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マスコミ報道の歪み(1) 日本マスコミ外信のワンパターン  文科系

2018年01月20日 08時10分26秒 | 国内政治・経済・社会問題
 今の日本政治は、アメリカ関連などの関係が分からないと何も分からないという意味で、僕は外信欄を舐めるように読んできた。すると、つくづく思ったのが標記の事。まるでワンパターンの、こんな外信ニュース集めの思考しか働いていないようなのだ。

①そもそもアメリカ批判がない。というよりも、アメリカが当たり前のようにやっている事をちゃんと報道しない。嘘の理由で開戦したイラク戦争への批判がないのは、日本参戦の反省もないのと関連していよう。シリア内乱でも、シリア政府・ロシア・イランに批判的で、明らかに反政府軍を支援して内乱を起こした側、英米の記事がない。これは、親米国家であったトルコでさえ不審に思い始めているところである。ウクライナも同じである。ベネズエラ内乱(工作)は何も知らせないし、アラブの春の総括は一体どうなったのか?
 ちなみに、アメリカの日本よりも酷い国家累積赤字、家計の大赤字などは何も書かない

②①とは正反対に、中ロについて辛辣な観点、記事ばかりである。中国は「習独裁」という観点記事が圧倒的に多いし、ロシアもプーチン独裁関連がほとんど。その側面がある事は僕も否定しないが、政治面がそれだけだと、正しい事は何も見えてこないのである。というのも全く可笑しいだろう。AIIBを嘲笑していた財務省、マスコミも今はもう笑えなくなったのだし、日本経済はアメリカよりも中国をどんどん活用しているはずだ。小沢がやろうとしたような、米中等距離外交の方が今の日本にとって正解だと思っているほどである。米国に付いていってももはや、高価な兵器を買わされたり、戦争をやらされるのが落ちであるのだから、ますますそう考えるのだ。

③北朝鮮問題でもおかしい。アメリカに調子を合わせるようにして、今にも戦争が起こるように語った論調はただ笑えるだけだ。大人の論議とは到底思えないのである。北が実験するのは弱い犬のキャンキャン。自分から噛みつけるわけなどないのに、今にも噛みつくように語る論調はどうだ! むしろ「どんどん追い込んで、ミサイルの一発も撃たしてやれ!(そうなったら、大手を振って開戦しあの国を潰して、最大の仮想敵国中国を将来にわたって揺さぶる橋頭堡ができるというもの)」と、アメリカやそれに同調する日本マスコミが北を煽っていると思えたものである。


 こんな記事ばかり書いているから、日本の記者クラブなどもいつの間にか外国、国連から笑われるようになってしまった。世界に公然たる日本近代史まで換えてやろうというがごとき「偏執的愛国」、貧弱な島国根性は、安倍だけで沢山だ。この国のマスコミこそ、島国根性にどっぷりと浸かっているのではないか。
 ちなみに、世界諸外国の目から見たら、アメリカはもう完全に落ち目の戦争国である。トランプ出現こそが、既に一つの頽廃社会現象。これなら、対北先制攻撃戦争さえしかねないと、普通の知識と心があるアメリカ人は皆思っているはずだ。そして、北に対してアメリカよりも強硬姿勢に出ている安倍政権は、この対北先制攻撃、戦争の日本への影響、後遺症も全く見えていないと愚考するのである。
「日本がこの戦争に介入する事によって、戦える『普通の国』になる」
 こんなことさえ目論んでいるのではないか。世界諸国民の命が理念としては対等になって、戦争は悪だという思想も発展してきたところから、国際平和組織としての国際連盟や国際連合が初めて出来た20世紀人類史の意味を、何も分かっていないとしか思えないのである。あの嘘の理由開戦イラク戦争でどれだけの後遺症が残ったかなど、全く考えられていないのだろう。関連死含めて50万人。恨みに燃えたイスラム国の誕生。ヨーロッパにも大挙した膨大な難民の群。
 アメリカが朝鮮先制攻撃を敢行するようなことがもしあったら、途方もなく時代錯誤の野蛮である。そして、この事には日本のマスコミにも責任があった事になる。と、後世そう語られるのは必定。
「大本営発表時代と、どこが違っていたのか?」
 もちろん、記者クラブも。
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小説  ハーちゃんと俺(後編)   文科系

2018年01月20日 07時45分48秒 | 文芸作品
 ハーちゃんが四歳を過ぎた二〇一四年一〇月に弟、セイちゃんが生まれた。娘のその育休が終わった後には、俺のイクメン仕事はさらにハードになっていく。保育園病欠も行事参加なども二人分になったからだ。二人分の育休が済んだ一六年四月以降は、中堅の小学校教員である娘の仕事が急に忙しくなったことも重なっていた。なんせ、平均帰宅時間は先ず二一時。「教員過労の時代」と言われるだけあって、夕食もお風呂入れもほぼパパだけの任務となっては、見るに見かねることが多いのだ。お風呂入れも、食器洗いとか、レンジ周り拭き掃除。俺の手伝いを条件に大掃除までを促して通っていくこともあるという始末だった。
「三八度五分の熱と連絡があったから、悪いけど保育園に迎えに行ってくれる? 二人とも都合がつかんの」
「お迎えに行って、区役所・保健所で三時からある検診に連れてってくれない?」
「保育園のデイ・キャンプが、父母同伴なんだけど、パパが出れないから来てくれない?」
「保育園の同じ組の父母が家でパーティーやるけど、ワインと何か一品作って参加してくれない?」
 こんな注文が、どんどん増えていった。「家族で蓼科の遊園地に行くけど、来てくれない?」、などということさえ度々になったが、ほとんど子守の為なのだ。二人の子ども連れだと、何か大小の緊急事態があったときにとても助かるらしい。
 イクメンという以上に教育パパならぬ教育ジジもやってきた。自転車に乗れるようにしたり、運動会のための竹馬も俺が作って、俺が教えた。週一土曜日の水泳教室はほとんど、若いママやパパに混じって見学しに行きたくなるのだし、二か月に一度のその教室進級テストの一~二週前などは二人で市営プールに行って欠点を修正してやったりもする。そんな帰りの公園で運動会の前などは正しい走り方まで教えてきた。だからこそなのだと固く信じているが、水泳はもう二五メートルがクロールできるクラスだし、保育園最後の運動会リレーではバネの利いたダイナミックな速さを見せていると、教育ジジは目を細めていた。ただし俺にとっては、これらすべてが、我が子に日曜日などにやってきたことを繰り返しているに過ぎない。ハーちゃんが習っているピアノ・レッスンも、娘にしてきたように付き合っている。「小学校前教育は、何かスポーツと芸術一つずつ。それが一番」という教育方針も俺と娘夫婦で一致しているのである。もちろん、お婿さんもこれらをともにやってきた。彼と俺が大変仲が良いのもこうして、ハーちゃんの御陰なのだ。孫も鎹ということだろう。
 それにしても気軽に注文が来る。余程頼みやすい人間なのだろう。これでお婿さんがさぼっていたら俺もここまでは出来ないが、彼も娘以上に主夫を頑張る人だったから、このほとんど全てを彼とも協同してやった。これら連日のような注文に働き者とは言えない俺がどうして応えるようになったのか、自分でもよく分からない。がとにかく、ハーちゃんのこととなると、どんな注文にも身体が自然に動いて行くのである。

