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戦争の動機 1970

2017年04月18日 17時35分20秒 | Weblog
そもそも何故戦争が起こるか?双方に悲惨な結末が用意されるのが分かっていても戦争が起こるのは何故なのか?
これを考える必要がある。
戦争の動機は概ね次の2つに別れる。①機会を動機とした戦争。②脆弱性を動機とした戦争。①は今このタイミングで戦争をやれば欲しいものが手に入るという動機から始まる戦争で領土問題等に絡む戦争がこれ。②はこの先今の状態が保証されるかどうか分からない、恐怖や不安からくる戦争。今回の米朝はこれになる。アメリカは北朝鮮の核ミサイルにより将来の不安を覚え、北朝鮮は体制が維持出来るのか不安を覚え、双方の恐怖や不安から危機が生まれる。
脆弱性を動機とした戦争には外敵への恐怖や不安以外に、国の内部崩壊への不安から逆転を狙い外に打って出る場合もある。
ではこの①②が極力起こらないように何を考えなければいけないか。共通して言えるのはとにかく会話が成立するチャンネルを持つこと。経済関係は必ずしも効果があるとは言えない。特に脆弱性を動機とした戦争にはさほど効果は発揮されない。代表的なのは第一次世界大戦 。ではこれまでの戦争に関してどんな形であれば会話が成立したのかと言えば互いが一定レベルの軍事力を背景とした形が会話は成立する。互いが被害を想定しやすいので会話は成り立つ。勿論今回のように間に入る国があれば会話は成立するが、その場合も間に入る国にも一定レベルの軍事力があるのが望ましい。但しこれも不調に終わる時もある。
他にも戦争の動機になる要素はあるが大きくは人間の欲望や恐怖、不安を背景にした処が過去から現在至るまでの戦争の動機になる。
となれば会話のチャンネルと軍事力は戦争の動機にも戦争回避の手段にもなる。
コメント (23)
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人殺しを減らし、平和を目指してきた人類史(1)   文科系

2017年04月18日 10時37分28秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 「戦争が起こる現実は悲しい」などと言って見せながら、こう語る人も多い。
『現状において軍事力が完全に無い世界の実現というのは、あまりにも実現不可能という意味で夢や幻想、あるいは宗教に属する話題であり、政治や外交に属する話題ではありません』
 現実がこんな風だと語る人には「戦争は悲しい」も夢や幻想にしかならない。つまり、人殺しを減らし、平和を目指す人を夢想家と切って捨てるのである。さらに「戦争は悲しい」も単なるポーズ。
 上の言葉が更に悪いことには「政治や外交に属する話題ではありません」だそうだ。戦争命令が出たら闘うしかない軍人ならいざ知らず、政治や外交にも戦争を無くす視点不要だとは、いやはや・・・。

 そこで、「人類史の現実問題」としての平和論を何回かに分けて書いていきたい。最初がこれ、去年のエントリーだ。これは、「人間闘争本能論」とでも訳すことが出来る「社会ダーウィニズム批判」を含んでいる。明治から大正にかけて日本の戦争連続を肯定する理論にもなったものでもある。なおこういう理論は、これを知らない人でも案外無意識に感覚、感じとして持っているもの。「動物、人間、その国家は、ほぼ永久に闘うもの」という感じだろう。これは誤りと証明されているのだが。
 

【 「人間史において、殺人は劇的に減った」と人類史学者ら   文科系  2016年11月02日

「人間史に戦争は無くならない」というのが誤った俗論であると、ここで何回も批判してきた。明治期の東大総長・加藤弘之の社会ダーウィニズムも既に誤りだとされたのに、入れ替わりここを訪れる右の方々が同様の俗論を未だにどんどん主張してくるからだ。
「動物は争う。人間も動物だから争う。国家社会もこれと同じで、戦争は無くならない」という俗論である。
 
 最近の週刊朝日に、東京大学薬学部教授にして脳研究家とある池谷裕二氏が、期せずして社会ダーウィニズム批判になる文章を書いている。その見事な文章を要約という形で、今回の反論としてみたい。
 今回彼が紹介しているのは、世界的科学雑誌「ネイチャー」に発表されたスペインのある博士らの論文である。

『博士らは哺乳類137科に属する全1024種の生物について、400万件以上の個体の死因を調べました。これは哺乳類の80%の科をカバーしています』
『調査の結果、哺乳類が(同種の)仲間に殺される割合は0.3%でした。300匹のうち平均1匹が同種によって殺されていることになります。肉食獣は草食動物よりも凶暴性が高いのですが、その差はヒトに比べればごくわずかでした。ヒトの凶暴性はなんと2%と推測されたのです。ヒトは平均的な哺乳類よりも6倍も凶暴だったのです。これほど同種を殺し合うのは哺乳類としては異常なことです。
 ところが慎重に調べを勧めてみると、意外な真実が見えてきました。チンパンジーやオランウータン、もしくはその祖先でも同種殺害率は1.8%と高かったのです。つまり、異常な凶暴性は、高等な霊長類に広く共通した現象なのです』

 とここまでは、右の方々が大いに喜びそうな下り。が、ここからの250万年人類史の最近の下りこそ、この論文の真骨頂なのである。

『石器時代以降の全250万年の考古学的証拠を丹念に調べたところ、狩猟採集の時代の殺人はおおむね個人的な動機に基づく小規模な諍いが大半だったのです。ヒトが大規模な抗争を始めたのは、定住を始めた1万年前以降です』

 そして何よりも『現代社会では同種殺害率は0.01%と著しく低い』と展開され、その理由がこう述べられていきます。
『もちろん私たち人類は、自身に潜む異常な凶暴性を自覚しています。だからこそ、刑法や懲役という公的制度を設け、警察や裁判官という社会的監視者を置くことで、内なる衝動を自ら封じる努力をしてきました。国際的には国連やPKOがあります』
『ヒト本来の数値である2%に比べて200分の1、哺乳類の平均0.3%に比べても30分の1のレベルに収まっています。
 公的制度によって自他を抑圧する「社会力」は、ヒトをヒトたらしめる素です』

 さて、著者がこの社会力で今最も期待しているのが、『国際的には国連やPKOがあります』なのだろう。ここが僕と同じであってとても嬉しかった。また、長い人類史で20世紀になって初めて出来たこの国際平和組織、国連という「社会力」のことをほとんど語らないのが、右の方々の戦争論の最大特徴だとは、ここでも度々確認してきたことである。


 なお、以下は私見だが、以上の人類同族殺害史は、我々の一般的歴史認識にも一致している。
『大規模な抗争を始めたのは、定住を始めた1万年前以降です』とは、奴隷制度が始まった時代を最も古く観た場合に合致している。当時以降の富の源泉である奴隷狩り(戦争)が大々的に行われ始めたということなのだ。『現代社会では同種殺害率は0.01%と著しく低い』のが「社会力」の増進によるというのは、基本的人権思想や、20世紀になって生まれた国連など世界平和組織やの発展によるものである。】

(続く)
コメント (7)
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