九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

グランパス、2位に  文科系

2008年05月06日 19時02分57秒 | スポーツ
グランパスがさっき、2位のFC東京を負かした。1対ゼロだった。勝ち点22で今週は2位が確定。現在1位の浦和が今日は千葉に勝って23、2位のFC東京が20のまま、4位の鹿島は明日だけど、勝っても21だから。

今日のゲームは壮絶だった! 中央でプレスの掛け合いで、攻守交代がめまぐるしいこと。その中で右サイドバックに入ったバヤリッツァと右サイドMFの小川が組んで、右側が攻め勝っていた。左MFのマギヌンも小川と入れ替わることがあって、3人で右から攻めていた。あーいう場合、敵は疲れてくる。攻守切り替え時の走行距離が長くなるからだ。
前半に杉本が1点取って、後半開始からその25分近くまで東京は猛烈に攻めたけど、結局体力が続かずというところ。また、名古屋の守備の当たりが厳しかったのも勝因の一つだろう。

杉本の得点は縦パス気味の「アーリークロス」に応じたもの。これについては4月29日のグランパス関連拙稿のコメントにこう紹介しているが、まさにこの通りの得点だった。左後からアーリークロスを入れたことまでが、ここに書いた通りだった。

【 クロスとは十字架の意味にもなるのだが、「横切るもの」のことである。サッカーでは、点取りの一つの手段として、敵ゴール横遠くからフィールド半分を「横切る」ようなパスをゴール前へ入れるやり方がある。このパスを、クロスと言う。
アーリーとは、この場合「時間的に早い」こと。つまり、クロスを相手ゴールの横へ行くずっと手前の段階で斜め横へと入れるものだ。縦に敵ゴール前に出すパスは「縦パス」と言うが、これに近いようなクロスから、文字通りの真横のクロスまであるということである。
ちなみに、真横よりももっとボールを持ち込んで相手のバックライン近くから、敵ゴール前方へ「後に戻すように」送るパスは「マイナスのパス」と言うが、これもクロスの一種であるはずだ。

さて、このアーリークロスにはこんな点取り法がある。

敵ゴールかなり前方の、ゴール正面ないしは味方から向かって右側に、2人の敵最後尾DF(ディフェンダー、守備役。この2人を今仮に左からA、Bと呼ぼう)に向かって左右から挟まれるように、足の速い味方FW(ホワード、攻撃役。Cと呼ぶ)がいるとする。そして今、味方左サイド後方にいる味方選手(Dと呼ぶ)がボールを持っているとする。
さて、DがこのボールをAの左横から前方に大きく送って、足の速いCが真っ先にこれに追いつくならば、立派な得点チャンスができるだろう。こんなのが典型的なアーリークロスの使い時だ。Cも当然それを意識して準備し、C,Dが呼吸を合わせて行わねばならない。
反面もちろん、A.Bも当然これを意識して警戒している。この警戒を打ち破るアーリークロスは、Cの脚が超速いほど効果的で、得点に直結するものとなるということだ。杉本恵太にうってつけの作戦なのである。】
 
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社説を後世に残す。              まもる

2008年05月06日 11時35分47秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 先日、落石さんが5月3日憲法記念日の新聞各社の憲法問題についての比較記事を引用していた。
 まさに、各社の立ち位置が鮮明に炙り出されて面白かった。

 政府・財界よりの読売・日経などは世論の風向きが護憲の方向に動いたのを見て慌てて論点を国会ねじれの批判、そこから飛悪して参議院不要論・衆議院の権限強化、二院制の再検討にまで問題をエスカレートさせている。そして国民投票法の実施と段取りの強化・促進に言及している。

 一方、世論の動きを素直に分析して主張を組み立てた、朝日・毎日・東京(中日)
などは、現憲法の完全な実施とか、現憲法の再評価など極めて良識的な主張である。
 
★ そこで節目とも思われる今年の憲法記念日の各社の社説をコメント欄に残し後世に伝えたい。
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自由か平等か?   落石

2008年05月06日 09時51分32秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
日本とフランス二つの民主主義  不平等か不自由か 
         (薬師院仁志・著  光文社新書)

この本の感想文です。
民主主義といっても、自由と平等、どちらに重点を
置くかによって、ずいぶん違ってくるということが
書かれています。

   

フランスも日本も同じ民主主義の国。
価値観を共有しているようです。しかし、実体はかなり違うと著者は言います。
たとえば、愛国心。フランス人も日本人も愛国心を大切にしています。
自民党の愛国を唱える人々は、国民に国を愛せ、愛国は国民の義務と言います。
しかし国はそれに対して義務があるとは言いません。
フランスでは、国にも義務があるとしているのです。

国民は祖国を愛する義務があり、国家は自国民を愛する義務がある。
つまり国民は祖国を愛し、国家は国民の生活を保障する義務がある。
国家と国民の義務関係は相互的なもので、
国家は国民を支配するものでなく、
国民にサービスを提供する存在でもない。

   

日本は右派が軍事力増強・徴兵制度に賛成ですが、
フランスは右派が徴兵制反対、左派は賛成。
かなり違います。
これは、日本の右派の源流が明治維新で王政復古を唱えた人々。
フランスの右派は王政を転覆した共和派。
という歴史的な違いが遠因だそうです。

革命を起こして建設した国家は、人権の守護者であり、
国家が人権の抑圧者であることはない。
学校がイスラムのスカーフを拒んだのは、公の場である学校は、
宗教から自由でなければならないという普遍的な思想によるものとか。

   

フランスと日本では、民主主義という同じ言葉でも、かなり意味に違いがある。
日本は自由に力点がおかれ、フランスでは平等におかれているという。
サブタイトルは、民主主義は完全ではなく、日本のように自由に比重があれば、不平等が生まれ
フランスのように平等が重視されれば、不自由という意味でしょう。

また、著者は、日本の場合、アメリカ的民主主義を植えつけられた結果、
フランス的な民主主義がまったく理解されず、
左右が本当の意味の対立軸を持っていないことが
大きな問題であると指摘しています。
民主主義国・日本の国民には、真の意味の選択肢がないことが
深刻な問題であるという指摘です。

   


なお、戦前の日本では、愛国心に対して、国は軍人と官僚には
生活を保障していたことに気づきました。
終戦の詔勅では、国民は軍人、官僚そして民草の3つにキチンと
分けられています。
そして軍人と官僚は恩給などで手厚く保護されていたのです。
圧倒的多数の民草は愛国心を持つように強要されましたが、
国からの生活保障は受けていなかったのですね。


この平等という感覚。
案外、日本人のなかに広く根付いているように思います。
小泉さんに対する熱狂がさめて、福田さんになった時の
国民の意識に、あまり不平等はいえないという
健全なバランス感覚が働いたように感じました。
どこから、この平等感覚は来るのでしょうかね?
案外、新しく戦後からのものか?
戦前から?
江戸の昔から?

共産党は、この平等感覚が強い政党だと思いますが?




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