 さて、というように表面は元気に見える俺も、既に七五歳。ハーちゃんが年長さんになったこの年一年は前立腺癌の発見、その陽子線治療もあって、他人からは見えにくい身体の中身はかなり綻びている。
 鉄筋コンクリートの白壁が薄汚れた我が家は父母が建てた物で、築五四年。その二階東端にある南向き畳の書斎兼寝室の南壁半分以上を占めるガラス窓のカーテンの端から突き刺さってくる陽光で目が覚めた。よっこらしょっと身体を起こして、机の前の椅子に座り、毎朝の日課が始まる。まず最初に、耳の上を引っ張ったり、頭側面や首から肩にかけて指圧、マッサージをしていくのは、難聴を予防、改善できるという体操のようなもの。確かに効果があるのだ。それを約五分の後は、左耳穴だけに補聴器を入れる。先生について習っているギターの弾きすぎと医者が診断したのだが、左耳だけが、それも高音域が聞こえない。特に子音が聞き取れないから、補聴器がないとアイウエオだけのように聞こえてしまう。耳の次が、目薬。これは白内障予防のためで、この眼科通院が始まってもう三年は経っている。網膜剥離でレーザーを入れたその事後観察という狙いもあるこの通院も、今は月一ほどに減っているのだが、軽いものだそうだが間もなく手術ということになるのだろう。それを少しでも遅らせるための点眼なのである。その次には、おもむろに鼻をかむ。かむだけではなく紙を太くよじって穴の奥深くまで入れた掃除をする。耳や目よりもずっと年季が入って悪いのが鼻で、原因不明のアレルギーもあるとのこと。このごろはいつも鼻紙に血が混じる。先日の高齢者検診胃内視鏡検査では「鼻の中が浮腫んでいますねー」と言われてしまった。と、こんな風に始まる一日も、例えばある午後は、
 晩秋の午後三時きっかり、保育園玄関出入り口を開けるとすぐの廊下端に、六歳の孫、ハーちゃんが早帰りの準備万端を整えて待ち構えていた。手早く靴を履きながら、「ジジ、遅いねー!」。
「ここでずっと待っていたんですよ」
 脇の職員室から出てきた仲良しの保母さんが笑いながらそう告げてくれた。それにしてはと、ハーちゃんの全身が喜びを表しているから嬉しくなった。歯医者に行くための早迎えだと言ってあるのに。
「恋人同士みたいだね」。これは、この夏に白樺湖の大きな遊園地に出かけた時に娘夫婦がかけた言葉だ。ほぼ全ての遊び遊具目指して、俺と二人であちこち飛び回っていたその光景を評したもの。こんな時は、「俺ももう七五歳、ランナー現役を続けていて良かったー!」と自分ながらしみじみと思うのである。
〈一緒に遊んできて、教育ジジやってきたけど、恋人ねー……。まーそんな要素もあるかな。俺をこれだけ回春させてくれたんだから……。そう言えば先日一緒に行った音楽会デビューも、デイトみたいなもんだったし。二時間を優に超える合唱だったのに、最後までちゃんと聴いてたな。途中で出てくることになると予想した実験だったんだけど、随分大人になったもんだよなー〉
 日曜日の午後、玄関のブザーが鳴る。パパが開けた扉の鍵音諸共、居間でテレビ・サッカーを観ている俺の膝めがけてハーちゃんが駆け込み、飛び込んでくる。こんなところも確かに、恋人みたいなのだ。膝の上のハーちゃんは時にお姫様抱っこの体勢も取るし、首筋に両手を回したりもするから、大好きなごっこ遊びで、その恋人同士。ただ、娘がいっぱい買い揃えてあるディズニー・アニメの男女場面のごっこ遊びかも知れぬと気付いてからは、途方に暮れてしまうようになった。


 二〇一七年四月、ハーちゃんは小学一年生になった。俺はその学童保育のお迎え係。娘の家のすぐ前にある小学校には学童保育が無くって、自分の昔と同じようにこれがある小学校を希望したから、市の許可を得て隣の小学校まで通うことになったのである。お婿さんが三キロほど離れたセイちゃんの保育園の、俺が学童保育のお迎えということだ。当面は毎日引き受けたが、やがては日数を減らしていくつもりだった。そんなお迎え場面の初めの頃にハーちゃんと俺に起こったことが……。

 保育園のお迎えの時などに年長さん相手にやっていて彼女が名付けた「パンチ遊び」というものを、俺がお迎えに行く学童保育でもすぐにやってみた。両脚を広げて腰を落とし、サンドバッグよろしく腹筋を子どもらにパンチさせる遊びだ。ボクシングの拳の作り方と、打撃時の足腰の使い方なども初めから教えるから、少々本格的なスポーツにもなっている。これを、四年生までは我も我もとやりたがる。因みに、それより上になるとどういうか「子どもじゃないよ! 遠慮します」という感じが多くなって面白いのだが、とにかく学童保育でも女の子も含めて大人気になった。なんせギリシャの昔からの男のスポーツ。今ならアニメやゲームの影響もあるのだろうが、迎えに来た俺を見つけると五人、六人と列を作って挑戦してくる。俺の方は人間の腹筋が思う以上に強いものだと改めて知ったのだが、ランニング練習のジムでウエートトレーニングも一通りやっているからなのかどうか、五年生までなら大丈夫とすぐに分かった。こういう遊びを学童保育で始めた時のハーちゃんの感嘆ぶりこそ、おったまげたもの。集まってきた上級生らを見上げながら、周囲を飛び回るようにして、はしゃいでいる。
〈彼女が遊んでもらいたくて仕方ない三~四年生までが自ら希望していつもいつもずらずらと並ぶのだから、指導員先生でもなかなか作れる光景じゃないのかも知れない……〉。
 そんな「パンチ遊び」を終えた秋のある日。お迎え帰りの自動車の中で、
「ジイジって、七十六歳だよね?」。「そうだよ。何かあったの?」。「先生が訊くからそう答えたら『うそーっ?』って言ったんだよ。別の先生が本当だよって言ってくれたけどね」
「でももーお爺さんだよ。運動会の駆けっこなら、ハーちゃんにはきっと、追い抜かれるよ」
「ジイジはお爺さんじゃないよ。お父さんだよ。先生もそう言ってるし。パンチにもあんなに強いし。いつも走ってるし、……ちょっと痩せぽっちだけどね」。
 その時の俺の気持ち! 毎日当たり前のようにやっていることを誰かに褒められても嬉しくはないのだが この時ばかりはまったく違っていた。だからこそ、一言。「僕が痩せぽっちなんじゃないの。パパ、ママがお腹も出て来たし、ふっくらし過ぎなの。分かる?」。
 そう、今の中年以上が皆太りすぎで、俺が大学生のような身体なのだ。それが、現代日本の普通の大人の認識……。などというのはともかくとして、こう続けた。
「痩せっぽっちも、パンチに強いのも、みんな走ってきたおかげ。そして、ハーちゃんは知らないことだけど、僕が走り続けていられるのも、ハーちゃんが生まれたおかげなんだよ」
 こんな思いの時の俺は、ゼロ歳のハーちゃんが取り持ってくれた家族四人の散歩をいつも思い浮かべている。そして、思い出のゼロ歳の時から今もまだやっているこんな習慣は、これからいつまで出来るのだろうかと、寂しい笑いをもらすのだ。古家の改築から生まれた二つの階段を使って二階を回ってくる「肩車一周」。我が家にいて二人のピアノ練習が上手く行かないときなどの気分転換なんかに、いつもやってきたことだ。彼女は一年生の今もこれが大好きなのだが、最近は相当重たく感じられて、足を運ぶにも気を使うようになった。


(三日続きの前中後編。読んで下さった方、ありがとうございました)


 








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「よたよたランナーの手記」(214) 蹴る筋肉が戻った   文科系

2018年01月19日 09時55分44秒 | スポーツ
 18日、約1か月ぶりのジムで、マシンを走った。12月11日以降はずっと外走りだけを続けてきたからだ。地面をきちんと蹴って蹴り脚を強くするために、ストライド(歩幅)を広げつつ。秋に入ってから狙っていたストライド広げがこの年で可能かどうかと危ぶんだ時もあったのだが、どうやら成功したようだ。一時85センチほどまでに落ちたこれが、現在90~93センチになった。こういう走り方をすると確かに足や足首の疲労が今でも激しいのだが、なんとか頑張って成功したようだ。

 さて18日はその効果を約1か月ぶりのジムランニングで確かめてみるという、そんな狙いを持っていた。結果は、いつものような30分掛ける2回を4・3キロの4・75キロで計9・05キロ。前半の30分は、ウオームアップ歩行も込みにしたタイムである。この記録自身が9月4日の9・1キロ以来のものだが、その時よりもかなり余裕を持って走れた。そもそも、心拍も普通は150以内、汗も少なく、近ごろ高速を走った時の筋肉痛のようなものも残っていない。

 これら全ての原因が、この間鍛えてきたストライド広げにある事は間違いない。歩幅が以前よりも5㎝以上延びたので、心拍数が抑えられた。今日の最高速度で言えば時速10・5キロだが、それでもピッチ(1分間の歩数)160で走れるところを170弱とやや増やし気味にして走る。こうすると、筋肉痛も起こらないというわけだ。去年晩秋に歩幅を増やしてからは、筋肉痛や骨痛がたびたび起こっていたから、それをなんとか乗り越えてきたということ。


 そしてもう一つ、1か月ぶりにジムへ行って気付いた事がある。体を動かす事、筋肉を使う事がとても好きなんだなと。いつものような5種のウエートトレーニング・コースを一通りやって来たが、1ヶ月ぶりのこれが何と心地良いと感じた事か。5種というのは、これだけだ。腕を押すと引く、腹筋と背筋、そして僕の弱点、尻・太腿外側の強化。最後のこれは、蹴り脚を強くする補強運動である。

 健康な人間はやはり、筋肉を使うのが嬉しいのだと改めて思ったもの。「特に、ここに筋肉が付いたな!」などと充実感を覚えながら流れる汗を拭く事がまた、気持ちよいのである。犬族の動物が「ボスについて走り続ける本能(的快感)」を持っているように、人間は直立歩行関係の筋肉を使う事が嬉しいのだと。だからこそ、ランニングハイなどというものがあり、人間だけが地球の隅々にまで歩いて行けたのだろうなどと、そんな思いにまで耽りながら帰ってきた。
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小説  ハーちゃんと俺(中編)   文科系

