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「規制の虜」の復活(9) 再掲「フクシマの悪行一覧表(その4)」  文科系

2013年07月21日 03時14分55秒 | 国内政治・経済・社会問題
 選挙である。標記の事を忘れたくない。去年の秋まで書き続けた「保安院の大罪」シリーズ「まとめ」部分を2回連続で再掲する。11月12日の第89回に次いで、今日は17日の第92回を転載したい。

【 保安院の大罪(92)「フクシマ」、悪行一覧表(4) 2012年11月17日
3 悪行一覧表のまとめとして

①日本人は信用を重んじる
 フクシマ原発事故を巡る我が国の論争には、細かい実証的な諸論争以前に大きな二つの前提的命題で対立があるように思う。一つは、脱原発がエネルギー不足を招くとか国の経済命運がかかっていると主張する論点。今ひとつは原子力村はどれだけ信用できるのかということだ。なお、この二つは対立関係にある。電力不足が長期にわたり決定的なものならばムラを信用するも何もないのだし、ムラが決定的に信用できないならば石にかじりついてでも日本の高度技術力でもって日本版グリーン・ニューディール政策を成功させねばならない。こういう観点の討論の入り口として初めに、あらためて日本人論を少々述べてみたい。

 日本人は今でも、一般ピープルが世界一時間を守る民族だと、これは例えばJRダイヤに象徴されていること。江戸時代から強固に築かれた社会的信用を大事にするという習慣から来ていると観てきた。サッカー用語でいえば、相手をリスペクトする点において世界一の民族だと思う。日本のサービス業の質の高さもここに淵源があるといわれている。
 さて、原子力村はすっかり社会的信用を無くしたのだ。独占価格で創り出した他人の金で社会に安全神話を形成し、ばらまいてきた。それなのに自らの安全管理については「規制の虜」に示されたように実にルーズだった。例えばこれだけの事故を前にして未だに、津波ではなく地震自身の事故原因程度すら、真面目に調査・公表する態度も見えない。国民へのリスペクトが決定的に欠けていると告発したい。
 そもそも一体、原発存続論者らは、こういう彼らを信用するのか。日本人として、そこのところが全く理解不能である。何度も言ってきたが、特に官僚を中心とした原子力村の信用は地に落ちたのである。こんな彼らに、日本の原子力の明日をもう託せないのだ。
 たった一度起こしても信用ゼロになる過ちというものはあるはずだ。福島事故の悲惨な結果、その事後処理における国民無視の隠蔽や悪あがき、これらの原因としての「規制の虜」問題はそういうものだと言えよう。が、こういう意見への反論者たちは僕と違ってもう一回だけでも彼らにチャンスを与えようと語っているわけだ。それは違うだろう。以上2までに観てきたように、彼らにはこんな疑念さえ湧いて来るのだから。日本版グリーン・ニューディール政策決死隊を成功させ、電力不足を完全に解消できると見通していてさえ、「脱原発は50年不可能」などと言いかねない連中であると。自分らの死活問題として、あるいは、自分らの傷ついたプライドを守るためにも、そんなことをやりかねない連中だと、僕は観ている。以下はその論理的傍証として、以上観てきたこと全ての背景説明の積もりで述べる。

②「社会主義国家」的な経産官僚
 電力会社は、独占価格を政府が決めているに等しい大独占企業である。そして、この大独占企業関連群の膨大な領域に、官僚たちの最も高級な再就職口が無数に散りばめられている。さらに、福島事故後の処理経過が示したものは、こういう原子力ムラが政治家やマスコミに強大な力を行使してきたという事実だった。内閣官房長官の発言さえどうどうと否定してみせる官僚群は、日本有数の新聞の論説幹部にも数々の陰湿な脅迫行為を働くのである。福島県の佐藤栄佐久前知事は、「収賄額0円」で有名になった不可解な(冤罪)事件で退職を余儀なくされた。これは、プルサーマル計画への彼の度重なる注文行動などからだったと、その著作によって断言されている。この点については、本年4月20日~25日の間、5回に分けた拙稿「知事抹殺」要約をご参照されたい。
 さて、これではまるで社会主義体制ではないか。旧ソ連や現代中国の国家ぐるみ企業集団のようなものなのだから。また鳩山と菅両首相の追い落としとか民主党変質とかに示されたように、今のところこの力がどの政党の力よりも強いのだから、原子力村は日本最強の政治集団とも言える。つまり、官僚が全面的に荷担するこの勢力の前には選挙なんて儀式のようなものであって、民主主義などはとっくの昔に撥ね除けられているのである。これは日本当面の諸悪の根源であって、グローバリズムの害悪とか資本主義的諸悪とか何とか言う以前の、苦しい国家予算を恒常的にして超高額にピンハネしているという大問題ではないか。

 国会事故調査委員会は、福島事故を「規制の虜」が呼び込んだものと断罪した。これは、電力会社の原発のあり方を規制する政治の側が逆に規制される企業側の虜になっていた告発されたということなのである。この力が上のようなものであってみれば、一定力を持った全政党を含めて今は日本全体がこの力の虜になっていると断言しても良いのだろう。それは、国民が意識しようと否とにかかわらず客観的にそうなのである。

(終わり) 】
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「規制の虜」の復活(8) 再掲「フクシマの悪行一覧表(その1)」  文科系

2013年07月21日 03時07分37秒 | 国内政治・経済・社会問題
 選挙である。標記の事を忘れたくない。去年の秋まで書き続けた「保安院の大罪」シリーズ「まとめ」部分を2回連続で再掲する。11月12日の第89回と、17日の92回を相次いで転載したい。

