ハリルホジッチ監督って、相当な曲者と発見した思いがしている。この場合の曲者とは、辞書を調べて正にピッタリ、異能、つまり「異常な能力を備えた」と言う意味で使った。過去の外国人代表監督2人が最後まで成し遂げられなかった「難関突破」をこのサウジ戦で見事に乗り越えたと見るからである。
サウジ戦について、現代表ベストのゲーム、ベストのメンバーとここで評してきたこの結果が、これまでの攻撃的看板選手3人を先発メンバーから全て外して成し遂げられたのである。それも負ければ自分の首自身が危ないというそんな瀬戸際でこんな決断、離れ業をやってのけた。同様の体験があるという意味で分かる人には分かる、やろうと思ってもなかなかできない凄まじい決断を敢行して、内容も伴った結果を出してしまったということだ。それも、サウジ戦で試された関門というのがこのように難しいものと僕は考えるから、決断の異能さが光ると言いたい。
06年ドイツ大会のジーコ、14年ブラジル大会のザック、このいずれもが度々ぶつかったのに最後まで越えられなかった関門だと観る。彼らはいずれも、W杯本大会という晴れ舞台で、選手を統制しきれなかった。と言うよりも、選手に背かれた(と、僕は見ている)。ジーコは、攻撃陣と守備陣との食い違いを最後まで統制できなかったのだし、ザックは「繋ぐ中央攻撃」に走りがちの前の選手らに対して、「縦に速く」という自分のチームコンセプトを徹底しきれなかった。
最近こんな重大な決断ができたのは、10年南ア大会の日本人監督、岡田武史だ。本大会直前に俊輔と岡崎、内田を外して、それまでは看板選手ではなかった本田を俊輔に替え、彼を中心とした3トップ布陣にしたあのやり方を思い出す。「それまでの繋ぎ攻撃型チームを断念して、1点を守りきる守備重視布陣に切り替える」という決断であると、当時の岡田は選手に説明したと記憶している。今回のハリルの決断は、決断内容こそ多少の違いがあっても、この岡田武史を思い起こさせる強烈なものと観た。
日本人は、思っていることをあまり語らない。だからといって、チームコンセプトを守るとは限らないのである。看板選手などは特に、自分を生かすチームコンセプトに引きずられる誘惑に駆られがちになるもの。つまり、監督が温厚な性格では、また、そのチームコンセプトを一寸でもぼやけさせたら、チームが瓦解しやすいのが日本人選手だと思う。外国人監督には、ここがなかなか分からないはずだ。外国選手はあやふやな監督には日本人よりももっと不服従も見せ、自己主張もするからだ。日本人は集団をより大事にし、これに執着する割に、集団に反する内心はなかなか出さないものだ。
南ア大会の俊輔などは「繋ぐ攻撃型チーム」でこそ生きる選手。今の予選でも、本田と香川という両看板がこういうタイプの選手だった。これを外したのはまさに言われているように「ボールを奪う闘いに強く、奪ったら縦に速く攻める」ため。こういう指示で一歩も引かないぞと、ハリルは自分を強烈に押し出したのである。それで結果を上げて見せた。しかも、自分の首、運命が懸かったこのゲームで。選手も識者たちも「なかなか出来ない事!」と述べている通り、初めてとても賢い人だと観たものだ。
これについて、加えて更に一言。この決断内容の意味に触れてみたい。こういうテーマとして。「全員で堅く守って繋ぎ切る攻撃型」と「全員で(必要なときには)できるだけ高く、かつ激しく守って、縦に速く攻める」との関係である。前者の典型がバルセロナやアーセナルで、後者がアトレティコや去年のレスター、往時のドルトムントだと見れば、確かにこういうことが言える。総合的個人能力に優れた選手集団が前者を取りやすいのに対して、後者はより弱者の戦法であると。が、こういう意味の弱者が強者に必ず負けるとは限らないというのが、サッカーについての僕の主張だ。去年もこれが示されたのであって、一つが英レスター、今一つがスペイン・アトレッティである。
このことについてハリルは、こういうゲーム例も挙げているはずだ。ブラジル大会においてドイツと最も良いゲームを演じたのが、己が率いたアルジェリアだと。選手能力は比較にもならぬはずだが、あれだけのゲームができたぞと。そう、日本にもあれができないということにはならない。それこそが、攻撃と守備とが野球のようには分けられないという意味で最も組織的な集団球技・フットボールの神髄なのだと、僕は観てきた。フットボールでは、攻防両様で周囲と噛み合えば1・5人分の働きもできる原口のような選手も生まれることがあるのだ。そう考えてこそ、往時のドルトムントや去年のレスターが理解できるというものだろう。
このようなアップセット、「弱者の勝利」は、相手を熟知しているリーグ戦などよりも、まっさらの初対戦である代表戦では、なお起こりうることのはずだ。ちなみに、こういう大アップセットでは必ず、監督のチーム・コンセプト徹底が第一。次いでこのコンセプトを、精緻な相手分析によってどう生かすかの賢く、正確な研究、徹底。
