九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

朝鮮日報の記事     らくせき

2013年07月06日 09時22分57秒 | Weblog
朝鮮日報がこんな記事を掲載していました。

中国共産党中央党校の張塊教授は5日
「日本で21日に投開票が行われる参議院議員選挙で
もし与党・自民党が勝てば、北朝鮮は安倍晋三首相を招待し、
8月か9月ごろ日朝会談を再開するなど、
周辺国への対話攻勢をいっそう強めるだろう」と予想した。

なるほど、世の中は思わぬ方向に動くんですね。

このことが実現すれば、北朝鮮の国民、日本国民にとって
良い効果があるのだろうか?





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自民、TBS取材拒否       大西五郎

2013年07月06日 09時00分23秒 | Weblog
自民、TBS取材拒否「国会報道の内容に問題」(2013.7.5 毎日新聞)

 自民党は4日夜、TBSの報道内容が公平さを欠いているとして党幹部に対する取材や幹部の番組出演を当面、拒否すると発表した。6月の通常国会閉会に関する報道内容に問題があったとしている。参院選の選挙期間中に報道機関の取材を拒否するのは異例だ。
 党総裁・幹事長室名の発表文によると、TBSの報道番組「NEWS23」は6月26日の放送で、国会会期末の与野党攻防の末に電気事業法改正案などが廃案となった経緯を報道した。番組には「廃案の責任が全て与党側あると視聴者に誤解させるような内容があった」と主張している。
TBS「残念」
 TBS広報室は4日夜、「放送内容について、自民党から抗議を受けたことは残念です。引き続き、理解を得られるよう努力してまいります」とのコメントを発表した。

□□――――――――――――――――――――――――――――――――――――――□□

 報道機関はジャーナリズムの役割として、政冶の動向を監視し、必要なら批判を加えることが仕事です。自民党は「批判したことが怪しからん」と云っているわけです。
26日に国会が閉会し、発送電分離を含む電力システム改革を進める電気事業法改正案や生活保護法改正案、困窮者支援法案が審議未了で廃案となりました。これについて翌27日の新聞各紙は、「対決優先 法案置き去り」(朝日)、「与野党最後まで泥仕合 12法案・条約廃案」(毎日)、「首相問責可決、重要法案政局の犠牲」(読売)と重要法案が政局の犠牲で廃案になったと報じました。毎日新聞は、国会最終版での与野党対立は、参院第1党の民主党が、衆院小選挙区を「0増5減」する公職選挙法改正案の参院での採決を見送ったのが発端。反発した自民、公明両党は21日、平田参院議長への不信任案を提出し、首相ら政府側と与党は24、25両日の参院予算委員会を欠席した。これを今度は野党が「憲法違反」と談じ(首相・閣僚は国会が求めれば出席して質問に答えなければならない)、首相の問責決議案を提出。法案審議そっちのけで、与野党の駆け引きばかりがエスカレートしたと解説しました。
 国会の運営については与野党ともに責任を負っていますが、とりわけ政権党により重い責任が問われます。ジャーナリズムの批判もそのことを前提として、政府・与党により厳しくなるのは
当然です。それを与党だけ批判するのは怪しからんと取材拒否するのは筋道を間違えています。
 一方、TBSの対応も情けないと思います。自民党の取材拒否には、ジャーナリズムとして抗議すべきです。それなのに「理解を得られるよう努力する」というのでは、ジャーナリズムが政権党の軍門に下ることになります。毎日新聞には「政党は公の場で堂々と反論すればいい。出演拒否は免許事業の放送局には圧力と受け取られ、報道や表現の自由を萎縮させかねない。為政者のすることではない」という大石泰彦青山学院大学教授(メディア倫理)のコメントも紹介されていました。

                                       大西 五郎
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ザックジャパン(95) ザックとヒデ、コンフェデ反省の一致点  文科系

2013年07月06日 02時56分27秒 | スポーツ
 6月30日の第93号でこういうことを書いた。
『サッカー評で、こんなことを書き続けてきた。
 学問の論文などでは、信用ある人の良い論文箇所の「引用」をどんどん行う。ここから取ったと「出典」を明記して。そういう物が入っていない作者だけの文章は、普通は程度の低い物と観られる。その学問の伝統を学んでいない奴ということだろう。さらには、他に引用されることが多い論文は非常に評価の高い論文になる。
 ところで、サッカー評では作者の言葉だけの文章のなんと多いことだろう。まるでこう語っているごとくだ。他の評など参考にしない。オレの文章だけでよいのである。これでは、学問の世界ではおそらくこう言われる。「多分、独りよがりという意味で独断の人なんだろう」。
 監督の言葉の引用を何故行わないか。長谷部のようなキャプテンとか、オシムとかの言葉や、同僚のライターの過去の名分析をどうして引用しないのか。自分が今問題にしている選手を描いた過去の名分析文などは不可欠の要件のはずだ。これらがない文章は、不勉強丸出しの独りよがりの文と同じで、そんなのばかりでは、サッカー評論の世界に積み重ねも出来ていかないはずだ。』

