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公憤、メガロス水泳教室に②  文科系

2020年02月08日 18時28分15秒 | その他

 野村不動産が全国展開しているメガロス水泳教室に孫二人目の五歳児も通うようになった。一人目を見学し続けてきて思うところがあって、こんな質問メールを12月初めにメールした。近く返事を送ると返信してきたのに、1か月経っても来ない。ここに拙文を掲載する。これは一種の社会問題だとも愚考するからである。子どもらの社会教育施設とい言う役割があることでもあるし。以下は一種の公憤と、受け取っていただきたい。

『 16クラスが30クラスになったのは(最近上達していくグレイドに16クラスあったのを、30クラスと倍ほど多くなる区分けをした)、極めて不愉快。調べてみたら、入門段階と古い1級で多く枝分かれしていた。この前者は、一挙に三つ上がることもあるようだから、大差あるいろんな子に合わせて丁寧に分けたと、まー理解できる。
 が、後者は全く理解不能。1級卒業者(今までは一級が通常の一番上だった。それが6クラスほどに枝分かれした事を指している)をつなぎ止める策としか思えない。こんなことをやるくらいなら、「タイム測定の選手クラス」とでも言うものを設けておくか、従来クラスと違う「それ以降のクラス」を新たに設けるべきではなかったか。1級になった子が4級って、その気持ちを考えなかったのか。子どもの気持ちをちっとも尊重していないという意味で、本当に馬鹿馬鹿しいやり方である。

 もう一つ、質問。クロールの教え方がおかしい。呼吸時に真上以上に、90度を通り越した反対側まで顔が行ってしまっている子も居るほどだ。これでは、身体がいろいろにぶれても来るから、水に抵抗がない身体の使い方にはならない。25メートルクロールクラスが長くかかるのには、このことが関係していると観てきた。悪い癖を直すのに熱心でないスクールと思うばかりだ。

 そして、もう一つ。あるクラス泳法習得卒業時にはその課題が上手く泳げていた子が、以降のクラスで悪い癖をつけることが目立っている。身体に染みついた癖を子どもが直すのは大変。もうちょっとこの対策を考えて欲しい。友人の子らがちっとも進級できない原因はそこにあると観てきた。』


 ちなみに、僕の5歳の孫は、去年11月に僕が教えて「25メートル板キック」完泳をやり切っている。それが、今のクラス分けでは「板キック12・5メートル」クラスの二つ手前のクラスにいる。つまり、あと4か月を全く無駄に過ごすわけだ。その子が何ができるかを試す仕組もないのである。

コメント (9)
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名古屋市・河村市長と南京虐殺  文科系

2020年02月08日 16時08分08秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など

 昨日7日の中日新聞に、「南京市に友好のマスク」「歴史問題で交流停止 名古屋市が送付打診」という見出しの記事が載った。南京市は受け入れるかどうか検討中とのことだが、この交流停止は、河村市長の南京虐殺否定論議に端を発している。

『2012年2月、同市からの訪問団に対して名古屋市の河村たかし市長が「いわゆる南京事件はなかったのではないか」などと発言し、公的交流が停止・・』

 これが、原因なのだ。河村市長のこういう発言は一体以下の文献などをどう読んでいるというのかと詰問したい。

 

【 南京大虐殺資料、一師団長の日記から  文科系 2017年03月09日
 
「教育図書出版 第一学習社」発行の「詳録新日本史資料集成 1995年改訂第8版」という高校日本史学習資料集がある。これをぱらぱらと見ていて、南京大虐殺の資料を新たに一つ発見したので、ご紹介したい。408頁に南京攻略軍指揮官の中島今朝吾(けさご)第16師団長日記というのが載っていた。そこの全文を書いてみる。 

大体捕虜ハセヌ方針ナレバ、片端ヨリ之ヲ片付クルコトトナシタレドモ、千、五千、一万ノ群集トナレバ之ガ武装ヲ解除スルコトスラ出来ズ、唯彼等ガゾロゾロツイテ来ルカラ安全ナルモノノ、之ガ一旦騒擾セバ始末ニ困ルノデ、部隊ヲトラックニテ増派シテ監視ト誘導ニ任ジ、十三日夕ハトラックノ大活動ヲ要シタリ。シカシナガラ戦勝直後ノコトナレバナカナカ実行ハ敏速ニハ出来ズ。カカル処置ハ当初ヨリ予想ダニセザリシ処ナレバ、参謀部ハ大多忙ヲ極メタリ。
一、後ニ至リテ知ル処ニ依リテ佐々木部隊ダケニテ処理セシモノ約一万五千、大平門ニ於ケル守備ノ一中隊長ガ処理セシモノ約一三〇〇、其仙鶴門付近ニ集結シタルモノ約七、八千人あり。ナオ続々投降シ来ル。
一、コノ七、八千人、之ヲ片付クルニハ相当大ナル壕ヲ要シ、中々見当ラズ。一案トシテ百、二百ニ分割シタル後、適当ノカ処ニ誘キテ処理スル予定ナリ。』

 高さ18メートルもある分厚い南京城壁の限られた門から一夜にして日本軍包囲網を脱出しようとした中国軍兵は、その多くが捕虜になった事が示されている。どうせ逃げられないから、捕虜になって助かろうという態度にさえ見えるのである。ところが、これを最初からの方針として、全部殺してしまった。あちこちに分けて連れて行って殺し、埋めたということなのである。そもそも冒頭のこの部分が僕がこのブログで強調してきた要注意か所と言える。
「大体捕虜ハセヌ方針ナレバ、片端ヨリ之ヲ片付クルコトトナシタレドモ」
 最初から捕虜は殺す方針であったことが明確に述べられている。酷いもんだ。こんな資料があるのに、ネトウヨ諸君の種本論客達は、兵士虐殺を否定してきたのである。一師団長が聞いただけで彼等がよく語る「せいぜい2万人」などは、優に超えている。すべて世界に向けては、いや南京攻略兵にすら秘密の仕業であった。なんせ、上の手記にあるように師団長すら虐殺の全貌は知らないのだから。少し前にあった満州事変に対する国連非難囂々に懲りていたのだろう。また、国民の戦意高揚のためにも、敵への残虐行為は極力秘密にするものだ。実に卑怯、姑息な日本軍である。もっとも命令を出した奴らが卑怯、非道なのであるが・・・。】

 なお、戦争だから兵士が死ぬのは虐殺ではないという反論があろうから、一言。上記のような周辺事情から、逃げられないと観念して自ら進んで捕虜になった大多数を当初からの規定方針によって皆殺しにしたというのは、戦争で兵士を殺すのとは訳が違い、明らかな虐殺である。

 こんな事情から両市の交流停止とあらば、それは河村市長に全責任があることになる。友好のマスクさえ受け取りを躊躇しているその責任も含めての事だ。

コメント (3)
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