2018年01月19日 09時48分18秒 | 文芸作品
 そのころの俺のほうはといえば、四人散歩の途中では当たり前のように速歩きを試みてみる。三人より遙か前方へ行って、また戻ってくるとか。〈これぐらいなら、大丈夫かな?〉という試みを積み重ねて行ったわけだ。これらすべて、胸に心拍計を付けてのことであり、ちょうどハーちゃんの歩行のように、少しずつ少しずつ進んで行った。
 そして、気付いてみれば、娘の育休が明けてハーちゃんが保育園に通い出した春には、心拍数一三〇ほどの速歩きを四人散歩の中に入れていた。そこからやがて、我が家の一八段の階段を五〇往復ほどまで出来るようになって行った。やがて、心拍計を観ながら、おそるおそる、ほんのちょっと走ってみる。散歩途中に心拍数一四〇以内の走りが大丈夫と分かった時の嬉しさは、何と言ったらよいか! こんな四人散歩から生まれた関係なのだろうが、そんなころのハーちゃんと俺は……、
 庭の一角で、彼女が「アッ!」と叫ぶので振り返ると、俺に手を差し伸べている。手を貸せということらしい。手を取って引っ張るのに任せると今度は、側の平たい石をもう一方の手でさし示している。やはり、「アッ」という声付きだ。こうなると彼女のこの声はもう命令みたいなもんだなと、苦笑いしかない。とにかく、そこに座った。直後すぐに分かった彼女の「構想」には、さすがに驚いた。すぐ隣にある同様の石に自分もちんまりと座りこんで、パチパチと拍手しているではないか。俺の目を見つめているその顔はもう満面の笑みである。「カータクンデー、肩組んでー、お庭の前でどっこいしょ!」、こんな歌を思い出しつつ、俺も当然、拍手。この拍手は、目が点になる驚きという以上に、我ながら暖かい心がこもっていたなと、今も時々振り返ることがある。

 ハーちゃんが丁度二歳になった九月に俺はとうとう、ランナー再開の許可を医者に申し出た。医者がその表情を一瞬曇らせたのを俺は見逃さなかったが、ここまでの経過を順に聴き取るにつれて、この申し出を受け容れてくれた。三年に近い完全ブランクからの、七一歳にしてやっと得られたランナー免許なのである。


 その二〇一二年十一月、二歳二か月のハーちゃんと我々家族にとってとんでもない大事件が起こった。俺が三年かけて何とか得たランナー免許の、その代償のように。
 ハーちゃんが十一月二十一日の夜娘宅で、高い位置にあった加湿器のお湯をかぶってしまった。その電気コードを引っかけて倒し、お湯が額の辺りから下まで。すぐに全身に放水を続けた「寒い、寒い!」から、大学病院救命救急センターへの駆け込み、入院。この通報以降両じじばば同行の闘病生活が始まった。真っ先に俺がやったことは、大学病院の一般向け病気図書館で火傷の基礎知識を得ることであった。
一 火傷は軽度、中度、重度とあり、体表に占める%と浅い方からⅠ~Ⅲ度の傷の深さとで決まる。中度火傷がたとえば、「体表の十五~三十%で、Ⅱ度」とか「十%以下のⅢ度」というように。ただ、乳幼児、老人は十%でもショックを起こす場合もあって、深度も予後もわかりにくい。
二 直後の「流水で五分以上冷やす。服、靴下など衣類はそのままで」が、きわめて重要。
三 以降に怖いのは、血液に細菌が入る菌血症。低下した体力がそれに負け始める敗血症が非常に起こりやすくなる。細菌を防御する皮膚がないから、体中に注射をしたその日に汚い風呂に入るようものなのだ。これへの手当てに手抜かりがあると、治りかけた傷口もすべて内側からぶり返し、治ってもケロイドが酷く残ったり、抗生物質が効かない細菌が入って命を落とす場合がある。
四 対策、治療は、何よりも傷口の殺菌、二週間とか速やかに皮膚再生に努めること。感染予防のためには、個室隔離、看病者の限定と手洗い、うがいなどの徹底。本人の体力増強に努め、水分、栄養、睡眠が特に大切。

 絶望の宣告、心境を体験した。「血液から何かの菌が出て、敗血症が起こっています。三十九度の高熱がその証拠」。さらに週末を挟んだ数日後には「検出されたのは、黄色葡萄状球菌でした」と宣告されたときはもっとどん底に沈んだ。抗生物質が効かない黄色葡萄状球菌なら大変だ……。そうでないと確認できるまでは、俺自身食事ものどを通っていなかった。安眠も難しいのだろうが、肩を落としてベッドに座り込んだハーちゃんの赤い顔が頭にちらつきっぱなしだった数日間の気分は、俺の人生でも初めてのものだった。ハーちゃんと入れ替わってやりたいと、よく語られるそんな表現が我が身にどれだけリアルだったことか。

 幸い、三つ目の抗生物質が効き始めた。熱が下がり始め、顔など傷の赤みも日一日と見違えるようにとれていく。健康になった子どもの皮膚再生力はすごく速い。敗血症の目安・血液炎症反応数値も瞬く間に下がって、負傷後二週間が過ぎた頃には一般の平常値よりも低い値になっていた。火傷の後遺症関係も二週ほどで判明した。面積は十%を超えているが、酷い部分でも深度Ⅱの深浅両様のうち深い方が一%もなく、顔はもちろんほかの部分にも酷く掻かない限りほぼ傷跡は残らないだろうと。全員本当にほっとしたこの時を、今もよく思い出す。二歳そこそこのハーちゃんに対して犯したこのミスは取り返しが付かぬかも知れない、……それが晴れた若い夫婦二人の気持ちを考えたら、実際に泣けてきた。

 こうして、負傷から数えてちょうど三週間、十二月十二日に退院となった。それから二日間、薄い皮膚を太陽に当てるとシミができるからとUVカット剤塗布などに留意しつつ、じじばばとイーオンへ行って遊び回り、リハビリと体力増強に努めてきた。二歳児が広いフロアーを走り回る姿は、まさに弾けていた。包帯を外して傷口を洗う悲鳴や退院直前まで続けた点滴針取り替えなどが思い出されて、「雪国の春」とつぶやいていたものだ。
この三週間、病院に泊まる娘の出勤準備と入れ替わるために、早朝六時までに病院に詰めるのが俺の日課になっていたけど、……
〈俺もまだまだ頑張れる。それに、頑張ることはいっぱい出てくる……〉

 翌十三年初夏の頃には、俺の方もこんなふうに復活を遂げて、強くなっていた。
 メーターはおおむね時速三〇キロ、心拍数一四〇。が、脚も胸もまったく疲れを感じない。他の自転車などを抜くたびにベルを鳴らして速度を上げる。名古屋市北西端にある大きな緑地公園に乗り込んで、森の中の二・五キロ周回コースを回っているところだ。たしか六度目の今日は最後の五周目に入ったのだが、抜かれたことなど一度もない。ただそれはご自慢のロードレーサーの性能によるところ。なんせ乗り手の俺は七十二歳。ただ、去年の九月からはとうとう、昔通りにスポーツジムにも通い出し、今では三十分を平均時速十キロで走れるようになった。心拍の平常数も六十と下がり、血流と酸素吸収力が関係するすべてが順調。ギターのハードな練習。ワインにもまた強くなった。ブログやパソコンで五時間ほども目を酷使できたし、体脂肪率は十%ちょっと他、いろいろ文字通り回春なのである。先日は、十六年前に大奮発したレーサーの専用靴を履きつぶしてしまった。その靴とパンツを買い直したのだが、こんな幸せな買い物はちょっと覚えがない。今度の靴は履き潰せないだろうが、さていつまで履けるだろうか。


 三歳の一か月前の頃、ハーちゃんはこんな女の子になっていた。母子と俺ら祖父母で北海道へ旅に出て、小樽文学館で小林多喜二コーナーなどを観たあと富良野へのレンタカー移動途中のことである。
 ハーちゃんがチャイルドシートを嫌がって泣き叫び、何を思ったかベルト留め金を外して床に座り込んだ。そして、立ち上がろうとする。横のばばが、危険と判断して、立ち上がろうとするのを頭や肩などを押さえつけた。それも三~四回。対する抵抗と抗議の、ものすごかったこと。抗議と抵抗の表出はもちろん、悲嘆にくれて身も世もあらずの様相が、優に一時間近く。その間、なんの慰めも好物の提供申し入れも一切振り払って受け付けず、ただ大泣きである。それも、喉がかれて声が出なくなるほどの号泣をずっと続けている。
「これってなんだろう?」。大人三人は皆、すごく当惑した。抗議というよりも、身も世もあらずとの態度が執拗だったからだ。と、娘がこんなことを話し出した。
 先日初めて、こんなようなことがあった。見知らぬ年長児三人の砂場遊びだったかに入りたくて露骨に拒否されて入れず、しばらく粘っていたが娘がその場から脱出させたとたんに、これとそっくり同じ大泣きが始まったという。それも、初めてのことだと見たのだが、この「身も世もあらず」がやはり三〇分以上は続いたという。「はじめて見た、全く同じ感じの泣き方だ」と断言したのである。娘のこの話に関わって俺はうろ覚えのこんな知識を思い出していた。二〇世紀最大の発達心理学者ジャン・ピアジェの言葉で確か「幼児の、恩と愛着」というような概念があったはず。他人から恩を受けたことの長期記憶が生まれ始めると、人への愛着というものが起こり始める、と。こんなふうに愛されることが多かった子どものなかで、能動性の強い子はこの愛着も極めて強いはずだ。そして、この愛着が裏切られたと体験したときには、ものすごい葛藤が発生するということじゃないか。こう考えて俺は二人に言った。
「これって、素晴らしい、新たな成長なのだと思う。人の愛着と冷淡を知ると、安心して身を任せるように繋がっていると思いたい人に拒絶される体験も分かり始める。身も世もあらずとできるようになったということじゃないか」
 繋がりや愛着が発生しなければ、拒絶や冷淡に何も感じないはずだ。拒絶と感じて号泣できるほどに成長したということだろう。
 ところでさて、これほどに拒絶されたばばの方は、猛烈に不安が生まれたらしい。今後の態度が変わるのではないかと、しきりに心配している。対して俺は、何の心配もないと答えた。人への愛着が生まれ、人によるその強弱も生まれ始めた幼児は、愛着の方も覚えているに違いないと考えたからだ。その後案の定、こんな場面がいっぱい繰り広げられた。富良野「風のガーデン」という花々の中で、ハーちゃんがばばを気遣って優しいこと、露骨なのである。二人だけであっちへ行こうと手を差し出してあげたり、好物のお菓子をあげようなどがはっきりし過ぎていて、娘とふたりで遠くから目を見張り、論評し合っていた。「ごめんね!」というのか「仲良くしてね!」というのか、とにかく幼児の心遣いながらものすごいものだと。


