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人殺しを減らし、平和を目指してきた人類史(4)国連、ケネディ   文科系

2017年04月21日 04時34分38秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 世界平和を目指す諸国家連合、国際連盟の創設は人類史の悲願の一つ、一里塚が実現したことと述べても過言ではない。この世界機構は、人類初の国家総力戦、第一次世界大戦の惨劇から生まれたのだが、これを主導した米国大統領ウィルソンと彼をあそこまで突き動かしたカントの「永遠平和論」が背後にあった。
 にもかかわらず次の国家総力戦が起こされた後生まれたのが、現国際連合である。この世界組織は、反戦平和を最大の目的としたものだ。そのことは国連憲章冒頭にこう明示されている。まず、その『前文』の出だし。

『われら連合国の人民は、われらの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い、・・・・ここに国際連合という国際機関を設ける。』

 なお、上記『・・・』は、同じような組織目的を多数掲げた連用形文章が長く続いて、上記最後の文章がこれらを締めているという文章構造になっている。また、この前文に続く「第1章 目的及び原則」でも第一条第一項冒頭部分は、『国際の平和及び安全を維持すること』とある。
 
 さて、この国際連合創設に関わっても、ルーズベルト大統領など、当時のアメリカは大活躍した。このルーズベルトも戦争を無くす事を現実的目的に掲げた政治家と言える。また、「戦争の惨害から将来の世代を救い」という表現は、けっして、数百年先には戦争が無くなるかも知れないという「夢を描いている」ような書き方ではない。

 次に、熱烈に戦争消滅を求めた代表的政治家として、J・F・ケネディ大統領を上げたい。彼もこの望みを、国連にこそ託していた。以下のように。

『戦争にとって代わる唯一の方法は国連を発展させることです。・・・・国連はこのあと発展し、われわれの時代の課題に応えることになるかもしれないし、あるいは、影響力も実力も尊敬も失い、風と共に消えるかもしれない。だが、もし国連を死なせることになったら──その活力を弱め、力をそぎ落とすことになったら──われわれ自身の未来から一切の希望を奪うに等しいのであります』

 これは、1961年9月25日に行われた国連総会演説の一節だが、後にはもっと具体的に、こんなことも語っている。
『アメリカは、この世界を自分自身の指揮命令によって簡単に作りかえることなどできるものではないことを認めるべきです。そして、現代世界における対外政策は、単純な善か悪かに二分して解決できるものではないということも認めるべきなのです』
 これは、1963年9月26日の演説だが、彼はこの年この直後の11月22日に、テキサス州ダラスで暗殺されている。なお上の彼の言葉の出典はいずれも「国連とアメリカ」最上敏樹・国際基督教大学教授著、05年第一刷、からの転載と申し上げておく。


 以上からつまり僕は、こういうことが言いたかった。人類が、戦争、軍事力を地上から無くしたいという望みだけではなく、現実的行動も20世紀には特別に進んだと。もちろん、この20世紀後半以降にさえこれに反する例はいくらでも挙げられる。それはちょうど、上のケネディの言葉ではないが、善の神が居れば悪もあるよと言い返せるようなものだろう。もちろん、具体的な善悪者を明確に峻別できるものではないのだけれど。そして、その悪の現代現実的象徴が最近のアメリカ国家であるとは、次回に見るように国連関係者こそが述べてきた所である。「国連かアメリカか」これは、1980年頃からどんどん世界の人々の知る所となってきた。日本人でもこの両派に別れている感があり、親米人士は、無意識も含めて国連無視が普通なのではないか。この事の根は意外に深いと思う。

 なお、上のケネディの言葉『現代世界における対外政策は、単純な善か悪かに二分して解決できるものではない』からこんな連想をするのは、僕だけではないだろう。
「これって、ブッシュとかトランプのことだよな-!」

(続く)
コメント (6)
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