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メッシ、クリロナと、世界的日本人選手  文科系

2019年09月27日 19時59分45秒 | スポーツ
メッシとロナウド (文科系)
2019-09-16 10:02:37
 サッカーの能力で言えば、メッシは技術アジリティーの、ロナウドは身体能力の、それぞれ化け物だと思う。
 メッシはホルモン異常からいつまでも子どもの身体だったから、かえって技術が伸びられる期間が長かった人物。俊輔や憲剛と同タイプである。大人の身体にするために、バルサが彼を引き取って高価なホルモン治療だったかを長期に施してきたというのは、有名な話だ。
 クリロナは、全盛期のマンUと、希代の名監督アレックス・ファーガソンの元で、スポーツ科学の粋を集めて育成されたサイボーグ。ダッシュ力、ジャンプ力などがとにかくすごくて、そんな姿が化け物みたいな選手だと思う。
「ダッシュでマークをぶっちぎって、強烈過ぎるシュート。もしくは、誰よりも高いヘディング」
 サッカーファンならロナウドについて誰でも知っている個性がある。ナルシストじみた自己身体への愛着。これこそ、この化け物を創った原動力ではなかったかと、そんなことも想像してきた。18歳でマンU移籍後すぐのシーズン初ゲームでレギュラーをとった化け物でもある。
 
本田と久保建英 (文科系)
2019-09-15 07:45:22
 本田はその凄さの割に不遇な選手生活であったと思う。ロシアへ行ったのが誤りだった。あの上り坂の国へ行けば、よほど急に伸びないと長く飼い殺しになると計算できたはずなのだが、過信しすぎたのか、膝の傷が不運だったと言うべきか。結局凋落著しいイタリアへ移籍金なしで行くはめになった。選手としての大成には、20代前半の進路選択が極めて重要だということだろう。
 さて、久保建英である。技術型、身体能力、視野と戦術実践力の三つに分けて言えば中島翔哉と同じ攻撃技術に特化した選手とは、明らかだろう。すると彼の問題は、守備も含めた戦術実践力ということになる。守備のためにもダッシュが繰り返せるかどうかも含めてのことだ。ということならば、その技術の割に大成できなかった宇佐美との比較が面白かろう。1ゲームに規定のダッシュを50回できるのが岡崎で、宇佐美のこれは30回だったかな? 結果、岡崎は守備にも走れるが、宇佐美は走れなかったということのようだ。
 久保がメッシになれるならば守備は免除されようが、そして、中島は今でもメッシを狙っているのかも知れぬが、この2人のどちらかがメッシになれるとは、普通は思わなのではないか。でもこの2人、今でもこう考えているかも知れない。
「メッシを狙って失敗に終わるなら、それも俺の人生!」

日本人の選手鑑識眼 (文科系)
2019-09-24 20:23:33
 どの国でも若手の天才は話題を呼ぶが、日本のその視点のニュースは、ちょっと異常だと見てきた。森本、宇佐美、そして久保建英。皆一つの共通性がある。10代選手の「超絶」技術に目をつける見方である。高校ホームラン王とか、高校生大谷とか、個人技中心の野球のような見方とも言える。その批判を別のエントリーでこう書いた積もりだ。
『さて、若い頃の「技術」はサッカーでは案外大切なものではないと、僕は考える。若い頃は普通のプロ技術程度で良い。というか、技術全体は下手でも何か一つ特殊な技能があれば良い。そのことは、ヒデと岡崎が教えてくれた。・・・総合技術よりも、何か突出した基礎的身体能力や、広い視野に基づいた戦術実践力の方が遙かに大切なのだと』
 総合的技術というのは、遅くとも15歳までには出来上がってしまうもの。そして、その頃までは技術が並のプロ選手程度でも、世界的名声を得たのが、ヒデや岡崎。少年の頃の彼らはサッカー技術は並の選手だった。
 幼少期に育つ技術だけで選手の将来性を見るのは、愚かなことだと思う。
 確かに、10歳で天才から世界的選手になった小野やメッシのような選手はいるのだが、同じ力を持っていて落ちていく例はもっとはるかに多かったはずだ。特に、視野が狭かったり、今だと走力がなくて守備ができない選手は、絶対に大成できないと思う。
コメント (4)
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随筆  〝可愛がられたんだ〟   文科系