(あと1回、後編に続きます)
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安倍さんよく聞いて、じゃない次期総理聴いて   らくせき

2018年01月18日 15時41分23秒 | Weblog
「沖縄の海兵隊は日本の防衛に役立っていない。米国の防衛とも無関係」――米保守系シンクタンク、ケイトー研究所の上級研究員ダグ・バンドウ氏が1月12日に都内で講演。「中国と日本が尖閣諸島で衝突したとしても、(役割が異なる)海兵隊は何もできない。北朝鮮のミサイルを打ち落とすこともできない」と述べ、海兵隊の沖縄からの完全撤退を主張した。

 レーガン大統領(在任1981~89年)の特別補佐官を務めたバンドウ氏は外交政策の専門家。市民団体の招きで来日し、在沖縄米軍基地などを視察するとともに、翁長沖縄県知事、防衛大臣経験者の自民党国会議員らと面談した。

 講演でバンドウ氏は、沖縄の基地負担軽減の問題について「日本政府は対米関係への悪影響を恐れて、米国政府に何の要求もしていないが、日本政府が求めれば、米政府は最終的にそれに従うはずだ」との見方を示した。日米地位協定に関しても「基地は日本の領土にあり、ルールを決める立場にあるのは日本政府だ」と交渉による見直しの可能性について言及した。

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小説  ハーちゃんと俺(前編)  文科系

2018年01月18日 11時17分50秒 | 文芸作品
 二〇一〇年九月二七日、初めての孫、女の子が生まれた。生まれただけではなく、娘家族三人、ウィークデーは我が家に同居中だ。直線距離三百メートルほどのアパートに住んでいる彼ら、金土以外は母子ともに我が家に寝泊まりしている。夕食も、我が家。両家族四人で作り、食べ、後片付けも分担しあっている。「我が子とは違うだろう。そんな感情も湧かんはずだ」。連れ合いにそう言い張ってきた俺だったが、こんな同居を重ねていると、どうも勝手が違って来る。
 病院のベッドでもぞもぞしているものを見た第一印象はこれだ。「何処よりきたりしものぞ!」。山上憶良の有名な短歌「しろがねもくがねも玉も」の前に置かれた長歌の一節だが、このモゾモゾ、一体どこから来たのかと。こんな成長も想像したりするから、なおさらのこと。こんなモノが一年も経つと片言をしゃべり始め、三年も経つとぺらぺらになるなんて信じられんな、などと。ちょっと前の外出でしばらく観察していた三歳児なんて、すでに立派な人間なのである。わがままもりくつもちゃんと主張していた。我々老人の方は一~二年では何も起こらんどころか急に老けたりするのに、すぐにどんどんあんなふうになっていくモノ! そんな人間が、一体どこから現れてもぞもぞとここにいるのだ?!
 さて、今は生後二ヶ月に近く、笑い出した。モナリザみたいな意識した微笑みはちょっと前から気付いていたし、顔面がそう動いてしまった「ニカッ」は生後すぐにもあったが、今は何かちょっかいを出すとはっきりとニカッとする。人間の笑いは、類人猿にはない高度な段階の技能なのだそうだ。こんなに無力なくせにすでにそんな凄い力を持っているこいつ。生後長い間こんなに能なしの人間が地球でこれだけ栄えてきたその訳は、このニカッにあるのかも知れない。そんな風に思いながら今の俺は彼女とこんなふうにつきあっている。わざとらしく泣いている時などに抱き上げてやると、ぴたっと止まり、モナリザの微笑み。そこでもう一つ何かをやってやると、ニカッ。とても面白い。飼っている黒猫・モモのクールさに比べれば、はるかにホットなのである。

 ところで、二〇一〇年というこの年は、俺にとってどんな年だったことか。
 スポーツが大好きで小学校時代から色々やってきた俺が、六二歳で完全リタイアーした前後に選んだ最後のこれがランニングとスポーツサイクリング。後者は学生時代から続いている趣味だが、ランニングは五九歳に入門して、一年後には十キロを四十九分台という記録を持っている。それだけの体形、体力をここまで維持してきたのは一種独特のスポーツ哲学を育んできたからだと今にして分かるのだが、元々不整脈を抱えてそれを飼い慣らすためにいつも心拍計を付けて走っていた。それが、ランニング歴丁度十年のこの年、新春に不整脈が慢性心房細動へといきなり深化した。外って置けば、脳梗塞か心筋梗塞という死病である。即心臓カテーテル手術を決意した。慢性細動になったら手術と、予め決めていたのである。二月末のこれが上手く行かなかったと分かって、十月には二回目。ここまでもこれ以降も、術後落ち着きが見えたら走って良いとの許可があったから、ランナーを続けるべく速歩き、階段往復など体力維持に励みつつ、散歩中に一キロ程度の遅い走りも入れ始めていった。そして、「さすがの根治療法。治ったのだな」と言い聞かせ始めた翌十一年二月一七日。いつもの階段を十往復ほどしたあたりで突然の不整脈。きちんと脈を取ってみると最悪の心房細動である。〈同じ階段往復を一昨日には、一一〇回。それがなんで急にこうなるの?〉。さっぱり訳が分からぬままに主治医にかけこんだ。

 すぐに血圧を測ったり、心電図を取っている間も、その主治医自身が何かバタバタしている。慌てているのだと分かった。既に血液をサラサラにする薬も止めていたから、すぐに点滴が始まってこう告げる。脳梗塞、心筋梗塞の恐れがあるから、二回の手術をした拠点病院に行けと。そこに電話を入れてくれて、そのまま救急車で駆け込むことになった。拠点病院の診断結果は「すぐに全身麻酔で、AEDをやります。多分治ります」というもの。死ぬ間際の人の心臓辺りに電気ショックを与えるあの治療法である。大変きつい奴になるから全身麻酔をした上でということなのだろうと諒解した。
 そしてさてその次が、忘れもしない、問題の同月二四日。木曜日昼頃。通っているギター教室のレッスン曲を弾いていただけなのに、どうも心拍がおかしい。計ってみると期外心臓収縮の症状で、俺の今までの経験からはこんなサインになる。「今ちょっとした運動をやると、慢性心房細動になるよ」。またまたすぐに主治医の所に駆け付けると、結局こんなことが決まってしまった。今度ばかりは俺の了解は何も取らず、有無を言わせぬ命令である。
①年齢並みの心拍数を越えないように生活する。最高一二〇。できたら一〇〇~一一〇。
②突発性期外収縮だけなら、頓服的な薬を飲む。 
③心房細動になったら、以前の薬を常用の上、もう一度AEDか再手術か。
④お酒は、今までの通常範囲で。ビール換算で一本程度。

 最高心拍数一二〇では、もう走れない。速度にもよるが、俺のランニングは最高一四〇~一六〇にもなったからだ。もう七〇歳、走るのを断念して、少しでも細く長く生きる道を選ぶしかなくなったと覚悟した。ただでさえこの一年間は半信半疑でしょぼしょぼ走っていたから体質がどんどん変わって行くのが分かったが、これでさえもう年貢の納め時になってしまった。

 俺は一日二~三時間も先生に課されたギターレッスンをしたり、四~五時間コンピューターに向かっても目も大丈夫だし、肩こりもないという生活をしてきた。そして、一時間に十キロほど走れる酸素吸収力がこれらを支えているのだと解して、ランニングに励んできた。筋肉疲労物質の運び屋、血流と酸素が十二分に回る身体だからこそ、七〇歳にして無理をしても肩も凝らないし、目も疲れないのだと。掛かり付けの歯医者がまた、こんなことを言う。「走れるというのは免疫力が強いということ。歯槽膿漏にも、虫歯菌にも強いんです」。なお、有酸素運動について回る細胞老化物質・活性酸素への対策にも、当然励んできた。しかしながら、このようにランニングが活動年齢を伸ばすのに偉大な効果があるにしても、そんな理由だけで俺がスポーツを続けてこられたわけではない。

