九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

なーんでか?  へそ曲がり

2006年07月18日 18時32分46秒 | Weblog
 今朝の「朝日新聞」の第2面の下に小さな記事が出ています。1段14行の小さなものです。

 以下、転記します。


      ・見出し : 印ミサイル実験 小泉首相が抗議

【サンクトペテルブルク=武内雄平】

 小泉首相は17日午後(日本時間同日夜)、インドのシン首相と会談し、インドがミサイル発射実験をしたことについて、「北朝鮮について国際的な議論をしている中でインドの実験があり残念だ」と述べた。

 シン首相は「近隣には中国やパキスタンという核保有国がある」などと応じた。


 記事はこれだけです。


・ ハテナ(?) 1  

 なんてまあ小さい記事だろうか。北朝鮮に関してはあれほど大きなスペースを割き、しかも、連日にわたって、これでもかこれでもかとばかり書きまくったのに。 インドの実験は大したことはないと思っているのか、だったら小泉首相が抗議するのは変ではないか。また、小さい扱いにしたのはなぜか?

・ ハテナ(?) 2 

 記事の内容を見よう。小泉首相の抗議は、インドの実験そのものへの抗議なのか、それとも、時期が悪いと言っているのか?、よく判らない。

・ ハテナ(?) 3  

 シン首相の応答を見ると、時期についての答えではないようだ。もし、時期だとするのなら、トンチンカンな話し合いになってしまう。(通訳のせいかな?)
 実験直後にすぐ抗議したのか?どれくらいの強さだったのか?

・ ハテナ(?) 4  

 もし、実験の正当性を言っているのなら、どうしてもっと声を大にして抗議しないのか?したのか、しなかったのか、この後、小泉首相は何と言ったのか?言ったのか言わなかったのか、記述が全くない。なぜか?

・ ハテナ(?) 5

 シン首相の答えが正当化のための開き直りだったとすれば、どんな制裁措置を考えているのか?


 尻切れトンボのような記事になっています。 こんなこと考えるのは、やっぱり私が「へそ曲がり」だからかな? 
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トンデモ記事!? その2  へそ曲がり

2006年07月18日 17時16分28秒 | Weblog
 14日に投稿した「トンデモ発言」のスポーツ紙についての続きです。「スポーツ・ニッポン」の記事は紹介出来ましたが、「スポーツ報知」の入手が出来ませんでした。近所の販売店も不在のため、「中部読売」の「スポーツ編集部」へ問い合わせ、送付するとの言を受けました。

 ここまでは、お知らせしたのですが、今日、9日付の新聞が届きました。注意深く見たのですが、どこにも出ていません。9日ではないのかなと思い、もう一度「中部読売」の「スポーツ編集部」へ問い合わせました。すぐ、調べて戴いたのですが、“見つからないので、改めて連絡する”と言われました。 
 
 しばらく待つうちに連絡が来ました。それによると「東京版」と「大阪版」には掲載されたものの、「中部版」には掲載されていないとのことです。
 「東京版」の入手方法を尋ねたところ、“東京へ連絡して、ファックスで送るよう、頼んでみましょう。”とのことでした。しばらく待つうちに、コピーが送られて来ました。
 
 以下が記事の内容です。


    ・第1見出し : 「金 正日に感謝」(1段ぐらいの大きさ 横書きで)
 
    ・第2見出し : 失言 麻生外相やっちゃった(左端に縦書きで)

    ・第3見出し : すぐ冗談と否定も

(記事)・・・のぺ80行

 麻生太郎外相(65)が8日午後、広島市内で講演し、北朝鮮のミサイル発射で主要国の北朝鮮問題に対する関心が高まったとして「金 正日(総書記)に感謝しないといけない」と発言した。麻生氏ならではのジョークだが、外相としてはあまりに軽率な“失言”に、専門家からは「言葉が独り歩きして、諸外国から批判されかねない」との声も噴出。「ポスト小泉」レースにまで影響が広がる可能性も出てきた。

 政界一の“漫画通”て゜知られる麻生氏の口から、強烈なブラックジョークが飛び出した。

 「金 正日(総書記)に感謝しないといけないのかも知れません」7発のミサイル発射によって、諸外国の北朝鮮に対する関心が高まったとして、金総書記を皮肉った発言。直後に「冗談は抜きにして」と付け加えるも、会場はドッキリ。

 麻生氏は続けて、自ら出席した先月のモスクワでの主要国(G8)外相会合で「(日本以外の)G8の関心はイランで、(麻生氏が)北朝鮮の拉致、核、ミサイルが緊急だと言ったが、反応は鈍かった」と指摘。「約10日たって、いきなりテポドン(2号の発射)ときたから、『日本の言ったことはこの話か、結構えらいことになっていたんだ』と、(北朝鮮自身に)如実に説明してもらった」とブラックジョークの“種”を説明した。

 政治ジャーナリストの山村明義氏によると、麻生氏は「ブラックジョークの塊みたいな人」。一方で、麻生氏の“失言”は「自民党の国防族の本音でもある」と語る。国防族の中では「北朝鮮がミサイルを発射したことで、外交的には国連の場で北朝鮮問題を堂々と主張できるようになり、軍事的には北朝鮮のミサイルの性能を見ることができた」との声も出ているという。