『 保安院の大罪(89) 「フクシマ」、悪行一覧表(1)  2012年11月12日

 福島原発「事故」。これは同じレベル7のチェルノブイリと並べればこの世界に30年に一度もなかった大事故ということになる。人類の悪行も軽重、多種多様いろいろだが、これだけの悪行も戦争のない日本ではちょっと少ないという、そういうまとめを記しておきたい。あまりにも楽観的かつ断片的な擁護論などが巷にばらまかれすぎると考えていて、ここまでの拙稿「保安院の大罪」をざっと見直してきた、その末の産物だ。
 事故と言って済ませられない戦争にも匹敵するような意識的悪行、未必の故意と言える側面が存在すると思う。どれだけ多くの人々が故郷や家財を奪われたかとか、被爆地から避難所に立ち退きを迫られて命を縮めた人々の多さとか、予想される後遺障害の深刻さとかは、戦争を思わせる。また、この原因・背景に思いを馳せるなら、国権の最高機関国会が選んだ国会事故調査員会が「この事故にはいわゆる『規制の虜』が存在していた」と断言していることに注目すべきだろう。「規制の虜」、つまり原子力村への「規制側」の嘘、隠蔽、そういう世論工作などには、事故と言って済ませることができない犯罪的側面も多かったのではないかということだろう。事故以降無数に起こった嘘・隠蔽による事故の拡大などがまた、これを何よりも傍証していると思う。
 人の過失、未必の故意、犯罪などには軽重がある。権力者のそれはいかに重大なものになるか。政治がだらしない今、是非忘れてはならぬ事だと思うのだ。

1 直接の害悪の数々
①無数の人々の故郷や家財を奪った。子どものいる家庭には、「成人するまでは帰れない」と決意している人も多いだろう
②避難生活を強いられた家族の多くの高齢者、病人などが、その命を縮めた
③スピーディの非公開で浴びなくても良い放射能を浴びた人々も多い
④後遺障害予測について、半減期の短い放射性物質や、線量が低くとも出る晩発性障害とかのことがほとんど論じられていない
⑤高濃度汚染水を垂れ流した。これが海に沈んで、今でも高濃度汚染魚類が北20キロとかの遠隔地からさえ揚がっている
⑥地下水汚染のことも、害の質、大きさが分かるのは遙かに遠い先の話だ
⑦この垂れ流しについて、過失の度合い、つまり確信犯かどうかさえも、なにも明らかにされていない
⑧吉田所長の「水蒸気爆発だ!」というテレビ画面音声も、その後きちんと訂正なり、追求なりの処理がなされたとは聞いていない
⑨この水蒸気爆発は、毒性の高いプルトニュームMOX燃料を使った3号機についてのことであり、水素爆発よりも遙かに遠くまで重い物質を飛ばすから、極めて重大問題なのである。ちなみに、テルル132などという金属製の重い放射性物質が、7キロ先の浪江、大熊、南相馬まで飛んでいるとも報道された。

(続く、2 事故処理に示された嘘、隠蔽、犯罪性。 3 ? などを書くつもりです)
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「よたよたランナーの手記」(9)続「回春」  文科系

2013年07月21日 02時33分15秒 | スポーツ
 息子、その彼女もジムランニングマシン走行に参加し始めたと、書いてきた。始まりは5月18日のことだ。その後、息子の方は仕事が入って休む時もあったが、彼女の方はずっと続いて、二人とのランが毎週原則月曜日18時から続行できている。芸は身を助けるというか、文化は人を結ぶというか、幸せな気分だ。こんな気分からだろう。混み合う公立のマシンで30分という時間制限があるのだがウォームアップ歩行も入れて、去年9月以来の最高記録が本日また出た。4.48キロまで行ったのである。これまで6月22日と7月16日の4.39キロよりも100メートルばかり多く走れた事になる。

 ここに初めてランニング日誌を書きはじめた09年のころは、自己生涯の10キロマラソン最高記録を作ってやろうという積もりだった。60歳から始めたランニングなのだが、その頃までは10キロを49~53分ほどで走れていたからだ。この初めから不整脈があったから、「不整脈ランナーの手記」と題して書いてきたのだった。心拍をモニター化しつつ管理して走ってきたのだが、09年末に心房細動が起こり始めて、10年新春には慢性心房細動との診断が下った。手ぐすね引いていたから、即座に心臓カテーテルアブレーションという手術を決断した。それ以降も一度再発があったりして、ランナーを断念した時期もあった。が2年半ほどのブランクの後去年の9月からは、おっかなびっくりで走り始めた。少しずつスピードを上げてきても何の異常なく何とか今日まで走れている。その嬉しかった事! そして、本日のこの結果だ。最近の好調ぶりの内容は、6月22日のこのシリーズ第7回に随筆の形で書いた「回春」の通りで、読んでいただければ嬉しい。

 皆さんに言いたい。心房細動になったら、即座に手術をお勧めする。手術が遅れるほど僕の友人がそうなったように術後治癒率が低くなり、一生血液溶融剤を飲まねばならぬことになる。そして、次第に薬の量が増えていき、常に心筋梗塞か脳梗塞の不安におののく人生となる。
 さて、今の僕だが、手術の効き目は絶大であった。前記随筆「回春」のように、何の異常もなくランニングとロードレーサーに励み、体もこんなに絞れてきた。年齢72歳。169.5センチの57キロ。体脂肪率12%内外という現状だ。今の感じでは、10キロを1時間ちょっとで走れるようになるのではないかと、そんな予感まで湧いてきた。ロードレーサーを頑張ると、心臓の機能が上がるという発見もあった。今では、時速10キロでも心拍が150程度にまで下がってきた。やっぱり回春、これがぴったりの実感なのだ。
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