 さて、コンフェデ総括で僕が上のようなことをやってみよう。ナンバーのナカタヒデの言葉とザックのそれとが、コンフェデ総括でいかに一致しているかということを観る。今回はヒデの文章のなかから、ザックの見解についてここで僕が書いてきたことと一致していることを上げていくというやり方を取っていく。

①『この2試合を観た限りで言うならば、日本はポテンシャルの半分も使い切れていないように感じた。実力に成績が伴っておらず、とてももったいない』
 こう述べた上で、ブラジル戦の総括はとても厳しい。
『ブラジル戦に関しては、チームとして何をしたいのか意図がまったく見えない。残念な試合だった。このブラジルまで彼らは何をしに来たのかという疑問さえ頭をよぎるような戦いぶりで、(中略)何ひとつ、「日本らしさ」を見せることができなかった』
 因みに、ザックもブラジル戦について、日本は50%の力も出していないと述べているほか、上のゲーム結果総括もその表現までほとんど同じである。

②その最大の現象、原因についても、見解は一致している。
『「個の力が足りない」、「個で負けている」という選手もいるが、僕は、決して個々が劣っているとは思わない。(中略)スピードやフィジカルが劣る日本が世界に挑む最大の武器は、個ではなくチームプレーだ。日本がより強くなるには、個にこだわるのではなく、連携・連動の精度を上げていくほうが重要なのではないだろうか』
 ザックも、ハイプレスなどチームとして対応せず、個人プレーに走りすぎたと語っていた。ひとりで2~3人抜くよりも、組織で抜いて得点すべきなのにとも。

③上の②で述べた日本の力は、ゲームの場合相手との対比を抜きには語れないものだ。ザックと同じようにヒデもブラジル、イタリアの力が日本より相当上だなどとは観ていない。
『勝敗は関係ないとは思っていたが、大会前のブラジルやイタリアの親善試合を見ているうちに、日本は両チームに充分勝つチャンスがあると感じるようになっていた』
『(ブラジルは)早い時間に得点し、チームとして勢いに乗ったときは強いが、波に乗れないとチグハグなまま沈んでしまう傾向がある。(中略)対戦相手として考えると、前半を無失点に抑え、中盤でボールを奪われないようにすれば、それほど恐れる相手ではない。ネイマールは、確かに非常に優れた選手だが、どちらかといえば、「使われる選手」であって、彼へのパス出しを抑えれば孤立させることは可能だ』
『イタリアにしても、それほど恐れる相手ではない。予測不可能な動きをするのは、ピルロとバロテッリだけ』
 こう述べた上で、こんなイタリア対策を語る。ひとつは、ピルロがボールを持ったら裏のスペースを消すこと。二つは、バロテッリは運動量がないから初めにセンターバック二人でがっちりと止めればよい。そして、このふたつとも、出来るはずだとも。
 こういうチームに対した場合の日本の力はといえば、ヒデはこう見ている。
『ひいき目を抜きにしても、日本の個々の選手が持っている技術やアジリティは、世界レベルでもかなり高いと言っていい』

④では、最大の問題、日本のチームプレーのなさはどこに現れていたか。ヒデはこう述べているが、これもザックが語っていたことである。
『日本の場合は個対個の勝負が多く、ミスに対するチームの連動したカバーリングがないためにミスがそのままピンチに繋がりやすい』
『パスを出しても、ひとりの選手だけが動いていることが多いので、攻めが単調かつ単発になりがちだ』
『逃げの横パスが多かった。逃げのパスからはどうしてもミスが生まれやすい』

⑤最後に、今後に向けての概括的結論としては、ヒデはこんなことを語っている。
『僕の経験から言うと、ディフェンスは練習でも鍛えることができるが、攻撃のセンスは実践の中で経験を積むことでしか磨くことができない』
『相手がどこであろうと自分たちのサッカーを貫く姿勢と、そのために何が必要なのかという全体の戦術理解と意図の徹底だ。進むべき方向性が曖昧だったため、個としてもチームとしても力を発揮できていなかった。実力は0-3というスコアほどに離れてはいない。しかしピッチ上のプレーは0-3というスコア以上に大きな差を感じた』
 この最後の言葉は、ザックがブラジル戦への一部選手批判を初めとして、コンフェデの間中言い続けてきた事である。
コメント (5)
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