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随筆紹介  桑の木   文科系

2020年01月30日 06時08分58秒 | 文芸作品

 随筆紹介  桑の木  S・Hさんの作品です

 代々の皇后が養蚕をされている光景をテレビで観た。日本の絹糸は質が高く、海外での評価が高かったことは知っていた。ことに正倉院などの襖絵や調度品などの修復には皇室で生産される種の繭が欠かせないのだという。
私が子どものころ田舎の生家でも養蚕が収入源だった。年に何回か蚕を育てて繭にし、出荷する。五ミリにも満たない幼虫のころは村の女たちが共同集会所で泊りがけで世話をする。室温や時間の管理が自宅では難しかったようだ。ある程度(多分一センチ以上)の大きさになると各家々に分けて育て始める。

 母は二十歳を過ぎて嫁ぎ、生まれて初めて蚕に接した。凄まじい食欲の蚕に桑の葉を日に何度も食べさせなければならない。蚕が一斉に桑の葉を食む「ザッ、ザッ」というような音が耳について眠れなかったという。だだっ広い田舎の家だったが、蚕の時期には家屋の半分が蚕棚に占領された。
 早朝から大きな竹篭を背負って母は桑の葉を摘みに桑畑に通う。うす緑一面の桑畑に、手拭いを姉さんかぶりした母の頭だけがいつも見えた。当然、私たち子どもも桑畑の草取りに駆り出された。特に炎天下の草取りをさせられる夏休みは嫌いだった。
蚕は毎回なぜだか沢山死ぬ。それがブリキのバケツに半分ほど溜まると、近くの小川に捨てに行くのが小学生の私の役割だった。「厭だなあ、臭いなあ」ブツブツ言いながら小川までの道を歩いた。カンカン照りの夏の暑い日も、手のかじかむ冬の寒い日も。川に流すとザリガニや魚たちが競って寄って来た。 
それが里に行く度にいつのまにか桑畑は姿を消し、景観もすっかり変わってしまった。

先日、里にいる幼なじみが何年か前にラズベリーの一種「マルベリー」という木を玄関近くに植えたといった。すると近所のお婆さんが「あれまあ、桑の木を玄関に植えて、お蚕さんでも飼うのかね」と訊いたとか。桑の木もなんとオシャレな呼び名になったものだと、自分の無知さ加減にあきれたと幼なじみの彼女は笑った。
そういえば九四歳を過ぎた母も蚕を「お蚕さん」と言っていた。子どもの私たちの名は呼び捨てなのに蚕になんでさん付けするのか不思議な気がしていた。もう六十年以上も前のことだ。

コメント
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