サウジ戦について、現代表ベストのゲーム、ベストのメンバーとここで評してきたこの結果が、これまでの攻撃的看板選手3人を先発メンバーから全て外して成し遂げられたのである。それも負ければ自分の首自身が危ないというそんな瀬戸際でこんな決断、離れ業をやってのけた。同様の体験があるという意味で分かる人には分かる、やろうと思ってもなかなかできない凄まじい決断を敢行して、内容も伴った結果を出してしまったということだ。それも、サウジ戦で試された関門というのがこのように難しいものと僕は考えるから、決断の異能さが光ると言いたい。
06年ドイツ大会のジーコ、14年ブラジル大会のザック、このいずれもが度々ぶつかったのに最後まで越えられなかった関門だと観る。彼らはいずれも、W杯本大会という晴れ舞台で、選手を統制しきれなかった。と言うよりも、選手に背かれた(と、僕は見ている)。ジーコは、攻撃陣と守備陣との食い違いを最後まで統制できなかったのだし、ザックは「繋ぐ中央攻撃」に走りがちの前の選手らに対して、「縦に速く」という自分のチームコンセプトを徹底しきれなかった。
最近こんな重大な決断ができたのは、10年南ア大会の日本人監督、岡田武史だ。本大会直前に俊輔と岡崎、内田を外して、それまでは看板選手ではなかった本田を俊輔に替え、彼を中心とした3トップ布陣にしたあのやり方を思い出す。「それまでの繋ぎ攻撃型チームを断念して、1点を守りきる守備重視布陣に切り替える」という決断であると、当時の岡田は選手に説明したと記憶している。今回のハリルの決断は、決断内容こそ多少の違いがあっても、この岡田武史を思い起こさせる強烈なものと観た。
日本人は、思っていることをあまり語らない。だからといって、チームコンセプトを守るとは限らないのである。看板選手などは特に、自分を生かすチームコンセプトに引きずられる誘惑に駆られがちになるもの。つまり、監督が温厚な性格では、また、そのチームコンセプトを一寸でもぼやけさせたら、チームが瓦解しやすいのが日本人選手だと思う。外国人監督には、ここがなかなか分からないはずだ。外国選手はあやふやな監督には日本人よりももっと不服従も見せ、自己主張もするからだ。日本人は集団をより大事にし、これに執着する割に、集団に反する内心はなかなか出さないものだ。
南ア大会の俊輔などは「繋ぐ攻撃型チーム」でこそ生きる選手。今の予選でも、本田と香川という両看板がこういうタイプの選手だった。これを外したのはまさに言われているように「ボールを奪う闘いに強く、奪ったら縦に速く攻める」ため。こういう指示で一歩も引かないぞと、ハリルは自分を強烈に押し出したのである。それで結果を上げて見せた。しかも、自分の首、運命が懸かったこのゲームで。選手も識者たちも「なかなか出来ない事!」と述べている通り、初めてとても賢い人だと観たものだ。
これについて、加えて更に一言。この決断内容の意味に触れてみたい。こういうテーマとして。「全員で堅く守って繋ぎ切る攻撃型」と「全員で(必要なときには)できるだけ高く、かつ激しく守って、縦に速く攻める」との関係である。前者の典型がバルセロナやアーセナルで、後者がアトレティコや去年のレスター、往時のドルトムントだと見れば、確かにこういうことが言える。総合的個人能力に優れた選手集団が前者を取りやすいのに対して、後者はより弱者の戦法であると。が、こういう意味の弱者が強者に必ず負けるとは限らないというのが、サッカーについての僕の主張だ。去年もこれが示されたのであって、一つが英レスター、今一つがスペイン・アトレッティである。
このことについてハリルは、こういうゲーム例も挙げているはずだ。ブラジル大会においてドイツと最も良いゲームを演じたのが、己が率いたアルジェリアだと。選手能力は比較にもならぬはずだが、あれだけのゲームができたぞと。そう、日本にもあれができないということにはならない。それこそが、攻撃と守備とが野球のようには分けられないという意味で最も組織的な集団球技・フットボールの神髄なのだと、僕は観てきた。フットボールでは、攻防両様で周囲と噛み合えば1・5人分の働きもできる原口のような選手も生まれることがあるのだ。そう考えてこそ、往時のドルトムントや去年のレスターが理解できるというものだろう。
このようなアップセット、「弱者の勝利」は、相手を熟知しているリーグ戦などよりも、まっさらの初対戦である代表戦では、なお起こりうることのはずだ。ちなみに、こういう大アップセットでは必ず、監督のチーム・コンセプト徹底が第一。次いでこのコンセプトを、精緻な相手分析によってどう生かすかの賢く、正確な研究、徹底。