1月20日のここに安倍政権の『「立憲主義憲法の神髄」を揺るがせる動き』を書かせていただいた。その書き出しと趣旨とは、それぞれこう書いた。
『表題のカッコ付きの表現は、本日の中日新聞に載った名古屋大学教授・愛敬浩二氏のものである(7面の「中日新聞を読んで」)。改憲問題のおそらく最大のポイントだと思うから、改めて力説したい』
『憲法とは単なる国民のお約束なのか、「権力への懐疑」を歴史の痛苦として学んだ庶民が権力にさせた誓いの制度なのか。大変な違いではないか。国の主権者が誰なのか、そして、「公僕」がその強大な権力を乱用するとどういう悲劇が起こったか。そういう経験、教訓が詰まった人類の大英知だと思うのだが、どうだろう』
この記事では憲法99条の趣旨をなくそうとする自民党案に対して、愛敬浩二氏はこう述べていた。
『日本国憲法が憲法尊重擁護義務を負わせているのは「天皇又は摂政および国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員」である(99条)。国民が含まれていないことに重大な意味がある。国民は憲法を尊重・擁護する「義務」を負わない。しかし、政府、議会、公務員に対して「憲法を尊重し、擁護せよ」と要求する「権利」を持つ。憲法99条はこの考え方を自覚的に表明しているのであり、この考え方こそ「権力への懐疑」を根本精神とする立憲主義憲法の神髄であると私は考える』
さて、本日の中日新聞も、31面1面を使って日弁連憲法委副委員長・伊藤真弁護士に同じこの問題を語らせている。こんな見出しを付けて。最も大きいのが『「立憲主義の否定」』。ほかは、『自民・憲法草案を読む』、『国家権力縛り、人権保障するのが憲法』。
今回の伊藤氏も冒頭で、大変興味深い言葉を語っている。
『自民党の改憲草案は、人権を保障するための立憲主義を否定している。先進国に共通する理念を放棄すれば、日本は世界から「違う国」とみられてしまう』
さて、前回20日に書いた事とは別の視点から、この「違う国」に向かう策動批判を僕もやってみたい。自民党草案の考え方は、主権者とその自治という根本精神をないがしろにし、これを国家が「善導してやろう」という腐臭に満ち溢れていると、僕は強調したい。経済では「国家介入などろくな事はない、民間に任せよ」と大音声なのに、改憲方向においてはなんたる国家の越権、傲慢かと、そういうことだろう。
結論として平たく言えば、こういうことだ。北朝鮮や中国のような国家主義への退行なのかと。