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強権政治というもの   文科系

2013年11月08日 08時15分10秒 | 国内政治・経済・社会問題
 日の丸・君が代の押しつけ問題が、ここでも大いに議論になった。今度は、「何でも秘密に出来る」秘密保護法や国家安全保障会議が通りそうで、5~6日の新聞には長年の懸案であった「内閣人事局」の年内創設方向。この人事局は「省益」に凝り固まった官僚を政治が統制するという「正しい」狙いだが、過去に何度も挫折させられた政策。今回は果たして上手くいくのか、僕は眉唾だ。そして、こういう政治全てを観るに、「ますます理屈が通らない強権・暴力政治」、そんな腐臭が臭ってならない。天皇元首化や9条改悪も出てくるだろう。
 これら全ての傾向を考えてみるべく、この音頭を取る安倍首相のお好きなお二人の何の知性も感じられない「愚かすぎる人間性」を今一度振り返ってみたい。過去随筆の再掲である。

【 随筆 「偉い人らの愚かな言葉」   文科系 
  2013年08月29日 | 小説・随筆・詩歌など

 ちかごろ偉い人も、愚かすぎることを語るもの。二つご披露してみたい。

 今年新春の中日新聞に、谷内正太郎・内閣官房参与(元外務次官)のインタビュー記事があって、その末尾にこんな言葉が載っていた。
『集団的自衛権については、自らが攻撃された時は他の国に助けてもらう、その国が攻撃された時は「われ関せず」という態度は責任ある大国としてありえない。集団的自衛権は国家の品格、品性に関わる問題だ。米国も、そのような日本の貢献を期待している』
 谷内氏は「国家の品格、品性」などと言うが、相手を見て物を言えと言いたい。
 最近の米国というのは、嘘の理由で国連の反対を押し切って有志国だけでイラク戦争を起こした国だ。この戦争で無数の自国、他国の若者を殺し、後になって大統領が『あれが嘘だとは全く知らなかった』とテレビで堂々と泣き言を語った国だ。因みに、我が日本政府・外務省は、嘘の理由に丸め込まれて参戦し、莫大な出費もしたにもかかわらずなお「もっと汗も血も流せ」などと侮蔑的言葉まで浴びせられたのだった。こういう二重の侮辱について、外務省などからその後、何か釈明とか、相手への抗議でも、あったっけ?
 こういう相手に「国家の品格、品性」をもって対せなどとは、馬の耳に念仏、蛙の面にナントカで、一銭つぎ込む価値もないどころか、ペテンに掛けられるのが落ちというもの。
 谷内さんに尋ねたい。集団的自衛作戦に品格をもって付き合っていく今後に、またしても嘘の理由で戦争を起こされて、日本や世界の若者が殺されることはないという保証がどこにあるんです? そういう保証をどこで確認できたのです? 当方が品格をもって遇するべきは、品格のある相手でしょう。こんな重大な背信行為相手に「国家の品格、品性」を国民にお説教とは。貴方のこの言葉、まるで騙りのようなものだ。

 次に、麻生副総理の「ナチなみに密かに憲法を換えよ」が国際問題になっている。彼は例によって、靖国に絡んでこうも語った。歴代保守政治家の多くの例にならうように。
「国のために死んだ人にお参りするのは当たり前の行為だ」
 馬鹿も休み休み言えと言いたい。戦前と戦後、我が国はお前には同じ国かも知れないが、普通の人には全く違う国であって、国とさえ言えるかどうかだ。国民主権か、万世一系の天皇統治か、これは現世界の普通の人には全く異なった「国」である。普通の人というのは、政治には民主主義が最も大切と考える人という意味だ。そう考える人にとっては、戦前の日本国家というのは国民のものではなかったのだから、今普通に言う国と見られるかさえ怪しいのである。大日本帝国憲法には国民などという言葉はなく「臣民」とあり、天皇のために我が命は赤紙よりも軽いと処するべしと、そんな教育までなされた国だった。天皇を良く言わない臣民は、小林多喜二のように殺されもした。不敬罪という、そうして良いという法律まで存在したのである。
 そんな国を今と同列に扱う麻生らの頭脳というのは、国民主権などどうでも良いと感じ、信じているとしか、僕にはどうにも考えられない。大日本帝国は、第一に我が祖父母、曾祖父母、父母のものではなかったどころか、彼らは国を所有する天皇の道具にすぎなかった。到底、主権者・自由人ではなかったのである。そんな国のために死ぬのが運命とされた若者達は、国民のために死んだのではなくって、現代で言えば犬死にさせられたのである。この犬死にをまともに拝んだら旧体制を賛美することになる。犬死には犬死にと扱ってこそ、日本民主国家充実に寄与できるというものだろう。
 こんな当たり前のことも普通に理解されていない今の日本保守政治家の世界は、ちょっとどうかしている。どうかしているもう一つの証拠もある。天皇元首化を憲法に明記しようとまで言い出した。この感覚は、心ある国民には理解できないものであるばかりか、アジアとトラブルばかりと、これはもう必然。韓国など、他のアジア各国には(当時の)天皇と言えば、何の有り難みも無いどころか、むしろ憎しみの対象でしかない。アジアに根強く残っている「血縁」の感じ方、考え方ではさらに、現天皇でさえよくは思われないことだろう。つまり、自民党の政治家達はそれほどの時代錯誤感覚だから相手をも見えないのである。国家としての個性はあっても良いが、こんな後ろ向きの個性は不要と言える。
 さて、現政治体制がこうでは、中韓などとトラブルが増えずにはおかない。対して、日本ではヘイトスピーチの激化となる。サッカーの日韓戦でも、こちらは旭日旗を振りかざし、あちらは日本批判の横断幕。国と国との過去の不幸が絡んだ嫌悪感の応酬は悪循環を生みやすい。この悪循環の末は戦争。気づいて見たらそうなっていたという例の、世界史に何と多いことか。この悪循環に向けて保守政治家たちが実質音頭を取っていると、そんな自覚もなさそうだ。恐すぎる対外政治状況。そう思えて仕方ない。】

 これほどにトボケタような人間たちがやる、秘密保護法、官僚統制、おまけに「道徳」教科化などなどは、いったんその法律が通ったらもう強権で押し通すという暴力以外の何物でもない政治となるだろう。現代的人間の理念などはかなぐり捨てた筋の通らない主張を法律で押しつける。そういう法律をどんどん作っていく。世界恐慌に加えて、フクシマ。そんな時代の保守は、こんな政治しかできないということであって、これも世界史に何度も見られて既視感があることだ。
コメント (10)
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