 週に複数回走ることを続けてきたほどのランナー同士ならばほとんど、「ランナーズハイ」と言うだけである快感を交わし合うことができる。また例えば、球技というものをある程度やった人ならば誰でも分かる快感というものがある。球際へ届かないかも知れないと思いながらも何とか脚を捌けた時の、あの快感。思わず我が腿を撫でてしまうというほどに、誇らしいようなものだ。また、一点に集中できたフォームでボールを捉え弾くことができた瞬間の、体中を貫くあの感覚。これはいつも痺れるような余韻を全身に残してくれるのだが、格闘技の技がキレタ瞬間の感じと同類のものだろうと推察さえできる。スポーツに疎遠な人にも分かり易い例をあげるなら、こんな表現はどうか。何か脚に負荷をかけた二、三日あと、階段を上るときに味わえるあの快い軽さは、こういう幸せの一つではないか。これらの快感は、たとえどんなに下手に表現されたとしても、同好者相手にならば伝わるというようなものだ。そして、その幸せへの感受性をさらに深め合う会話を始めることもできるだろう。こういう大切な快感は、何と名付けようか。音楽、絵画、料理とワインや酒、文芸など、これらへのセンスの存在は誰も疑わず、そのセンスの優れた産物は芸術作品として扱われる。これに対して、スポーツのセンスがこういう扱いを受けるのは希だったのではないか。語ってみればごくごく簡単なことなのに。スポーツも芸術だろう。どういう芸術か。聴覚系、視覚系、触覚系? それとも文章系? そう、身体系と呼べば良い。身体系のセンス、身体感覚、それが生み出す芸術がスポーツと。スポーツとは、「身体のセンス」を追い求める「身体表現の芸術」と言えば良いのではないか。勝ち負けや名誉とか、健康や体型とかは、「身体のセンス」が楽しめることの結果と見るべきではないだろうか。
〈そんな俺にランナーを諦めろとは……〉
〈俺の生活自身が途方もなく小さくなっていく……〉

 さて、ハーちゃんが生まれたのはこんなころ。俺の二回目のカテーテル手術の一か月前の九月とあって、ランナー断念の時期には五か月になっている。そんなころの俺らは、隔週の土曜日ごとに散歩をする仲になっていた。娘夫婦に俺の散歩を一緒にやろうと提案して、合意を取り付けたのである。ちなみに、俺の連れ合いは同じ申し出を断っていた。連れ合いは連れ合いで、俺らの長男が三つの美容院をやっているその株式会社組織の経理担当取締役。子どものいないお嫁さんとともに収支一切のコンピューターや、税理士・税務署応対、店装飾などの雑事を任されていて、かなり忙しいのである。
 三人で乳母車を押し合って、あっちの公園、こっちの遊園地とか、四キロほどは離れた昔の尾張徳川藩主別邸・徳川園までの往復をしたこともある。それもほとんど外の昼食付きで真冬も真夏もという散歩。そんな折のハーちゃんは、寒くても暑くても泣かない子だった。乳母車からいつもあちこちに目をやって、寝ている暇もないという散歩ご機嫌さんだったからだろう。だからこの散歩がずっと続いていったが、八か月頃だったかハーちゃんはこんなふうに育っていた。いわゆる「ずり這い」数日のあと、普通のはいはいの最初の一歩を見て四~五日して会った時のことだ。
 娘夫婦の家、居間に僕が入って、ハーちゃんと目が合う。よく遊んでやるせいか、俺を見つけるとニカッならぬ「けっけっけ」と、手足をばたばたした大笑いになる彼女だ。試みにこの日は数メートル前に開いた脚を投げ出して、ぺたりと座り込んでみた。するとその俺目がけて、大急ぎでばたばたと這ってくる。もう、相当に速い。そしてまず俺の腿に手を置き、次いでもう一方の手を挙げて胸ぐらのシャツを握りしめ、すっくっと立ち上がる。さらに肩をくしゃっと摑んで体を支え、急激な両脚屈伸を繰り返し始める。さながらバンザーイの連続ジャンプ。その体勢のまま「けっけっけ」を振りまいて、歓待してくれるのだ。そのうち、そのままもう両手を離して立ってしまう。もっともこれは、重心が取れぬせいですぐにくしゃっと座り込むのだが、またつかまり、立ち直して、手を離し、またくしゃっ。そんなことを何度も繰り返しているのを観ていて、つくづく思った。
「人間ってやっぱり、二本脚で立つことが好きなんだな。目線が高くなるからだろうか。人間特有の直立姿勢の平衡感覚に関わって、なにか本能のようなものでもあるのだろうな」
 十か月前に歩き出したが、今度は転んでもまったく泣くということはなく、すぐに起き上がって前へ歩き出す子になっていた。


(あと2回、中後編に続きます)
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ハリルジャパン(152) スポーツ記事に文化香を  文科系

2018年01月16日 12時52分38秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 本日の中日新聞第24面には、目を見張った。「月刊サッカーストリート」という一面使った連載特集なのだが、日本のスポーツ記事には珍しく、スポーツへの目配りが広くって、文化の香りがしたのである。ここに載っている三つの記事が合わさって醸し出している「ある香り」を、僭越ながら拙筆でお伝えしてみたい。

 一つ目は、ハリルの対談で「(ロシア)W杯 何が必要か分かっている」。二つ目が「ユーロ望観」と題して、今回はサッカー大国イタリアの凋落がテーマになった。そして三つ目は小さい記事だが貴重な物で、ブラジルの監督でさえこう悩んでいるというもの。もっとも、三つ目のこんな内容は当たり前のものと知る人ぞ知っているのであって、ブラジル自国W杯大会の対ドイツ大敗を見れば明らか。日本スポーツ・マスコミがブラジルを崇拝しすぎている一種の病気の、その後遺症のようなもんだろう。

 さて、この記事三つで醸し出しているスポーツ文化の香り、である。

 一番目のインタビュー内容は、ハリルというこの人物のスケールの大きさがとてもよく分かる。チマチマした島国、日本人の、戦後世界の民主主義発展も分かっていないようなスポーツ論ならぬ「(文科省的)体育論」、「(マスコミ的)興業主義スポーツ談義」に対比させてみると。このハリル、人格は全く逆のように見えるが、日本人に評判が良かった人格者イビチャ・オシムと同郷の人物である。旧ユーゴのしかもボスニアの人間で、そこから欧州に出て行って大成功した所までが一緒なのである。オシムはドイツ、オーストリアへ、ハリルはフランスである。しかもその成功度合いが、オシムよりも大きい。以下のように。ただし、オシムの名誉のために、慌ててこう付け加えておきたい。オシムの成功という先例があったからこそ、ハリルの成功もあったに違いないと。年齢は15歳ほどハリルが若いと記憶する。ということは、ハリルはむしろ、同じユーゴのストイコビッチに近いということになる。ストイコビッチは旧ユーゴの中心セルビアの人間だったかな。

 フランスリーグ得点王2回。フランス・サッカーの読売巨人軍、パリサンジェルマンの監督。こんな実績を経て、ブラジルW杯では、ブラジルに圧勝した優勝国ドイツを土壇場まで追い詰めた唯一のチームの大策士、監督。こんな人物が、以下のようなことを語る時、日本ファンはありきたりの常識的意味で理解してはならぬだろうとさえ、僕は言いたい。

『体脂肪率を測るのは、体が戦う準備をしているかを調べるため。けがも少なくなり、より走れる。そのためには生活習慣、食生活、トレーニングが重要になる。体脂肪率が12%より高ければ、その選手は戦う準備ができていない。少なくともW杯では戦えない』
 老骨の僕も、ランナーの端くれとして必要に迫られ、体脂肪率は11%台。年寄りの冷や水ゆえ脚を痛めることも多いからこそ、体重には拘るのだ。便秘気味だから、体重を落とすべく走る前に用を足すことも度々であって、これなど当たり前の注意と愚考している。一流サッカー選手なら不可欠な自己管理能力指標になるはずだ。

『(長谷部誠について)選手としても、人間としてもチームにとって重要な存在。大きな影響力を持っている。ただ、プレーができなければ、W杯に連れて行くことはない。・・・・長谷部を招集できなかったときのことを考えている。そのため昨年12月の東アジアE-1選手権に、ベテランの今野泰幸を呼んだ』
 代表監督として選手個人のことをその「人間」自身にも触れてここまで語るのは、異例なことのはず。組織第一であるサッカーのキャプテンはそれほど大事ということ。その都度の組織流動の指令まで出さねばならない立場なのである。そういう立場に関わってここまで言われたら、長谷部も今野も勇気百倍。選ばれた場合には、どんなプレッシャーにも立ち向かっていく決意を固めることだろう。

『(日本のサッカーは)島国に閉じこもっている印象を受ける。欧州を見れば違うサッカーをしている。日本人はテクニックがあるというが、プレッシャーをかけたら発揮できるのか
 「プレッシャーに負けない」、日本サッカーはこの10年ほど特にこれが発揮できなかったのである。ACLで持てる技術が出せずに長く負け続けてきた原因がここにあったと、見てきた。


