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小説  祐介のワールドカップ(前編)   文科系

2019年09月17日 10時25分34秒 | 文芸作品
 二千二年三月十二日火曜日夕、文字通り居ても立ってもいられないという体で帰宅した鹿住のもとに、やっとその電話は届いた。
 「セーンセーエ、ほ-んと-に、入っちゃったよ。本当に、先生───」
 報告の主、祐介の電話越しの声は、何か間延びがしている。そう感じ取った鹿住の方も、もういけない。しばらく声が出ない。
 「…………良かったなぁ。…………頑張ったもんなぁ。病気もあったし─── 」
 祐介が、サッカーワールドカップ直前の八つの国際テストマッチに向けて、その第一戦の日本代表に選ばれたのである。電話口の鹿住の脳裏で、この四年間に祐介が闘ってきた希望、不安、迷い、闘病などが、フラッシュバックしていく。

 祐介は、九八年のフランスワールドカップ代表候補から最後にふるい落とされた三人のうちの一人である。その時、他の二人が起こした事件が、新聞をにぎわせたものだ。彼等が、日本代表監督・岡田武史の帯同要請を振り切って、フランス合宿から帰ってきてしまうという事件である。落選のショックが予測を遥かに越えていたと、岡田監督の談話も伝えられた。彼等の心中は、祐介にも理解できたはずだ。まだ十七歳の高校生で、最終候補二十六人のなかで最年少だったとはいえ、落とされた悔しさは他の二人と変わりようがないからである。しかし祐介は二人とは違って、代表の戦いを見届けるためにフランスに残るという道を選んだ。それができたのは、後に鹿住に話してくれたところでは、代表候補最年少の自分にはまだ先があると希望の方向を換えることができたからだということらしい。ところが、それ以降監督の座についたフィリップ・トルシエは祐介のこの希望を逆撫でするように、ただの一度も「日本代表」の声をかけるということがなかった。延々今年まで丸四年近くのことだ。代表候補合宿には何度も呼ばれたが、国際マッチ代表からはことごとく外れ続けて、ワールドカップ年の今年を迎えたのだった。ワールドユース、シドニー五輪、そして四年間に行われたすべての国際Aマッチ、来るチャンス、来るチャンスが、彼の手からすり抜けて行った。候補で呼ばれては、落とされ、また呼ばれては落とされるの繰り返しだ。その度に決定を祐介に伝えるチームの担当者も言葉がないという様子、ただ「今回もダメだったよ」と伝え、「また、次があるから」と付け加える。祐介の方は「じゃあ、俺の『次』はいつなんだ!」、こんな叫びを飲み込み続けたものである。鹿住もこの間、「呼ばれた時のための準備万端」だけに照準を定めてJリーグも闘ってきたというような祐介に、どれだけ心を痛めてきたことだろう。候補合宿にはたびたび呼んでおいてテストにもかけないというのは、一体どういうことなのか。練習戦略さえさんざんに迷い、長くオーバートレーニング症候群を患うほどに努力もしてきた若者なのだ。