2019年09月27日 14時06分53秒 | 文芸作品
  同人誌に孫と遊ぶ自分を長短の作品にし続けてきた。そんな作品合評のいろんな声から、熱心すぎるという意味でどうもかなり珍しい態度のようだと気づき、考え込み始めた。
「孫は疲れるというおじいさんも多いと言われたが、そんなこと思ったこともないよなー」
「構い過ぎと言われたが、確かに頼まれたこと以上に随分多く、自然に手を出している」
 
 ここからさらに、そう言えば、我が子ともこんな風に付き合ってきたよなー。それもごく自然な成り行きとして・・・。自転車も水泳も、正しい走り方や娘のピアノ教室曲さえ、俺が教えてきたはずだ・・・。完全共働きの子育て時代は、仕事も忙しかったけど、その前後の二人の子の保育園送迎や夕食後にまた職場に赴いた時間を含めれば、一日平均して一五時間以上も働いてたけど、土日など暇があればほとんど子供に使っていたはずだ・・・。ここまで来たら、当然こう訝ることになった。なぜあれが疲れることもなく、ごく自然にできたんだろう?
 
 ここでまた、ふっと思った。俺自身が幼少期にいろいろ可愛がられてきた。母親にはもちろん、他の大人たち、とくにおばあさんたちに・・・。彼らに可愛がられた? とそこまで回想と思考が進んできたとき、たちまち閃いたのが、このこと。幼少期から小学入学過ぎまでの俺は、お経をいくつか唱えることができたのである。あれは、当時は同居に等しかった母方の祖母の影響なのだが、その周辺の人々を随分喜ばせたもんだ! 「お経やって!」という注文にいつもニコニコと答えていたのだから。ちなみに、ここでもまた思い出したことがある。このお経が俺の人生にもう一つ重大な影響を与えたという、そのことを。我が父母、兄弟妹四人の合計六人の中でただ俺だけが音楽が得意になったその理由について過去に考えたことがあるその結論なのである。考えてみればお経って、音楽だ。音程もリズムもあるし、合唱まであって、音楽の要素をすべて含んでいる。そして、音楽、音感ってほとんど幼少期に育つものだから・・・。

〈俺が幼少期にされてきたように、子供や老人に対して居る。『そんな感情、対応』がごく自然にわいて来て・・・〉
  
  このように広く自分の幼少期を振り返ってみたのは初めてのことだったが、この連想全体がこんどは関連する過去をいろいろ思い出させてくれることになった。
〈周囲の老人で肩もみをしなかった人は一人も居なかったはずだ。あの祖母、俺と連れ合いそれぞれの両親・・・〉
〈老人には、特におばあさんには、どこでも、いつでも可愛がられたよなー。きっとどこかがババ泣かせの子供だったんだ〉
〈小学中学年の夏休みなどには弟の幼稚園へ出かけていって、幼児を遊ばせてたよな。いまはこの同じことを、孫の保育園や学童保育でもやっている。それも、それぞれをお迎えに行く日々のことだ・・・〉
 はてさて、こういう俺の生い立ちは良かったのか悪かったのか、そんなことを考えてみても、今はもうどうしようもない。月木には学童保育にお迎えに行き、金には保育園へ。二人の走り方も自転車も、保育園の竹馬競争も教えて来た。水泳教室はいつも見学に行き、そのテスト前には熱心な特訓をしたからこそどんどん進級できた? ピアノ教室曲のレッスンも日々手伝って、学校の授業参観にも代理参加が度々と、そんな生活にごく自然なってきたんだよな・・・。
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