 二番目の記事「イタリアサッカーの凋落」がまた色々考えさせられた。僕自身がこの国の歴史的凋落に非常な関心があったことも重なって。最も伝統のあるチームも含めて、何度も繰り返されてきた八百長。長年犯罪者を代表者に抱えてきたACミラン! [このブログでも、イタリアの凋落や、その広く社会的な原因とか、こんなエントリーさえも、何回も書いてきた。
「本田はこんなイタリアへ、ACミランへは行くな。行ってもいい事は何もない」
 この二番目の記事がサッカー、スポーツを扱う視野、領域が広いからこそ、僕はこんな問題なども対照させて、連想していたものだ。近ごろ世を騒がせている日本相撲界の長年打ち続いたやの頽廃とか、日本バスケットボール界の頽廃現象を日本サッカー発展の基礎を築き上げた人物が見事に治めて見せたこととか。

 そういう意味でもサッカー、スポーツ界は世の中の移り変わり、外の文化的(善悪両様の)影響などももろに受ける舞台なのだと思う。相撲界で言う有力なタニマチが、スポーツを汚す例などが、古今東西に渡って本質的に多いものなのだろう。 
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百田尚樹さんのお仕事   らくせき

2018年01月16日 10時11分31秒 | Weblog
これは首を賭けてもいい。
もし、中国と日本が軍事衝突をすれば、朝日新聞は100パーセント、中国の肩を持つ。
朝日新聞は日本の敵だが、そんな売国新聞を支えている朝日の読者も日本の敵だ。

こんなことをつぶやく百田さん。お仕事ご苦労様。
でも歴史は違っていますね。
こんなことを言って金儲けするのは良いのかな?

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望月衣塑子と藤田早苗   文科系

2018年01月15日 22時06分10秒 | 国内政治・経済・社会問題
 昨14日に京都で標記2人の対談、ディスカッションがあったので、夫婦で一泊二日使って、これを聴きに行って来た。
 望月は、中日新聞・東京新聞記者で、管官房長官に辛辣な質問を続けて、辟易とさせた人物。日本の悪名高い政治記者クラブ制度をば、風車に対するドンキホーテよろしく徒手空拳でぶち壊そうとしてきたお人でもある。
 藤田早苗氏は知る人ぞ知る、イギリス在住の日本人で、やはり日本政府の一角を戦々恐々とさせた人物。去年6月(16日、18日など)にここでも扱った、国連人権理事会専門家による日本の人権状況査察の仕掛け人、これを下工作したお人でもあるようだ。デービッド・ケイ、ジョセフ・ケナタッチらがこれを行った。これらの方々は、沖縄平和運動センターの山城議長の不当長期勾留を解き、国連における山城氏の日本政府批判演説を実現した人々でもある。

 14日13時半から18時45分までの長丁場だったが、国連の常識に照らして日本政府の人権理解がいかに酷いかとかが骨身にしみるように分かった思いである。マスコミ弾圧はへっちゃら、微罪の長期拘留では籠池夫妻の問題も現在進行中である。山城氏にせよ、籠池氏にせよ、不当な人身拘束って後進国のやり口なのである。恣意的逮捕、拘留という問題である。

 この講演などの報告はいずれ日を改めてやっていきたい。

 日本安倍政権は国連などからその人権状況について、もっともっと批判されていくだろう。が、安倍政権はアメリカ・トランプ政権と一緒になって、どんどん国連無視を続けていくのだろう。
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随筆  薄汚れたわが国     文科系

2018年01月15日 22時03分35秒 | 文芸作品
ある日の新聞の記事に関わって腹が立ったことを一つ。まず、夕刊のこんな記事。

『失業率二二年ぶり二%台 二月改善人手不足感強まる』

 総務省発表報道である。内容をよく読むと例によってインチキ臭い「完全失業率」とやらのこと。この数式の分子に「家事手伝い」女子や一定期間に一日でも働いている人などは含まず、分母は、他国と違って公務員や軍隊兵士を含んで多くしてあるという。失業がない公務員を失業可能群に入れてはいけない理屈からだ。こうして日本のこの数式は、当局にのみ都合がよく、当事者国民には極めて不都合なもの。
 因みに、「ポスト真実」が世界でも日本でも政治世界に流行だが、日本の官僚はいつも統計数字にこういう手口を使ってきた。国連に基準がない統計については、世界で最も政府側に都合の良い定義、基準、数式を使っていると見た方がよい。そして、悪い政権の時には、そういう数字ばかりを打ち出し、報道して、政府を擁護して出世していく。
 ところがさて、流石最近の中日新聞。昨夕刊に対して次の日の朝刊で即「訂正記事」を付けている。

『失業率改善二二年ぶり二%台 非正規多く消費は低迷』

 そう、これが正解、次のような最悪事態は何も変わっていないのだから。こちらこそ本当の国民実感であって、総務省の宣伝数字など、これと比べればその価値はどこかに吹っ飛んでしまうチャチなもの。国連発表数字にこんなものがある。
 
 日本国民一人当たり購買力換算GDPの歴史的推移というものだ。各国比較順位も含めて。一九九五年、二〇〇五年、二〇一五年で、こう推移している。順位は、五位、二三位、三二位と極端に落ちていく。一人当たり金額も、四万三千七七四ドルが三万四千六二九ドルにまで落ちた。この劣化ぶりが、九五年と一五年とそれぞれ十位の国との比率を観てみると、非常によく分かる。日本が三位であった九五年は十位の国の一二六%だったものが、二〇一五年には五七%にまで落ちてしまった。他国がどんどん上がってきた間に、日本GDPだけが急減しているからだ。十位の国はこの二〇年に、三万四千八七一ドルから六万五一四ドルにまで上がったのである。これが「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と呼ばれてアメリカまでを買い漁った当時からの、黄昏れた日本国の末路なのである。

 総務省と国連、どっちの数字が日本国民に密着しているか、誰の目にも明らかだろう。

 世襲政治家が跋扈し、官僚は身内を助け合うだけの互助会のよう。日本の場合いつの日も官僚は政府密着なのであって、今で言えば安倍さんが「好きそうな」数字ばかりを忖度して発表するのだろう。反対に、政権に都合の悪い数字は「破棄しました」と逃げる(よう助言する)のも、また忖度。そして、こんな官僚ばかりが出世して政治家を「指導」するから、若い政治家がまたまた薄汚れていく。するとそれが当たり前になって、次代の人間も余計薄汚れるように育っていく。

 こんな政治の結果が、こうだ。フクシマは誰も責任を取らず、文科省が全省庁官僚を大学教員職などに天下り斡旋をする。田母神を観ても分かるように防衛省の世論誘導、ネット誘導はますます盛んで選挙を動かすほどになっているだろうし、籠池、加計では財務省などが「特例措置」の「忖度」。
 九九%庶民にとってはまことに薄汚れた、みすぼらしい国と言うしかない。

 ちなみに、不安定労働者ばかりで、大人一般のまともな職業や給料がこれだけ増えなければ、若者に希望など全くない国と言うべきだ。結婚できない若者が増え、少子化も止まらない。喧伝されている先進国は皆少子化というのも暴論の嘘。これは、二〇世紀末ごろのこと。英米仏などは真っ当に持ち直して、出生率二を超えた。


 新世紀初めころの日本が後世こう語られるのは必定である。薄汚れた支配者達が、世界一質も高く働き者の庶民がいた国を、若者に希望がない急激な人口減少国などと、ここまで堕としてしまった黄昏れた時代、と。最近の政治家がよく唱える「愛国」は、笑い話というのか、それとも、こんなだから「愛国」を強調しなければならな今であるのか。
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西條八十て、知っていますか。 ken

2018年01月13日 16時35分56秒 | Weblog
私が歌謡曲の元祖、西條八十(さいじょうやそ)のテレビ番組を制作してから、
もう30年近く経ったかと思うと、時代を感じます。
その当時ですら、若い世代が知っている西條八十作詞の歌といえば「青い山脈」
くらいのものでした。
しかし、私たちの世代(80歳代)の者にとって、作詞家の名前は知らなくても、
「誰か故郷を想はざる」「旅の夜風」などの歌謡曲を知らない人はいないと
思います。
当時、まだご健在だった西條八十のご長男、八束(やつか) さんのご協力があって
実現したのですが、台本には書ききれなかったエピソードを思い出しながら
記してみます。

西條八束さんは当時、名古屋大学名誉教授教授。父と違って科学の道を歩まれ、
水圏科学研究所々長などを務められました。
何しろ、西條八十作詞による歌謡曲は二千曲もあります。本来、八十はフランス
文学者としてアルチュール・ランボーの研究者として知られている他、詩や童謡
も沢山、手がけています。
歌謡曲の作詞など苦吟することもなく、次から次へ生み出して行ったようです。
八束さんはこんな例を語って下さいました。
「夏の避暑地に行ってホテルで朝ご飯の時に会いますと、"オレはもう今日、
四つ仕事をしたよ"と言うんですね。頼まれている歌謡曲を四つ書いてしまった
ということですね。」朝めし前に四つも作詞できるとは。