 鹿住は、祐介の元家庭教師である。四年前に日本代表最終候補にまで残った祐介の、不足しがちな学校授業日数をカバーする仕事をその父親から頼まれて、それ以来付き合いが続いているという間がらだ。
「とうとう『次』が来たのか-。一週間あとに大阪で、ウクライナ戦があるんだったな-?」、鹿住がやっと声を出す。
 「うん。ウクライナ戦で評価されて、二戦日の欧州遠征・ポーランド戦、とにかくこれに出たい。これから八つもある代表ゲームで最後まで残れるかどうか、このポーランド戦でほとんど決まると思うんだ。ヨーロッパ組も来るし」
 「そうだったな。ヨーロッパ組はポーランド戦含めて八つのうち三つくらいにしか出ないんだったな-。彼等と合わせあえるかどうか、それが最終代表入りの最大関門になるんだな-」、後半は声の調子もくぐもりがちになっている。ヨーロッパ組と、鹿住や祐介が言っているのはこの場合、それぞれイタリア、オランダのプロチームに引き抜かれていった中田英寿、小野伸二を指している。祐介とともにフランスワールドカップを目指した最も若いメンバーで、中田は四年前のそのレギュラー、小野はサブメンバーとなった。
 「簡単じゃないよねぇ。一ゲームだけ、それもほんのちょっと出させてもらって、『もう来なくてよろしい』、そんな夢も見るよ」
 「何度も言うけど、そんなことはない。こんなに戦略的に代表を狙ってきたんだから、君の場合は出れれば、とにかく大丈夫」
 「でも他の相手も、チーム幹部のみんなと相談したりして、やってきたはずだろうしい」
 「大丈夫、大丈夫。これも何度も言ったけど、チームの同僚に森岡と戸田、守備の日本代表常連が二人もいるじやない。彼等が『祐介は出られれば、選ばれる。日本最大の弱点、得点戦略上の凄い武器になる』と言ってるんだから」
 「うん。二人に相談できたってのは、大きいよねぇ。競争柏手の情報は全部入ってくるしい。逆に、向こうには僕の情報は、テレビや新聞くらいだろうしい」
 「とにかく、狙ってきたことを出せば良い。いろいろあるんだろうから、今日はこれで切るよ」
 電話を切った鹿住は、つい一か月ほど前に祐介の誘いに応えて、ひさしぶりに二人で飲んだときのことを思い出していた。倍以上も年上のサッカー好きな部外者で、祐介の不安の整理役の一人。こんな立場を鹿住は心待ちにして、そのための準備にもいつしか励むようになっていた。そして、サッカーと日本代表チームとのウォッチヤーと言えるほどの資格を得ていたのかも知れない。


 極寒の二月初旬、ざくっと削った地肌を黒く塗った木材を使い、ログハウスとも船底とも見えるようなバー。鹿住が「自分の店」と人にも言っている唯一の場所だ。三十ちょっとに見えるオーナーマスターは「イタリア料理のレストランバーだ」と言うが、こんな若さでどこから仕入れるのか、カウンター向かいの壁に並べられた酒類の取り揃えはきらびやかに多種多様で、そのそれぞれについての薙蓄がまた多い。そして今、カウンター以外はやっと顔が分かるという程度に暗い店内で、三つのテーブルのうち二つが埋まっている。その一方に、顔を壁に向けて鹿住ら二人が座っていた。

 「うん、病気は治ったし、アーリー・クロスも一年かかってやっと物にできたし、君の『次』は必ず来ると自分に言い聞かせてでも、頑張る。それに備えたトレーニングは、ヨーロッパ組との連携を第一にイメージしたもので行く」
 鹿住が、先刻からの話題をもう一度、トーンをあげて半ば強引な調子に縮めくくる。アーリー・クロスというのは、味方陣低く左右どちらかのサイドにいる選手などがサイドライン沿いを急きょ大きく駆け上がって味方ボールを受け、すぐにフィールドを横切るように敵ゴール前へと放り込む速攻用のボールのことだ。敵ディフェンスが戻り切らぬうちに、早目に斜め前へと放り込めばアーリーがつくし、ただクロスという場合は「早目」、「速攻」という感じを抜き、『フィールドを横切るように』というところだろうか。いずれにしても、日本が不得手とする得点戦術の上で貴重な一手段であって、右サイドという守備的な祐介のポジションに期待されるほとんど唯一の攻撃参加オプションである。後ろの選手が前へ大きく抜けるのだから守備の応急手当が必要になるが、その分厚くなった速い攻撃から敵守備を分散させることもできて、得点の確率が飛躍的に高まる瞬間である。このアーリークロスも他の戦術と同様、当然のことながら「人材」が要件となる。精度の高いロングパスの出し手と、足が速くやはり高精度のクロスを持った受け手のサイド選手だ。こういう二人が年月をかけて培ってきた深い信頼関係と言いかえても良いかも知れない。サイド選手が走っても走っても、良いパスがこなければ無駄走りになるし、良いパスを通し続けても、結末であるクロスに精度が欠ければそこまでの全ての労力が無駄になる。無駄な戦術は消えるか、練習用の実験段階のものにすぎないか、いずれかであろう。逆に言えば、サイドがこれでもかとばかりにオーバーラップ、走り上がりを繰り返すチームは、この信頼関係が築かれているというわけだ。祐介のチームはJリーグきってのこういうチームで、サイドが右左ともにどんどん走り上がっていく。

