでしょうか。
当時の白人国家というか列強は結局、ここまでしないと普通の国家として認めないというのが現実でなんです。
こうした国家にしても黄色人への差別意識もあり、私達の両親やその親達は、残念な気持であったろうと思います。しかもこのあたりから黄渦論もでるようになり、日本の文明や経済成長・軍事力への警戒が強まっていくわけですが・・。
歴史とは、自らが当時を想像してみることでもあるのですが、少なくとも、ここまでの所で、日本が独立を保つ方法が上記の政策以外にあったのでしょうか。
しかも韓国併合も何も喜んでやったわkではありません。韓国の地勢的な位置や韓国内の対立と混乱によって、日本が出ざるを得なかったわけです。ですから、この併合について国際的に批判されるものでもありませんでした。続続・・・。