ここに何度か紹介してきた孫のはーちゃん、この九月で三歳になる。今回は、いろんな言葉を拾ってみた。この観察の焦点は、彼女のあそび心ということになろうか。ただし一言、この年齢の言葉をけっして大人流に一般的解釈をしてはいけない。第一、それでは面白くもなんともない。
我が家へ駆け込みつつの第一声は、決まって「遊ぼーよ!」。パソコン席から僕が離れそうもないのを確認すると、すぐに駆けだして「ばーばっ、遊ぼーよ!」。「チックン」というのは注射のことだし、「アーン」で口を開けさせ棒状のもので喉を調べたり、検温までするのは、お医者さんごっこ。「チックン」は念入りに時間をかけ、こんな時必ず言うのが「痛いーっ?」。顔をしかめてみせるほどに、その目がにやりと歪んでくる。二つのソファを向かい合わせるのは、このくそ暑い中の彼女には大作業。がそれもなんのその、なんせ出来上がるのはプールである。近くの大人の尻を押した後から、自分も入ってくるのだから、そのプールの熱いこと。遊びに燃えた体で、バシャーンとか、バシャ、バシャとかやっている。プールにはいろんなものを持ち込んでいるが、こんなこともあった。「あっ、亀さんがウンコしました!」。大変大変というわけで、トイレに連れて行ったのを目で追うと、一生懸命紙で拭いている。
僕がパソコン席から離れない先日、こんなことも起こった。新聞紙を細めに長く丸めて「はい、ビールですよ!」。見れば自分も小さ目のやつを持っていて「乾杯しょ!」と申し込んで来た。僕の好物で僕を遊びに釣り出そうと企んだとしたら、相当な知能犯だが。乾杯してから「後で遊んであげる」と応えると、「楽しみー!」といいつつ離れて行った。
アソビ心の先にいたずら心があるのも、既に人並と言えようか。家へ飛び込んできたとたんに何を思ったか、「ジイジ、大好きーっ」と脚にしがみついてきた。悪い気はしない。ところが、その三十分ぐらい後に、関連して起こったのが、これ。しばらく離れていてまた向かい合った時に僕の目を見てこう告げる。「好きって言って」。僕は、当然そう言った。と、こんな答えが返ってきた。「あんまり、好き(じゃ)ないの」。この時の「好きって言って」とは、「好きかと質問してくれ」という意味だったのである。この時も例の「イジワル」表情だったのは、言うまでもない。
僕のお茶専用のお盆を遊び場の方に持って行ったから、貸してと申し出に行った。何度か頼んでも返してくれないどころか、自分の身体の後に「隠している」。と突然、その体勢のままで、こんな返事が返ってきた。「まっ、いいか!」。僕は初め、返してくれるのだと思い、ちょっと待った。が、一向にその気配はなく、お盆は体の後に隠したままで、顔は例の歪んだにやりである。突然僕は気づいた。僕にこう語っていたのだ。「(お前が)『まっ、いいか』と言え」と。つまり、諦めろとイジワルをしているのだ。
最後に、あそびならぬ大変なリアル語を一つ。机の上に彼女の大好物・さきイカ燻製。ちょうど僕がそれに手を出そうとしたときのことだ。「みんなで、みんなで!」との叫び声。叫ぶ間もあらばこそ、手と体は既にモノを覆っている。彼女の「みんなで」とは、「私こそ欲しい」の意なのである。好物で対立が生じやすい保育園の連絡帳にそう書いてあったこれは、遊びならぬリアル語そのものだろう。「みんなでみんなでと叫ぶ時には、既にちゃっかりと物を握っております」。
我が家へ駆け込みつつの第一声は、決まって「遊ぼーよ!」。パソコン席から僕が離れそうもないのを確認すると、すぐに駆けだして「ばーばっ、遊ぼーよ!」。「チックン」というのは注射のことだし、「アーン」で口を開けさせ棒状のもので喉を調べたり、検温までするのは、お医者さんごっこ。「チックン」は念入りに時間をかけ、こんな時必ず言うのが「痛いーっ?」。顔をしかめてみせるほどに、その目がにやりと歪んでくる。二つのソファを向かい合わせるのは、このくそ暑い中の彼女には大作業。がそれもなんのその、なんせ出来上がるのはプールである。近くの大人の尻を押した後から、自分も入ってくるのだから、そのプールの熱いこと。遊びに燃えた体で、バシャーンとか、バシャ、バシャとかやっている。プールにはいろんなものを持ち込んでいるが、こんなこともあった。「あっ、亀さんがウンコしました!」。大変大変というわけで、トイレに連れて行ったのを目で追うと、一生懸命紙で拭いている。
僕がパソコン席から離れない先日、こんなことも起こった。新聞紙を細めに長く丸めて「はい、ビールですよ!」。見れば自分も小さ目のやつを持っていて「乾杯しょ!」と申し込んで来た。僕の好物で僕を遊びに釣り出そうと企んだとしたら、相当な知能犯だが。乾杯してから「後で遊んであげる」と応えると、「楽しみー!」といいつつ離れて行った。
アソビ心の先にいたずら心があるのも、既に人並と言えようか。家へ飛び込んできたとたんに何を思ったか、「ジイジ、大好きーっ」と脚にしがみついてきた。悪い気はしない。ところが、その三十分ぐらい後に、関連して起こったのが、これ。しばらく離れていてまた向かい合った時に僕の目を見てこう告げる。「好きって言って」。僕は、当然そう言った。と、こんな答えが返ってきた。「あんまり、好き(じゃ)ないの」。この時の「好きって言って」とは、「好きかと質問してくれ」という意味だったのである。この時も例の「イジワル」表情だったのは、言うまでもない。
僕のお茶専用のお盆を遊び場の方に持って行ったから、貸してと申し出に行った。何度か頼んでも返してくれないどころか、自分の身体の後に「隠している」。と突然、その体勢のままで、こんな返事が返ってきた。「まっ、いいか!」。僕は初め、返してくれるのだと思い、ちょっと待った。が、一向にその気配はなく、お盆は体の後に隠したままで、顔は例の歪んだにやりである。突然僕は気づいた。僕にこう語っていたのだ。「(お前が)『まっ、いいか』と言え」と。つまり、諦めろとイジワルをしているのだ。
最後に、あそびならぬ大変なリアル語を一つ。机の上に彼女の大好物・さきイカ燻製。ちょうど僕がそれに手を出そうとしたときのことだ。「みんなで、みんなで!」との叫び声。叫ぶ間もあらばこそ、手と体は既にモノを覆っている。彼女の「みんなで」とは、「私こそ欲しい」の意なのである。好物で対立が生じやすい保育園の連絡帳にそう書いてあったこれは、遊びならぬリアル語そのものだろう。「みんなでみんなでと叫ぶ時には、既にちゃっかりと物を握っております」。