 「四年間一回も呼ばれてないんだよ.中田ヒデさんらがトルシエに外される可能性だって、やっぱり残ると思うしぃ」
 と、祐介。彼のクロスの生死を握るような相棒たちの去就を、憂えているのだ。世に伝えられたトルシエと中田との不仲の行く末にも悩んできた。中田英寿や小野仲二は、祐介のクロスの成否を決めるボール供給源の仲間であるし、小野はさらに右サイドの祐介が攻め上がったときに、逆の左サイドで守りを固めて支えて欲しい相棒だ。彼等が出場するかどうかで、さらにどう呼応してくれるかで、祐介のプレーは大きく違ってくる。特に中田が出ないとなれば、自分の『次』が例え来たとしても水泡に帰そうかというほどに、彼のパスやキープカを想定した練習に拘ってきた祐介だった。
 (ヒデさんと僕との合作が、得点能力の低い日本チームの右サイドとしては最良のものとしか信じられないから、この合作をイメージするしかない〉。
 『選ばれるには?』というある種の『色気』が絡んで打ち消しても打ち消しても現れてくる他の諸選択との迷いを断ち切っては、この四年間祐介が立ち戻ってきた、自分の原点とも言える想定であった。アスリートとしての祐介の矜恃なのだろうと、鹿住には見えたものだ。
 祐介のこの迷いに対して鹿住は、雑誌で見つけてきた中田のこんな言葉を紹介した。
 『監督に話したいことがあれば話す。仲がいいことだけがすべてじゃない。そうでない人とも、いい仕事をするのがプロだから』、『(僕とトルシエとの)二人の考えが全く違うとわかった。わかりあおうとすると困難だけど、どうしようもなく違うと割り切ればむしろ楽につきあえる』。
 これらを引用した上で鹿住は、駄目を押すようにさらに力説したものだ。
「ヒデだって、『全日本みんなが揃う数少ない今後のテストマッチでは、連携の強化が全てだ』とも、どっかで言ってたから、トルシエの戦略にも、ちゃんと合わせてくるに違いないって」
 祐介の返答はない。そして沈黙。ややあって、「笑っちゃうねぇ、誰と組めるかなんて。四年間代表に出れてもいない者が、よく喋ってるよ。せめてヒデさんと組んでポーランド戦に出られたらなぁ。落とされてもまだ納得が行くんだけど」
 話を打ち切るように唇を歪めたものだ。
 そんな祐介の表情を船底さながらの薄明りの下でもうかがい観ることもできずに、鹿住はバーボンのハーフロックの残りを口に流し込んだ。そしてしかし、すぐに話しだした。
 「もう一度、まとめてみるよ。確認してくから短く応えてな。右サイド選手としての君のライバルは?」
 「いろいろいるけど、まあ明神君、羽戸君」。「トルシエのチーム概念から求められる右サイドの技能、能力と、三人の長短?」。「守備が六~七割、攻撃が三~四割、それと、持久力とスピード。それで、守備は第一が明神、あとの二人は同じくらい。攻撃は、僕、羽戸、明神の順。持久力は明神、羽戸、僕の順で、スピードは明神がちょっと落ちて、あと二人は同じ、かな?」。「それでトルシエは結局、代表右サイドは何人必要と見てる?」。「左サイドがもっと激戦だし、右には他から回してくるかも知れないし、まあ一人か二人」。「その人選について、ここ一年くらいを見た現在までの結論は?」。「明神君は確実、羽戸君が対抗、僕が大穴、まで行ってないけどそう思いたい」。「以上から、君が合宿やテストで何を示せば良いんだった?」。「第一に守備を無難にやって、絶対に攻めの結果を出すこと」。「それについて、自分の現状分析と自信は?」。「守備は意外に二人に近付いてると思うし、去年一年でクロスが急に伸びたから、ライバル二人とは違って絶対に点に絡むんだ、と。ただチームの攻めをフォワードに左サイドだけを加えてやれば良いとか、ヒデさんのパスがないとかなったら、ちょっと苦しい」。
 「なっ、結論をもういっぺんまとめるよ。必死に守備に走り回った上で、練習の紅白戦でも日本代表テストマッチに出られたとしても、絶対に点に絡んでみせる。自分ではどうしようもないことをくよくよするのはかえってハートをだめにするだけだからマイナス、やめにする。結果を求められた時に、今まとめた結論に結び付いて行くようにだけ集中する。そうできるように日常も過ごす。そんな、からっと整理された戦闘性みたいなものを、トルシエは一番観てるんじゃないかなぁ。彼は自己を表現して、主張する人間性が好きで、一種心理学者みたいなとこがあると自他ともに言ってるんだし」
 当時祐介が日本代表を目指して、これ以外に何を考えることがあったろうか。だれと相談して、どれだけ時間を使い、どう話してみても。だからその夜の会話は、どこまで続いたとしても微かな明かりも見えぬままに終わりにするしかないという、そういう性質のものであった。

