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「100年に1度の危機」とは何だったのか(5)  文科系

2016年11月30日 10時05分50秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 (「第2章 金融グローバリゼーションの破綻」の)
 第2節 「100年に1度の経済危機」

 サブプライムローン組み込み証券問題が、誰の目にも明らかになったのは08年春のベア・スターンズ破綻だろう。ここが、アメリカ5大投資銀行のひとつだからだ。が、ここに至る徴候は既に1年以上前から現れていた。06年12月にはサブプライムローンを手がけていた米中小ローンの経営破綻が相次いでいたのだし、07年3月13日住宅ローン大手のニューセンチュリー・フィナンシャルが上場廃止になった。6月22日には、ベア・スターンズが傘下ヘッジファンド2社の救済に奔走したが果たせないという事件が起こった。
 そして08年9月15日に、5大投資銀行の第3位リーマン・ブラザースが破綻すると、その同じ日に、第4位のメリル・リンチをバンク・オブ・アメリカが買収すると発表された。翌16日には、AIGの倒産があった。アメリカ最大の保険会社であり、CDSなど金融商品の保険だけを扱ってきた会社であって、政府等が即座に8000億ドルの融資枠を設定したものだ。ただしこの額は1ヶ月で使い切ってしまい、以降も追加支援に走らざるを得なくなる。そして、これらの結末。1、2位の投資銀行も9月21日に銀行持ち株会社に転換するにいたった。ゴールドマンとモルガンがそれぞれの銀行に吸収されたのである。

 東洋経済新報社の「現代世界経済をとらえる VER5」では、5大投資銀行の破綻の後をこう書いている。
『リーマン・ブラザース破綻の翌日、保険最大手のAIGがアメリカ政府管理に置かれ救済されたのは、あまりにも膨大なCDSの破壊的影響への危惧からであった。一世を風靡したアメリカ型投資銀行ビジネスモデルの終焉が語られているが、健全に規制された金融モデルへの移行か、巻き返しのための変身なのか、ウォール街の戦略、西欧金融機関との競争を含めて、注視していく必要がある』
 政府に補償してもらって、「巻き返しのための変身」?新自由主義者たちが非難してきた社会主義政策だ!
 こういうものが爆発して、さて世界はどうなったか。前掲書「金融が乗っ取る世界経済」には、こう描かれている。約1000兆円の資産が世界から消え、どこが負債を抱えているかに相互不信に陥って、大不況が続いてきたと。そして、この後遺症は今はどうなっているのか。こんな重大なものが、数学者・藤原正彦氏も述べてきたように必ず大破綻すると証明されたも同様のそれが現実に破綻した時(第1章第2節の最後の引用を参照)、マスコミで世界的追跡調査や反省などが正しくなされたようには到底見えないのである。ネズミ講的自転車操業が途絶えたことによって世界無数のサブプライム家庭を殺した投資銀行幹部たちは、個人資産を速逃げさせたはず。対するに、たった一軒のローンが払えなくなった人々はその人生を殺されたにも等しいのである。

 第3節 破綻の構造

「100年に1度の危機」という破綻は、10年近く経った今初めて、その内容、特質が一定分かってくるもの。何よりも世界10大銀行の移り変わりにこれが現れる。2010年と今とで、世界の10大銀行国籍がこう入れ替わった。英3米2の合わせて5行から各1の2行へと減った分、中国が0から3・5へと増えた。他は、フランス、日本の各2ほどと、ドイツの1行と、はほぼ変わらない。つまり、この数の順番で国に金があるということだろう。こういった金がおこなう世界一般企業支配やデリバティブによる世界小金持ちからの搾取も、英米の現状を見れば既に限界と観るべきだろう。没落しつつある大国が金融によって対外収支を強引に改善しようと足掻いて来ただけとも見うるのである。その結末が、世界的な中産階級没落、失業者・不安定労働者の激増というその上に、世界の小金を奪い取って長期デフレを招いたというのでは、世界の人々の幸せを攪乱しただけと言える。現行株価などは、世界的なマイナス金利や公的資金投入で懸命に支え上げているに過ぎず、マネーゲームに費やされる莫大な金融資産に呼応する有効需要など、世界のどこにも見られなくなってしまった。であるならば、今の世界経済体制では、職などは増えようがないということだ。「資本主義は終わった」というマクロ経済学者が増えているのは、こういう事情からなのである。


(あと2回ほど続く)
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「よたよたランナーの手記」(177) 大変、ぎっくり腰   文科系

2016年11月30日 09時43分10秒 | スポーツ
 大変! ぎっくり腰になってしまった。先週木曜日のことだ。よって、22日火曜日からあと走れていない。
 30歳前の昔に、椎間板ヘルニアの手術をした左脚付け根の腰椎部分だ。この手術をして、以来周辺の痛みの再発が大小合わせて時々あったのだが、よりによってこの大切な時期に。しかも、治療薬の女性ホルモン剤によって脂肪が増えたからなのだろうが、食欲旺盛で体重が過去最大に増加中と来た。多分この急な体重増が、今回のぎっくり腰の原因なのだ。

 これから1月初めまで前立腺癌に対する陽子線治療を通いで受けてその後まで、走れる身体をどう維持していくか。75歳半の身には大変なことに思える。下手をすればもう走れなくなるし、そうしたら意図したようには活動年齢を延ばせなくなる。
 日曜日辺りから心も細々とリハビリも兼ねて、腰や下半身のストレッチと爪先立ちなど脚筋強化とをやっている。運動が急減した高齢身体には柔軟性維持こそ大切だろうと目論んで。

 (ここまでは朝、以降は、夕方に書いている)

 そして同じ29日午後、中6日置いた1週間ぶりのランを決意した。「走ってもなんとか・・・・」との自分なりの腰痛リハビリ感触があったとは言え、ぎっくり腰発生の24日から5日目のことなのだ。ちょっとでも異常を感じたら止めようとしっかり言い聞かせて、おそるおそる時速6キロで歩き始めた。これを無事15分。なんとか「大丈夫」との感触から、6・5キロ時に上げて歩く。それを5分から、速度はそのままでおっかなびっくりで走り始める。何にも起こらなかった! それで7キロ時に上げてさらに少しずつスピードアップして、30分で合計3・3キロ。次の30分も同じようにやって、何とか3・5キロ。合計6・8キロで1時間を終えた。歩くスピードと変わらないが、身体が無事だったことが嬉しかったこと! 心配も安心もひっくるめて、「生きている!」とさえ感じたものだった。

 這って歩くようなぎっくり腰から5日で生還って、まだ身体は案外若いのかも知れない。そう思えたら、これから連日少しずつの陽子線照射治療も上手く進むと思えて来た。1日で陽子線を照射された一部分にあるがん細胞が死に、その1日で健康な照射細胞が回復する度合いに、この治療効果が左右されると聞いているから。
コメント (2)
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