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特に、清和会議員を落とそう   文科系

2021年02月22日 12時27分04秒 | 国内政治・経済・社会問題

 1月24日エントリー「安倍首相、無数の嘘を考える」を、こういう文章で結んだ。

『 森友、加計、桜と繋がって疑惑を全否定する安倍「嘘の履歴」のそれぞれにまた、多くの嘘が連なっている。森友では、そもそもの始まりの国有地大安売りをごまかす嘘や、その「忖度」を打ち消した嘘。加計にも「獣医学部が不足している」という嘘と、「加計しかない」という嘘。桜では、「国家功労者の称賛会」という政府自身が作った看板の下で「個人選挙の功労者会」を開き続けるという大嘘。こういう人物が日本国家歴代最長政権って、トランプの「フェイクと暴力政権」と並んで、それぞれの国民、政党はよほど胸に手を当てて考えてみないといけない。

 安倍にはおそらく、嘘の意味が分かっていないのだ。嘘の常習犯の言葉は信じてもらえない。政治家の武器は言葉である。その言葉が信じてもらえないとは、どんな政策も信じてもらえないということだ。また、嘘は自己(利益)追求、自己損害隠蔽のためにつくものだから、大国における国家的大嘘の常習犯首相とは、ヒトラーと同類の「最も大規模な利己的人間」であり、周囲を巻き込んできたことも含めてその害悪は甚大である』

 さて、今また、管新首相の長男が主導した「汚職」事件で、総務省の次期次官最有力候補らが処分されている。これとても、とことんまでバレなければ嘘がつき続けられ、隠蔽されていたはずのことだったろう。事実、一放送局の案件で次官候補までが出席して10数回も総務省幹部総出が続けられていたのである。

 さて、これだけ政治腐敗とそれにまつわる嘘とが続くということを、もう一度よくよく考え直してみたい。なによりもまともな政治をやる気など全くないということだろう。政治家がそうだからこそ、官僚もその色に染まって忖度に励む仕事、すっかり人気のない職業になってきた。ということで、こういう総体こそが安倍長期政権の最大の産物だったのである。そしてこんな政治とは、結局たった一言「権力願望」なのだろう。政権を維持するためだけの政治といえば良い。その象徴がこれ、桜じゃなかったか。

「桜を見る会」は、国家功労者を招待して、その功績を祝う会として企画されたと聞いた。ところがそこに呼ばれたのは、与党議員の個人選挙功労者達だったのである。それも首相枠招待者がどんどん増えて、「ちょっと歩けば山口県人」という様相があったと報道された。こうして、「桜」は国家功労者が与党功労者に化けていった歴史を持っているわけだ。権力欲だけの政治という、その象徴になってしまった。それがばれたからこそすぐに、この「桜」、取りやめになった。

 国民は今年の選挙に向けてよほど考えないといけない。森喜朗、小泉、安倍の清和会国会議員などは特に大臣病の権力志向なのであって、これに投票してはいけない。よって新聞は、与党候補の所属派閥を必ず明記すべきである。細かいことだがこんなことが大事だと思うから、よく覚えておきたいもの。ちなみに、森喜朗の「あの言葉」は、彼の哲学そのものから出たもの。「日本は神の国」「天皇は男系で」「行きすぎたジェンダー教育(の弊害)」これらは皆、「日本会議」の文書「日本会議がめざすもの」にある言葉だ。清和会には元々、文教族が多いが、こんな理念で文科省を動かして来たのだった。

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書評『人新世の「資本論」』(2)  文科系

2021年02月22日 11時49分01秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

 今回の初めに、3章にある四つの「人新世」未来選択肢を紹介しておこう。
・気候ファシズム 現状維持の資本主義的成長路線によって気候が破壊されていく方向。
・野蛮状態 99%の反乱によって、世界がホッブスの言う「自然状態」に落ちていく。
・気候毛沢東主義 野蛮を避けるトップダウン型の中央集権的気候対策であって、自国のことだけを対策するという特徴を示すはずだ。
・X 以降に著者が説く選択肢のことである。

第4章 〝人新世〟のマルクス
 資本論第一巻までのマルクスは生産力至上主義かつ、西欧中心主義であった。そして、資本論の続きを書こうとしていたマルクスは、最近の西欧学会では「コモン」と呼ばれる概念に目を付けていったと語られる。日本語では「共」という意味なのだが、経済学泰斗・宇沢弘文の「社会的共通資本」を思い浮かべて欲しいとも述べている。

 そんなマルクスが具体的研究対象としたのは、当時の農村共同体であった。ドイツのマルク共同体、ロシアのミール共同体、アジアの村落共同体などのことである。これは、生産力至上主義の進歩史観から離れて、持続可能性と社会的平等を目指す将来社会の基礎となるだろうと。これが晩年のマルクスが到達した脱成長コミュニズムの鍵なのだとも、「ゴータ綱領批判」の「協同的富」のことだとも言い直されている。

第5章 加速主義という現実逃避
  脱成長コミュニズムに対して、「左翼加速主義」が欧米では結構持てはやされている。生産力至上主義の現代版と言えるものだが、これは第2章などで述べた「緑の経済成長」など「現実逃避の思考」である。
 また、選挙によって国を変えて・・というだけの考え方も政治主義と言うべきであって、生産点での変革がないから非現実的である。
 現在ある「協同的富」を再建、建設しなおすことによって、資本による労働編成から人々を開放して、労働編成などを自ら考え得る民主主義的想像力を取り戻そうとも述べられてあった。

 こうして、以下の残りの3章へと続いていく。
第6章 欠乏の資本主義、潤沢なコミュニズム
第7章 脱成長コミュニズムが世界を救う
第8章 気候正義という「梃子」
おわりに 歴史を終わらせないために

 

(その3に続く、ちょっと遅れるかも知れません)

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