(後編に続く)
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中田英寿のメモリー  文科系

2019年09月17日 10時21分10秒 | スポーツ
 これは、06年ワールドカップ直後にある所に書いたものだが、再掲させていただく。日本サッカーは、彼にどれだけ感謝してもしたりないはずだと、そういう思いで書いた物だ。ワールドカップ(日本出場)が近づくといつも思い出すべき事と、自分に言い聞かせている内容である。

【 最後に、〇六WCドイツ大会終了を待って、二九歳でサッカー界からの引退表明をした中田英寿のメモリーを記しておく。彼が日本サッカーにどれだけの革命をなしたかという諸事実の記録である。

 まず、彼のジャパン代表登場がどれだけ衝撃的であったかから、始める。
 九七年、フランスワールドカップ・アジア予選途中で絶望的な苦戦続きから加茂・代表監督解任という結末、窮地が訪れていた。前回の「ドーハの悲劇」を経て、「今回こそは、WC日本初出場!」という国民の期待が崩れかけていた瞬間である。この瞬間に、突如出現した新米の二十歳。チーム危機の中、実力でレギュラーをもぎ取り、あまたの先輩たちが即座に「チームの司令塔」と自然に認めて、その後数ゲームで日本初出場という結果を出して見せた「日本の救世主」。日本中を大フィーバーさせたのも当然のことだろう。この二十歳の出現がなければ、フランスでワールドカップ日本初出場という歴史自身がなかったはずなのだから。クライマックスとして上げられるのが「ジョホールバルの奇跡」、対イラン第三代表決定戦。得点したのは中山、城、岡野。この三得点それぞれへの最終パス(アシスト)は全て中田が出したものだった。
 さて、この彼、その後も日韓、ドイツと三回のワールドカップを引っ張り続け、さらに希有のアスリートであることを証明し続けて見せた。これが、中田の二十歳から二九歳までの出来事なのである。そもそも「三大会連続出場」は他に川口、小野だけだし、「三大会レギュラー出場」ともなればもちろん、中田以外にはいない。こうして、日本サッカー界の常識を覆した革命児と表現しても、サッカー界の誰一人反対はできないという選手なのである。