"若い血潮の予科練の 七つボタンは桜と錨…"「若鷲の歌」別名「予科練の歌」も
八十の作詞です。この歌が生まれた経緯について八束さんが語って下さいました。
西條八十が、戦時中、軍部から海軍飛行予科練習生を募集するための軍歌を頼まれ
茨城県の霞ヶ浦にある海軍の飛行場を訪れた時、関係者から説明を聞かなくとも、
入り口に貼ってあったポスターを見ただけで、「あゝこれで決まったね」と言って
あの歌詞がすぐ頭に浮かんだそうです。
凛々しい若者が着ている桜と錨のついた七つボタンの制服姿に軍国少年だった私も
どれだけ憧れたことか。母に五つボタンの制服を七つにしてと云つて、叱られた
ことを覚えています。確か、帽子にも桜と錨のマークがあったと記憶しています。

西條八十は戦後、戦意高揚の軍歌を沢山作ったとして、一部の人から非難された
そうです。八束さんもこの件で父を恨んだ事もあったと云つておられました。
しかし、戦時中、軍部の命令に背くことなど誰もできなかったと思います。
西條八十は、戦争が終わった昭和20年まで早稲田大学の教授をしていました。
教え子が次々に戦地へ送られて行く姿を目の当たりにして、きっと心を痛めていた
に違いない。私はそう思い、八束さんの許可を得て、音楽評論家の森一也さんと
一緒に、未整理のままの八十の書庫で、色々、調べさせてもらいました。
紙質も良くない薄っぺらな「蝋人形」と言う雑誌をめくっていたところ、昭和18年
12月号に「学徒出陣におくる」という詩を見つけました。そこには、歌謡曲にはない
教え子を思う深い心情が刻まれていました。

「学徒出陣におくる」(雑誌「蠟人形」より)

昨夜(よべ) 更けて一人送りぬ、
けさもまた、一人訪(おとな)ふ、
教え子は、若き学徒は、
勇みゆく、大(おほ)みいくさに、

胸せまる一期(いちご)の別れ、
かずかずの想ひもあらんに、
忙しき吾を案じて
玄関に、上がりもやらず。

「いつ征(ゆ)く」と問へば、うち笑み、
「ふるさとに明日(あす) は帰りて
いとせめて残る十日を
両親 (ふたおや)に尽くさん」といふ。

いじらしく双手(もろて)握れば、
うつむきて ただ羞 (はずか) しげ、
うるはしや日本男児(やまとおのこ)は
別離(わかれ)さへ、水のごとくに。ー

ふるさとの母校の杜に、
師は、友は、明日よりみつめん、
朝夕の雲の通ひ路、
勲(いさをし)を忘れなそ君。

君去りて、また、ひと時雨(しぐれ)、
老いし師は、侘 (わび) しく胸に
いとほしむ、目に見えぬ糸、
恩愛は生死(しゃうじ)を超えて。

私は番組の中で、あえて、この長い詩をナレーターに読ませました。
あの有名な日本ニュースの学徒出陣のフィルムを入れながら…。
西條八十のご長男、八束さんはこのシーンを見終わって、「これで、
私が父について思っていたもやもやが、晴れた気がしてきました。」
と感謝して頂き、番組の制作者として大変うれしく思ったものです。
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僕の九条堅持論 文科系

2018年01月13日 11時53分51秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
僕のブログへ訪問してきたある方が、そこでおかしなコメントを述べられた。
『原理原則から述べれば当然現行憲法は破棄されるべきものなんですけどね。』 
 自衛隊という陸海空軍と憲法との矛盾について、これが、原理原則を本末転倒させた論議であるのは明らかだ。なし崩しに軍隊を作って、世界有数の規模と成し、強引に解釈改憲を通してきたやり方こそ、憲法という原理原則を踏みにじったと語るべきである。こんなことは、小学生でも分かる理屈だ。一国の憲法というものは本来、そういうものだと日々教えているはずだからである。
 あまつさえこの間に、この憲法を守ることが出来る世界作りを大国日本が率先して呼びかけ直す道も、以下のようにあり得たのである。まず、自衛隊を作る背景、原因にもなった冷戦体制が終わった九十年頃。次いで、サブプライムバブル弾けによって百年単位ほどの世界大恐慌状態に落ち込み、諸国家に赤字がどんどん増えた〇七年頃。そういう絶好の機会において、日本が国連において、軍拡を続けたアメリカの投票機の役割しか果たしてこなかったのは実に情けないことだった。なお、この恐慌は持ち直したという声があるが、暴論だと思う。世界にこれだけ失業、不安定雇用がいては、株が少々上がったところで、健全な経済状況などと言えるわけがない。それが民主主義の観点というものであろう。

一 古今東西、戦争の原因はどんどん変ってきて色々あり、一様ではない。よって「戦争を必然とする人間の本性」のようなものがあるとは、僕は考えない。これが存在するから今後も戦争は永遠に少なくならないというようなことを語るとしたら、その論の正しさを先ず証明してからにして欲しい。こんな証明は論理的にも、現実的にも不可能なはずだから「攻めてくる国があるから対応を考えなければならない」という立論だけでは、全く不十分な議論である。特に長期スパンで戦争をなくしていく視点が欠けたそういう論議は、万人に対して説得力のあるものではないだろう。
 二十世紀になって、第一次世界大戦の世界的惨状から以降、そして第二次世界大戦以降はもっと、戦争違法化の流れが急速に進んできた。この流れは、十八世紀西欧に起こった「自由、平等、博愛」の声に示されるような「人の命は権利としては平等に大切である」という考え方が定着してきた結果でもあろう。つまり、民族平等や国家自決権なども含んだこういう流れが、後退や紆余曲折はあっても近現代史に確固として存在するのである。
 世界史のこんな流れの中からこそ、長年の努力でEUもできた。EUの形成は、それまでの世界的戦争の先頭に立ってきたような国々が、互いへの戦争などを放棄したということを示している。
 二十世紀後半になって、大きな戦争は朝鮮、ベトナムなどで起こったが、あれは東西世界体制の冷戦に関わったもので、その対立はもう存在しない。それどころか、中国も資本主義体制に組み込まれた現在では、日本のような先進大国を攻めるというような行為は、中国も含めた世界経済をがたがたにするという世界史的汚名を被る覚悟が必要になったとも言える。今時の大国の誰が、ヒトラーのように人類史に悪名を残すこんな無謀行為を敢えて犯すだろうか。

二 さて、こういう世界の流れを観るならば当然、自国への戦争に関わっても二つのスパンで物事を考えなければならないと思う。一つが、「当面、日本に攻めてくる国があるか。それに対してどうするのか」と言うスパン。今一つが、「戦争違法化の流れを全人類、子々孫々のために推し進めるべき各国の責任」というスパンであって、これは、近年新たに目立ってきた世界の貧困問題や食糧問題などを解決するためにも世界万民が望んでいることだろう。なお、この二つで前者しか論じない方々は、論証抜きの「戦争は永遠の現実」という独断のみに頑強に固執して、数々の人類の不幸を全く顧みないニヒリズムだと、断定したい。
 以上のことは、世界の大国アメリカを観れば容易に分かることだ。アメリカは相対的貧困者や満足に医者にかかれない人々やが非常に多い「先進国」である。高校を卒業できない人が白人でも四人に一人であり、黒人やヒスパニックでは半分だ。現在の軍事費を何割かでも減らせれば、これらが救われる財政的条件が生まれる理屈だが、こんな当たり前のことが何故出来ないのか。ここの軍事費が何割か減ったら、攻めてくる国が出るというものでもなかろうに。だからこそ、今軍事費を減らそうとの視点を持たない「現実論」は、ニヒリズムだと言うのである。 

 三 まず上記の長期スパンであるが、こういう立場に日本が立ちたいと思う。
 先ず、国連には九条堅持と日本軍隊縮小方向を、代わりに『平和と貧困撲滅基金』というような形で毎年かなりのお金を国連に出していく方向を、改めて表明する。合わせて、こう表明する。
「軍隊を持たない方向を目指す代わりに、世界の『平和と貧困撲滅』に貢献したい。そういう大国が存在するのは世界と国連、人類の未来にとってこの上なく大きい意義があると考える。ついては代わりに以下の要求を万国、国連にさせて頂く。日本国憲法にある通りに、世界各国の平和を目指し貧困をなくすという希望と善意に信頼を置いてこういう決断を成すわけだから、以下の要求を国連に出す資格も当然あると考えている。
『日本に他国が攻めてくるということがないようにする努力を万国にもお願いしたい。また万万が一攻められるようなことがあった場合には、国連軍、国際的常設軍隊で即座に支援して頂くというそういう体制を至急お作り願いたい。国連をそうしたものにするべく、日本はその先頭に立ちたい』」 