 北朝鮮のミサイル発射をめぐっては、小泉純一郎首相が6日夜、自民党幹部との会食で、ミサイル発射が訪米中のプレスリー邸訪問と重ならなくてよかったとして「オレはついている」などと自らの“強運”を自慢。物議を醸したばかり。

 北朝鮮問題で外交に注目が集まり、存在感をアピールする場が急増中の麻生氏。安倍晋三官房長官とともに「ポスト小泉」レースで急浮上する絶好のチャンスを得たはずだったが、ひとつの“失言”が大きな失点につながりかねない。

 政治評論家の浅川博忠氏は、「麻生氏はジョークのつもりだったろうが、ひとつ間違えば言葉が独り歩きして、諸外国から批判されることも考えられる。フライング発言には気を付けるべきだ」と麻生流ジョークの危険性を指摘した。


  こんな内容になっています。遅くなりました。
 
 
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愛国心と靖国参拝⑦ 落石 愛国心の登場

2006年07月18日 11時16分15秒 | Weblog
小泉さんが、自民党をぶっこわすという。
その声が共感を得たのは、なぜか?

国民が求めていた空白感からの出口を示唆してくれる指導者が、
小泉さん以外に、いなかったからではないでしょうか?

(野党の責任は重大です。とくに旧社会党や共産党は、
それを十分に認識しているとは感じられません)

小泉さんは、敵をつくることによって、政治目的を果たすという
政治手法を採りました。
改革に反対する「抵抗勢力」という言葉がマスコミのなかで
市民権を得るとともに、やがて、ひとり歩きを始めました。
つまり、多くの人々がそれを受け入れたわけです。
この結果、先回の総選挙は小泉さんの大勝に終りました。
(小選挙区制の成果です)

    

しかし、この手法は、賞味期限が短いのが特徴です。
改革が進めば進むほど、トンネルの先の実態が明らかになってきます。
どうも弱肉強食の荒野のようです。

(本当はここに経済の分野での閉塞感を書かねばならないのですが省略。
一点だけ指摘しておきたのは、現在の経済学が、十分な解決策を
示すことが出来ない点です。
技術革新に解決策を求めるのが一番、妥当のようですが、
これは自然破壊という破局への回避策としては説得力が弱そうです。
いずれにせよ西洋医学のように、ここが悪いから手術という解決策はなく、
いわば漢方薬による治療法しかなさそうです。)

国民の空白な心は一時的に、満たされたような錯覚に陥りましたが
やがて、次第に不満がたまっていきました。
構造改革そのものが新しい不満を生み出すからです。

こうした不満を解消するには、経済・政治での根っ子からの解決方向が
示されなければダメでしょう。
しかし現時点では、そんな解決策は見つかっていません。
では、どうした良いのか?
まず、そういう解決策はないことを十分に自覚する必要があります。
でも、国民の多数は、それでは満足できません。


     


そんな不透明な状況のなかで、政治家が、国民の心をコントロールしたい
という誘惑に駆られたとしても責めることは出来ないでしょう。

そのマインド・コントロールの有力な手法のひとつが「愛国心」です。
国を愛する=国の指導者の方針に忠実である。
この方程式が成立すれば鬼に金棒。
国民を自分の考える方向へ一致団結させることが出来れば、
どんなに楽でしょうか。
政治家に、そんな夢を持たせる魔術のひとつが愛国心です。

内政の失敗をごまかすために外敵をつくるという
とても古い政治手法ですが、これが案外有効なんです。

いつも時代の曲がり角になると叫ばれる愛国心の重要性は、
その文脈のなかに置いて検討することも必要です。
これまでも自民党政権は、時々、愛国心をと、望んできました。

今回は時代の空気も変っており、ちょっと違った展開を見せています。


      

                      つづく






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ソンナフウニ ワタシハ ナリタイ           まもる

2006年07月18日 01時16分00秒 | Weblog
 先日の中日新聞の写真記事に「書で潤い」というのが載っていました。(撮影は加藤丈朗氏)
 
 北京の公園の一角、木立に囲まれた小さな敷石の広場があって、人々が行き来しているのですが、涼を求める数名の人が敷石に漢字を書く一人の老人を見ています。
 大道芸人とは違う風格のある白髪の老人が眼鏡をずり落ちそうにして何か書いています。箒に似た筆に墨の代わりに「水」を浸して漢詩のようなものを淡々と記していきます。
 先に書いた文字は夏の日にもう消えかけて読むのも定かではありません。
 しかし 老人はそんな事には無頓着に「詩と書」を楽しんでいるようです。

 この写真を見て、つくづく自分もこう老いたいものだと思い至りました。
 
 表現や主張を自分の世界だけに閉じ込めることなく、外に開いて問いかける。
 しかし それを墨書・篆刻して残す事を求めず、消えるに任せ日々水書に精進
する。

 賢治の詩を思い出しました。                        
 
コメント (3)
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