 サッカー選手としての彼は、そもそもどんな特長をもっていたか。
 二十歳の彼のパスは、「『追いつけ!』という不親切この上ないもの」と日本の評論家たちから総スカンを食った。が数年後にはもう、彼のパススピードでしか世界には通用しないとは、周知の事実となった。
 「フィールドを鳥瞰していることを示すようなあの広い視野はどうやって身につけたものなのか?」。こちらは、反対者のいない関係者全員が初めから一致した驚きの声だった。どんなプレー中でも背筋を伸ばし首を前後左右へと回してきょろきょろする彼のスタイルは、その後日本の子ども達の間に広がっていったものだ。正確なロングパスは正確な視野からしか生まれないのだから。
 「人のいない所へ走り込まないフォワードにはパスをあげないよ」。これも今や、「フォワードは技術以上に、位置取りが全て」という、日本でも常識となった知恵だ。これについては日本FW陣の大御所、中山雅史のこんな証言を読んだことがある。
 「中田が俺に言うのね。『そんなに敵ディフェンダーをくっつけてちゃ、パスがあげられない。どこでも良いから敵を振り切るように走ってって。そこへパスを出すから。そしたらフリーでシュート打てるでしょう』。俺、そんな上手くいくかよと、思ったね。でもまー、走ってみた。きちんとパスが来るじゃない。フォワードとして『目から鱗』だったよ!」
 この出来事が中田二十歳の時のことだ。十年上の大先輩によくも言ったり!従ってみた中山もえらい。中山のこの素直さこそ、三九歳の今日まで現役を続けられている最大の理由と、僕には思えるほどだ。封建的な日本スポーツ界では、希有なエピソードなのではないか。
 中田はまた、自分個人用のサッカー専用体力トレーニングにプロ入り以来毎日、汗を流し続けている。「走れなければサッカーにはならない」、「外国人には体力負けするなんて、プロとしては言い訳にもならないよ」。自らのプレー実績で示してきたこれらのことの背景こそ、このトレーニングなのである。

 さて、これら全ては今でこそ日本でも常識になっているものだ。しかし、中田はこれら全ての「世界水準」を二十歳にして、どうやって身につけたのか。「世界から習った」、「例えば十六歳で出会ったナイジェリアから」などと彼は述べている。ほとんど世界の相手を観察してえた「知恵」なのである。もの凄い観察力、分析力、練習プログラム考案力、自己規制!それら全てにおいて、なんと早熟だったことか!この上ない頭脳の持ち主が、観察のチャンスに恵まれたと語りうることだけは確かであろう。

 彼はまた、世の全てが媚びを売るがごときマスコミへの反逆者でもある。「嘘ばかり書く」、「下らない質問ばっかり投げてくる」と主張し続け、「こんなものは通さず、自分の大事なことはファンに直接語りたい」と、スポーツマン・ホームページの開拓者にもなったのだった。弱冠二一歳、九八年のことである。それも、日本語、英語、イタリア語だけでなく、中国語、韓国語版まで備えたサイトに育ち上がって行った。国際人というだけではなく、アジアの星にもなっていたということなのだろう。
 他方、日本のサッカーマスコミは未だに程度が低い。テレビのサッカー中継でも、ボールばかりを追いかけているように見える。サッカーの神髄はこれでは絶対に見えてこないはずだ。この『ボール追いかけ』カメラワークは野球中継の習慣から来ているものだろう。野球はどうしてもボールを追いかける。その習慣で、サッカーでもボールを追いかける『局面アングル』が多くなっているのではないか。それにもう一つ、新聞などの野球報道でも、勝ち負け、得点者に拘りすぎているように思われる。サッカーの得点は、ほとんど組織の結果と言って良いのだから、フォワードよりも組織を写して欲しいと思うのだ。得点を援助したラストパス、いわゆる「アシスト」報道がないのも、日本の特徴だろう。

 ありがとう、中田英寿。僕をこれほどのサッカー好きにしてくれて。僕の生活にサッカーを与えてくれて。】
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