四 九条堅持と、その実現のために、いやそれ以上に、世界の平和と貧困撲滅のために、三の遂行度合いに合わせて、自衛隊は縮小、廃止方向を取る。そのスパンも三十年などと遠いものではなくしたい。
 なお、こういう構想はかっての民主党小沢派、鳩山派などが持っていた考えに近いものだと、僕は見ている。小沢派の「国連警察軍」などの構想がこれに近い発想、あるいはそうなっていかざるをえない発想なのではないか。むしろ、米中等距離外交とともに国連常設的軍隊重視こそ、小沢がアメリカと親米派勢力に憎まれてきた理由だろう。また、このような案が大きく世に出てきた時には、共産党、社民党もこれに賛成するだろう。つまり、以上の構想の現実的政治勢力、潜在勢力が現に大きく存在するということだ。こういう国連構想と同類のものとして、この九月、習近平・中国国家主席が国連で以下の提案を行った。「中国は永遠に覇権を求めない」という説明を付けての提案であった。
①十年間で十億ドル規模の「国連平和発展基金」を創設。
②中国が国連の新しい平和維持活動即応体制に加わり、常駐の警察部隊と八千人規模待機部隊を立ち上げたい。
③今後五年間でアフリカに一億ドルの無償軍事支援を行い、アフリカ常備軍・危機対処部隊の設立を支持する。
こう述べたからと言って、僕は現在の中国政府を支持する者ではない。あの国の一党独裁と中国共産党内の民主集中制とを、絶えざる諸悪の根源と観ている。

 ちなみに、国連自身の指揮下にある常設軍というならば、それに日本が参加してさえ、「国権の発動たる戦争」に関わる「陸海空軍その他の戦力」とは言えないだろう。また、フセインのクゥエート侵略があったり、アフリカのいくつかの国に戦争、内乱が起こっている以上、相当強力な国連常設軍が当面はまだまだ必要だと思う。


(2016年1月発行の同人誌に初出)
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安倍さんは冬季オリンピックの開会式を欠席?  らくせき

2018年01月12日 15時52分12秒 | Weblog
慰安婦問題で行きたくないのかな?気の小さすぎない?

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朝鮮日報より  らくせき

2018年01月11日 15時24分57秒 | Weblog
大筋で私見と同じです。

2014年に韓中の自由貿易協定(FTA)締結交渉関連の取材で会った日本の専門家は異口同音に「韓国は中国を甘く見過ぎだ」と話し、「韓中日FTAを結ぶべきだ」と主張した。日本をてことして使い、中国との交渉力を高める「ジャパン・レバレッジ戦略」を駆使すべきだとの助言だった。当時記者は韓国が中国市場を先取りすることを懸念する日本の偏狭な愛国心の発露だと決め付けた。しかし、日本が予想した通り、韓国は終末高高度防衛ミサイル(THAAD)問題をめぐる中国の報復になすすべもなくやられ、韓中FTAは使い物にならなくなった。


 中国の正体を実感する機会は多かったが、韓国は見て見ぬふりを決め込んだ。中国は12年、尖閣諸島(中国名・釣魚島)紛争と関連し、レアアースの輸出を中断。不買運動、輸出入時の通関遅延などで日本に報復を加えた。日本企業の工場に対する放火や略奪も起きたが、韓国は対岸の火事だと眺めていた。中国がベトナム、フィリピンへの観光中断など報復措置を下した際も韓国政府は声明すら出さなかった。


 「中国リスク」は貿易報復の域を超え、「主権侵害」につながっている。韓国は中国の「大国化」で恩恵を受ける国から被害国へと転落しつつある。いかに対応すべきか。中堅国家の力を合わせる「ミドルパワー連合」が突破口になり得る。超大国・米国がトランプ大統領就任以降、自国優先主義、孤立主義を強めている点を考えればなおさらだ。


 韓国が手を結ぶことができる中堅国は日本だ。民主主義と市場経済という価値を共有し、輸出主導型の市場経済という経済モデルも似ている。両国の協力は中国だけでなく、米国に対する発言権の強化にもつながる。日本にとっても切実だ。米日同盟が日本の安全保障の根幹だが、中国の軍事大国化が加速する中、米国の衰退と孤立主義で安全保障上の不安が高まっている。

日本の憲法改正と再武装論は、新中華主義勢力の膨張と「ポスト・パックス・アメリカーナ」に対する不安が根底にある。安倍首相の安全保障構想はオーストラリア、ベトナム、インドなどとの協力を強化する「インド・太平洋戦略」だが、これも一種の中堅国連合だ。しかし、世界7位(2015年、グローバルファイアパワー調べ)の軍事大国、世界10位の貿易国家である韓国を排除すれば、その実効性は低下する。


 韓国と日本は米トランプ政権による通商圧力のターゲットになっている。米国は扱いにくい中国の代わりに韓日を通商圧力の手本にする可能性が高い。米国は自動車と農業の分野で圧力を強め、韓国にFTAの再交渉を求めている。米国の脱退により、日本が主導することになった環太平洋経済連携協定(TPP)も韓国が加われば、米国の一方主義をけん制し、韓日経済にチャンスをもたらす。


 歴史問題で反目してばかりでは、韓日両国にとってプラスにはならない。「真珠湾の屈辱を忘れるな」という米国と原爆被害国の日本は不倶戴天の敵ではなく、国益のために手を結ぶ同盟国だ。国益のために敵と手を結び、プライドを捨てるのが国際政治の本質だ。日本は歴史問題に対する反省に消極的なことが韓国の世論を「反日」「親中」に傾かせていることを反省すべきだ。世界3位の経済力と強大な海軍を持つ日本との協力が韓国の経済と安全保障にとって損害になるはずはない。歴史を忘れてはならない。しかし、歴史問題に足を引っ張られれば、未来には進めない。韓日両国の指導者は「ソロモンの知恵」を探るべきだ。


コメント (2)
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なんと愚かな「国防」人事!  文科系

2018年01月11日 10時52分07秒 | 国内政治・経済・社会問題
 最近も、モリカケで嘘答弁を連発した官僚が財務省筆頭局長になったが、古くにはこんな愚劣な人事もあったということから、旧稿を再掲したい。こんなペテン師みたいな人物が国家安保の中枢に座るって、どういうことなのだろう? 佐川何とかさんと同類のヒラメ、下劣人物? 経済経済と言ってもまともな職作りは何も進めぬことによって少子化だけは進め、日本戦後史上空前へと軍事費だけを増やしてきた誰かさんが行う人事は、違うものだなということで・・・。

【 なんと愚かな「国防」人事!  文科系 2014年01月16日

 新設された国家安全保障局の局長に、谷内正太郎氏が着いた。去年新春の中日新聞で、内閣官房参与(元外務次官)として以下のようなインタビューを語った人だ。その末尾のこんな言葉から彼の人格が分かるのだが、こんなイーカゲンな人が国家防衛の中枢?! まるでペテン師のような人格、お人だと思う。こんな人物を内閣の「目玉」新施策の責任者にする?! 日本、安倍内閣って本当にトロイ国、政府だなと思うしかない。

 自民党幹事長は軍事オタクの国防族。近ごろしきりに「国防精神」を上から目線のように説かれている方だが、その思考程度も手に取るように分かるというものだ。こんな人事を敢行したのであるから。

『集団的自衛権については、自らが攻撃された時は他の国に助けてもらう、その国が攻撃された時は「われ関せず」という態度は責任ある大国としてありえない。集団的自衛権は国家の品格、品性に関わる問題だ。米国も、そのような日本の貢献を期待している』
 谷内氏は「国家の品格、品性」などと語ったが、相手を見て物を言えと言いたい。
 最近の米国というのは、嘘の理由で国連の反対を押し切って有志国だけでイラク戦争を起こした国だ。この戦争で無数の自国、他国の50万人だかを殺し、後になって大統領が『あれが嘘だとは全く知らなかった』とテレビで堂々と泣き言を語った国だ。因みに、我が日本政府・外務省は、嘘の理由に丸め込まれて参戦し、莫大な出費で今問題の国家累積赤字をさらに積み上げることになったのだが、なお「もっと汗も血も流せ」などと侮蔑的言葉まで浴びせられたのだった。こんなふうに二重に踏みにじられた侮辱について、外務省などからその後、何か釈明とか、相手への抗議でも、あったっけ?

 さて、こういう相手に「国家の品格、品性」をもって対せなどとは、馬の耳に念仏、蛙の面にナントカで、一銭つぎ込む価値もないどころか、ペテンに引っ掛けられるのが落ちというもの。谷内さんに尋ねたい。集団的自衛作戦に品格をもって付き合っていく今後に、またしても嘘の理由で戦争を起こされて、日本や世界の若者などが無駄死にすることはないという保証がどこにあるんです? そういう保証をどこで確認できたのです? 当方が品格をもって遇するべきは、品格のある相手でしょう。こんな重大な背信行為国相手に「国家の品格、品性」を国民にお説教とは。貴方のこの言葉、まるで騙りのようなものだ。

 さらに加えるに、こんなトロイ言葉を新聞という公器でもって不特定多数国民に説いて恥じないこの神経! これは、凄く意識して国民にお説教しているのである。これほどアメリカにコケにされてもなお「着いていきます」と応え、「それが品格(婦徳)だ」と子ども(国民)に説く健気妻! 放蕩亭主アメリカにすがりつき続けるどんなアホ妻なのかと、その顔が見たくなった。こんなのが、外務次官!
 外務省ってこんなのばかりなのだろうか。一時マスコミで騒がれたことだが、ほとんどの国の日本大使館に超高級ワインを山のように揃えて国家の金でただ酒飲んでいると、こういう人格が育つということだろう。それにしても、恥知らずである。】
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