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随筆紹介 往時、こんな家族も多かった  文科系

2020年01月29日 09時56分13秒 | Weblog

 今年満90歳になるH・Tさんは、僕らの同人誌で最高齢の、皆にとって貴重な存在。今もなお元気に書かれています。

 

  家 族   H・Tさんの作品です

「ここは俺の家だ。俺のやることが気に入らないなら、出ていけ!」
 物を投げる大きな音。
「かかあーの代わりなんかいくらでもある。仕事も一人前に出来んくせに」
 父のどなり声。
「人の子を育てさせて、勝手なことをして」
 大きな声で、泣き叫んでいる母。
 加代は走り出して、家の前の田んぼの畦の間で、身をひそめていた。
「人の子」、私のことだろうか。なぜだろう。おそろしい言葉。どうして、なぜと、父のどなり声と母の泣き声を聞きながらおびえ、尿がもれるのを気にしながら、じっとしていた。
 父のこわさ、幼い加代もぶたれたことが何度かあった。小学生の頃、授業中に突然思い出して泣き出したこともあった。
 何故母は、人の子というのだろう。

 家は小さな窯がひとつ。そんな中で茶碗を焼いていた。それが、戦争景気で働く人も多くなり、工場らしき建物もでき、作れば、焼けば儲かるという時がきて、父は母をどなりつけながら遮二無二働いていた。幼い加代も風呂の水くみと火の番をなど、遊ぶこともなくすごしていた。本など買ってもらったこともなく、友達にやっと借りて読んでいて見つかり、取り上げられて捨てられたこともあった。
「女が本なんか読んで何の役に立つ」と、母は聞こえぬふりだけでなく、「うそばかり書いてある本・・・」とぶつぶつ言っていた。
 貧しい時代の、貧しい家。
「誰に食わせてもらっている。出ていけ」
 どこへも行けず、父のどなり声、母の言葉にもおびえながら過ごしていた。
 こんな田舎の工場へも軍需工場の名がつき、陶土で武器まで作るようになり、工場の音は夜も止まることがなくなった。
 軍国少女と言われるようになった加代は、食べる物も読む本もなく、国のためと疑うこともなく、学徒と言われて工場で働いていた。
 そんな中で、母が養母であることも知った。
「人の子」
「わしは他人」と言っていた母。人の顔色を見ながら、笑顔貼り付けで生き、心の中では”家を出たい” ”ひとりになりたい”と思っている娘。
 大声でどなりつけて働いていた父と、三人三様の家族。

 両親を送り、親の年齢を超えた今、三人で過ごした日々、家族の絆の重さなど、幼い日のことを思うのである。

コメント
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